第72話:「もち、初めての“企業案件”に驚く!?」
「吾輩は、ちゅ~る派である。でも最近は、ちょっと違う味も気になってきたのである」
そう言いたげな顔で、もちが画面の中でスンスンとフードの袋に鼻を寄せる。
カメラのファインダー越しにそれを見ていた私は、小さく息をのんだ。
「……完璧」
朝から何度もリハーサルした“もちの一口目”を、ようやく収めることができた。
なぜこんなに慎重になっているかというと──
それは今日の動画が、私たちにとって初の「企業案件」だからだ。
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それは、数日前のことだった。
小さなアパートの部屋の中。私はいつものように編集ソフトと格闘しながら、もちと過ごしていた。
そのとき、メールボックスに一通の連絡が届いた。
件名:タイアップ動画のご相談(××株式会社)
一瞬、いたずらかスパムかと疑ったけれど、差出人の署名にはしっかりとした企業名。
日本でも有名なペットフードブランドだった。
「……う、うそでしょ……?」
私はモニターを凝視したまま、まばたきすら忘れていた。
その企業は、もちの動画をSNSで偶然見かけてくれたらしく、「ぜひうちの新商品とコラボしていただきたい」と 申し出てくれていたのだ。
条件は以下の通り。
・指定フードの紹介
・もちの自然なリアクションをメインに
・プロモーション要素は“やりすぎない”こと
・報酬あり
──報酬あり、という言葉を見た瞬間、私の指はほんの少し震えた。
これまでの動画投稿は、あくまで趣味の延長。ちょっとした広告収入はあったけれど、企業案件という「本物の仕事」は初めてだった。
「……やってみよう。もちと一緒に」
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そして今日。
指定されたフードは、見た目も香りも良さげで、もちの興味を引きそうだった。
とはいえ、もちは気分屋である。
カメラの前で「絶対に食べてくれる保証」はない。
「もちー? 食べてみる? 今日のごはん、ちょっとスペシャルなんだよ~」
「にゃ……?」
私の声に反応して、もちがクッションの上からムクリと顔を上げた。
鼻をひくひくさせながら、スンスンと近づいてくる。
「……頼む、もち。今だけでいいから“プロ猫”でいて……!」
祈るような気持ちで見守っていると──もちは、なんと一口目からペロリ。
「にゃっ」
小さくひと鳴きして、まるで感想を述べるようにこちらをチラリと見たその瞬間。
「……よっしゃぁあああああ!」
思わず、私は立ち上がってガッツポーズ。
もちがびっくりして「にゃっ!?」と跳ねたけど、私は感動で涙が出そうだった。
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その日のうちに、編集作業に取りかかる。
構成をシンプルに、テロップも商品名は控えめにして、あくまで“もちの日常”に馴染むように。企業とのやり取りを何度も確認し、著作権、表記のルールも漏れなく対応する。
まるで、会社員時代のプレゼン資料をつくっていたときのように──でも、不思議なほど楽しかった。
「これが“自分の好き”を仕事にするってこと……なんだね」
私はノートのメモを見返した。
そこには、走り書きでこう書かれていた。
『もちが気に入らなかったら断る!』
『絶対に無理はさせない』
『自然体でいくこと』
守るべきものがあるからこそ、ぶれずにいられる。
お金は大事。
でも、もちの幸せが最優先。それが、私の“仕事”のルールだった。
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夕方。
完成した動画を企業に提出し、確認を待つあいだ、私はそっともちを抱き上げた。
「もち……ありがとうね。あんたが、今日もかわいかったおかげで、なんとかなったよ」
「……にゃぁ?」
もちが私の胸元でふにゃんと鳴く。少し誇らしげな表情。
「ふふっ……プロ猫って呼んじゃおうかな」
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そして翌朝、企業からの返信が届く。
「とても素晴らしい仕上がりです。社内でも『もちくんの表情、最高です!』と話題になりました。ぜひ、今後もコラボの機会を……」
思わず、涙が滲んだ。
「やったね、もち。ちゃんと、“お仕事”になったよ」
もちが、膝の上でくるりと丸くなる。
「にゃ……」
まるで、「そりゃ当然にゃ」とでも言いたげなその寝顔に、私は静かに笑った。
──夢を仕事にするって、こんなにも愛しいことなんだ。
きっとまた迷うこともあるだろう。だけど、私はもう逃げない。
「一緒に、がんばろうね。もち」
次回:「第73話:もち、ご主人の“スケジュール管理”に物申す!?」へ続く!




