第63話:「もち、ご主人の異変を姉にチクる(?)」
朝である。吾輩の朝は、いつも通りご主人の布団の中で始まる。
いや、正確には“始まるはず”だったのだが――今朝のご主人は、違った。
「……うぅ、うぅ……」
枕に顔を押し付けて、呻いておる。
目は腫れて、声も出ない。起き上がる気配もない。
これは尋常ではない。
吾輩の本能が告げておる。これは“ただの寝坊”ではない。
前の晩、ご主人が会社から帰ってきたあと、吾輩のごはんも忘れるほど落ち込んでいたのは見た。
珍しく動画の編集もせず、スマホの電源すら切って、丸くなっていた。まるで、冬眠するカメのように。
そして今朝も――朝ごはんの準備は、ない。
ふにゃ……ごはん……。
いや、違う! ここで空腹に流されてはいかん! ご主人の様子が変なのだ!
吾輩は“にゃんターネットの星”としての誇りにかけて、動かねばならぬ!
「みゃあああ!」
ご主人の顔の近くで思いっきり叫んでみたが、無反応。
尻尾でほっぺをペチペチしてみても、反応なし。
これは相当重症である。
――このままでは、ご主人が溶けてしまう。
吾輩は決断した。奥の手を使うときが来た。
リビングへ駆け出す。スマホ、スマホだ。
吾輩は過去、何度かスマホのロックを鼻で解除しようと挑んだことがある。
失敗続きだった。だが、今回は違う。理由がある。ご主人の命がかかっているのだ!
スリスリ、スワイプ、スリスリ……ぴこーん! 顔認証が作動し、ご主人の寝顔をうまく写せたらしい。
やった! 入れたぞ! 吾輩、IT猫の称号を得たり!
LINEを開く。目指すは――「姉ちゃん」というアイコン。
吾輩は知っておる。
以前、動画投稿のことで揉めたあと、ご主人がこの人と長電話していたことを。やや怖そうな人だが、頼れる存在でもあるらしい。
――「みゃ」
吾輩は送信ボタンを鼻で押した。偶然「にゃー」と打ち込まれたスタンプが送信された。
「……!?」
画面に“既読”のマークがついた。その数秒後、スマホがぶるぶる震えた。
姉ちゃんからビデオ通話の着信だ!
ぴっ。
「……ちょっと、もち!? え、これ、今何時だと思ってるのよ――ていうか、あんたが出たの!?」
画面越しに見える姉ちゃんの顔は、半分寝起きでボサボサだった。
だが、吾輩はひるまない。カメラに向かって、わざと寝室を映す。
ご主人の布団と、動かない背中。
「……ちょっと、もしかして、みのり具合悪いの?」
吾輩は黙って、お座りしてジッと姉ちゃんを見つめた。
耳をぴんと立てて、問いかけに答えるように。
「……いや、あんたすごいわ。猫なのに、なにその危機察知能力……。あーもう、わかった! 今から行く!」
ぴっ。通話が切れる。
吾輩は画面の明かりを見つめながら、そっと尻尾を揺らした。
ふふふ……人間よ、猫をなめるでない。
我らの“察知力”は、伊達ではないのだ。
1時間後、インターホンの音でご主人が目を覚ます。
「……だ、誰?」
ドアを開けると、そこには姉ちゃんが立っていた。
スーツ姿にすっぴん、でも表情はきりっとしていた。
「何かあったでしょ、みのり。もちから“通報”受けたから」
「えっ……もちから……?」
ご主人が戸惑っている間に、姉ちゃんはズカズカと中に入る。
そして、テーブルの上の散らかった書類と、ご主人の顔を交互に見た。
「……バレたのね、会社に」
ご主人は何も言えず、ただこくりと頷く。
「……そっか。で、どうするの? もう辞めるの? それとも、続けるつもり?」
唐突な質問に、ご主人の目が泳ぐ。
「……まだ、答えが出ないの。もちのこと、動画のこと、大切だけど……会社にも、恩があるから……」
その言葉を聞いた姉ちゃんは、しばらく黙っていた。
「なら、とことん悩みなさい。逃げなくていいから。私も、できる限り協力する。あんたがどっちを選んでも、もちと一緒に支えるから」
「……うん」
そのとき、ご主人の目に少しだけ光が戻った気がした。
吾輩は姉ちゃんの足元にすり寄り、にゃあと一声鳴いた。
「もち、ありがとね」とご主人が涙ぐみながら笑った。
うむ。吾輩の任務、完了である。




