第20話:今日から家族です。
朝の光がそっとカーテンの隙間から差し込み、ぼろアパートの一室にぬくもりが広がる。布団の中でうごめくのは、もち――吾輩である。みのりの腕の中でくるんと丸まったまま、ぬくぬくと体を伸ばす。
「んー……もち……重たいよぉ……」
眠たげに呟いたみのりが、目をこすりながら起き上がる。
寝癖はいつものように右に跳ね、Tシャツの肩が片方ずり落ちている。ひと晩中泣いた顔は少しむくんでいて、目の周りが赤い。
だが、口元には――うっすらと、笑み。
「おはよう。もち、ずっとそばにいてくれてありがとうね」
にゃ、と吾輩は鳴いた。
人間の言葉は話せぬが、伝えたいことは山ほどある。
昨日の夜、涙で濡れた彼女の頬をそっと舐めた時、その震える体から“孤独”が少しずつ溶けていったのを、吾輩は感じていた。
朝ごはんはいつものカリカリ。
だが、今日はちょっぴり豪華だ。なんと、カリカリにちゅ~るトッピング。
まるで祝宴である。
「ねえ、もち」
キッチンの椅子に座っていたみのりが、ふいに立ち上がった。そして、押し入れの中から小さな段ボールを引っ張り出す。蓋を開けると、中には古い書類や、封筒、そして猫型の陶器の箱――遺影とともに、にゃんたの遺骨がそっと納められていた。
「……にゃんたのこと、ずっとちゃんと整理できてなかったんだ。怖かったんだよね。あの子を失ったあとの自分が、何も変わってなかったらどうしようって」
吾輩は、そっとその箱に近づいて、鼻をぴくぴくと動かした。かすかに感じる懐かしいにおい。あれが、先代――にゃんた殿、か。
みのりは箱を持って、陽の当たる窓辺に置いた。ふう、と息をつき、柔らかな笑みを浮かべる。
「……もちを見てて思ったの。ちゃんと向き合おうって。逃げずに、今の自分を大事にしようって」
そして、みのりは吾輩の目をじっと見た。
「だから――今日から、うちの子になってくれませんか?」
その瞬間、心の奥で何かが、カチリと音を立ててはまった。
“うちの子”。それは人間たちの世界で、家族になるという宣言である。
「吾輩は……」
そのご主人のお言葉はペットから家族になったことを意味している。
いや、ペットも家族みたいなものでもあるけど、公言されると照れくさい。
ぴょん、とみのりの膝に飛び乗る。顔を見上げて、にゃあと高らかにひと鳴き。
彼女は少し目を潤ませながら、ぎゅっと吾輩を抱きしめた。
「ふふ、ありがとう。じゃあさ、手続きしに行こっか。ちゃんと“家族”って証明できるように」
その言葉通り、午後にはキャリーケースに詰め込まれ、近所の役所へ――ではなく、動物病院へ。今日は“マイクロチップ”の登録と、正式な飼い主登録の手続きをしに行く日となった。
なんとも浅はかだった吾輩。
家族になるとはこういう意味だった。
神田先生は変わらず爽やかな笑顔で、「お、もちちゃん。今日もご立派ですね~」と軽く言いながら、さくっと処置を済ませた。痛みはあった。だが、それ以上に心の中が、ふわっとあたたかくなったのだ。
帰り道、夕暮れの光が街をオレンジに染める中、バスの中でみのりが言った。
「もち。あのね、私、これからもっと頑張る。もうすぐ契約終わっちゃうけど、今度こそ、正社員目指すよ。安定した生活、ちゃんと作りたい」
吾輩は、キャリーの隙間からじっと彼女を見上げた。
「……頑張るなら、ごはん代、忘れるでないぞ」
そんな気持ちをこめて、そっと鼻先を動かすと、みのりがにっこりと笑った。
アパートに帰ると、小さな祝いごとが待っていた。コンビニの紙皿に乗ったケーキひと切れ(人間用)、そして特製ちゅ~るプレート(吾輩用)。BGM代わりに、スマホから流れる“ねこねこメドレー”。
「それでは……家族記念日、おめでとう!」
「にゃ!」
ひと鳴きで返す。乾杯のかわりに、ちゅ~るをぺろぺろと味わう。ご主人の顔は、昨日とはまるで別人のように、明るく輝いていた。
――この人の人生の一部になれるなら、吾輩は、毎日でもキャリーに入ろう。
そう思うくらい、胸の中がいっぱいになる夜だった。
夜が更け、布団の中。今日もみのりの腕の中で、吾輩はまるくなる。
「ねえ、もち」
「にゃ?」
「ずっと一緒にいようね。……家族だから」
吾輩は、彼女の腕の中でうとうとしながら、小さくうなずいた。
たとえ未来に、また涙が訪れようと、今日この日の約束が、ふたりを支えてくれる。
吾輩はもう、捨て子猫じゃない。
ご主人も、もうひとりぼっちじゃない。
この日、吾輩とご主人様は、家族になった。




