第12話:動物病院・再び(ワクチン大戦)
朝の光がカーテンの隙間から射し込み、ぼろアパートの一室に小さな平和が広がっていた。布団の上では、吾輩――猫の「もち」が見事なヘソ天で眠っていた。寝息はスースーと心地よく、ご主人様である社畜OL・みのりの足をしれっと枕にしている。
だがその穏やかな朝に、突如として雷鳴のごとき声が轟いた。
「よーし、今日は病院だよ~もちぃ~!」
……何を言っておるのだ。この女は。吾輩は夢の中でカリカリ山を登頂し、ちゅ~るの泉で泳いでいたはずである。急に現実に引き戻された。
「ビョウイン……? それはもしや、あの白き拷問の館のことではないか……」
そう。ご主人様は、笑顔で宣告したのだ。ワクチン接種の日であると。
「に゛ゃあああああ!(吾輩は聞いておらんぞ!)」
悲鳴を上げて全力で逃走する吾輩。
だが、敵は寝坊しがちなOLにして意外と筋肉質。毛布ごと捕縛され、なすすべもなくキャリーケースに押し込まれた。
「くっ……これが“人間の暴力”か……」
道中のバスでは脱出ルートを探すも、外は完全密閉。ご主人様は嬉しそうに隣の席でスマホをいじっている。「今日は頑張ったらちゅ~る3本ね♪」と、甘い言葉で釣ろうとするが、吾輩の警戒心はMAXである。
そして、到着したのは――
「おはようございます、もちちゃん~」
白衣を着た笑顔の魔術師。
神田先生がにこやかに現れた。
そう、この人間こそ、吾輩の尊厳と尾を何度も脅かしてきた獣医である。
「元気そうですね~、さっそく診ましょうか」
ご主人様は「よろしくお願いします~!」と元気よく頭を下げるが、吾輩は断固拒否の構え。
「や、やめたまえ!吾輩は今日そういう気分ではないのである!」
無論、誰も聞いちゃいない。
キャリーから無理やり引っ張り出され、冷たい診察台の上へ。まずは体重。3.6キロ。うむ、最近食べすぎた気がしていたが、やはり増えていたか。
「じゃあ、次は体温測りますね~」
「それだけはやめろーーーッ!」
結果:敗北。
肛門にそっと突き刺さる異物に、吾輩の尊厳がまたひとつ失われた。
「体温OKですね、ではワクチン打ちますよ~」
きた、本命。銀色の細い針が、冷たい光を放つ。背中がゾワリとする。
「ぐぬぬ……やるなら早くやれ……!」
先生にホールドされ、みのりが手を握ってくれる。なぜかご主人の顔がにやけているのが気に入らぬが、もはやそれどころではない。
チクリ。
「にゃっ……うぅ……」
一瞬の痛み。だが、それ以上に精神的ダメージが大きい。
「よく頑張ったね、もちちゃん!えらいぞ~!」
「ご褒美に帰ったらちゅ~るだよ♪」
帰り道、バスの中でぐったりする吾輩。キャリーの中で、もはや魂が抜けかけていたが、「ちゅ~る」という言葉にピクリと反応。
「ちゅ~る……それは、まだこの世界に希望がある証である……」
帰宅後、ご主人様が本当にちゅ~るを出してくれる。
ぷしゅっと開かれた瞬間、我知らず駆け寄ってしまった吾輩。
「……痛みの記憶は薄れる。しかし、そばにご主人様がいたことは覚えている」
みのりの膝の上に乗りながら、ぺろぺろとちゅ~るを舐める。見上げれば、笑顔の彼女。
「……吾輩、この人のこと、好きである。ワクチンは許さぬが、彼女は許す」
そして、その夜。みのりの布団の上で、堂々と腹を見せて眠る吾輩であった。




