二十五
いつの間にか庭奥の薔薇園まで来ていて、そこは迷路のような造りになっていた。私はそれに何故か既視感があって、つい周囲に気を取られて、いつの間にかクリス様を見失ってしまった。私は足を止めて周囲を見遣った。
――ああ、これって見覚えがあるような気が……。
「アーシア様。お一人では危険ですよ。我が家もセキュリティには十分気をつけておりますが、ご令嬢が付き添いもなく歩かれるのはあまり感心しませんね」
それは私の真後ろから聞こえてきたのだった。私は驚いて思わず飛び上がりそうになった。そして、後ろを振り返ってるとクリス様がいらっしゃった。
「ご、ごめんなさい。つい……」
「つい?」
クリス様はその幼げながらセクシーな面立ちに怪訝そうな表情を浮かべていた。
――ええ、あなたが男か女か確かめたかったというか……。
私はクリス様のお姿で確認したいけれど、クリス様は今日もきっちりとした服を着込んでいた。
これは、あれか、直に触らないと分かりそうもないかも……。さりげなく倒れたふりをしてクリス様に触れるしかないでしょう!
私の邪な考えにクリス様は悩ましげな表情で私を見つめて口を開いた。
「……アーシア様はお気をつけられた方がよろしいかと……」
「何のことでしょうか?」
私は自分の考えが見透かされたのではとかなり焦りつつ訊ねてみた。でもクリス様の様子が腹黒お兄様や最近のユリアン様の様子に近い雰囲気に変わったことに気がついた。
――あれ? 私って、なんかクリス様の地雷を踏んだ?
クリス様はなおも私をじっと眺めていた。そんなに見なくても今日の私は完璧な令嬢姿でしてよ? きゅっとくびれたウエストは侍女達に感嘆の溜息をついておりましたし、胸元はちゃんと上げて寄せましたよ? だから谷間も綺麗に見えている筈です。それはそれはとても芸術的な作品に仕上がっていることを自信を持って宣言いたします。
「このようなところに未婚のご令嬢が男性と二人きり。それも未婚のご令嬢がこんな風に無防備に男性と二人きりになるものではありませんよ?」
「……男性?」
まさかと言うべきか、やはり、と言うべきなのか、クリス様は男性? でもね。クリス様はまるで捕食者のような眼で私を射抜いているのよ。……あれ? 私は何かいけないことになってる?
クリス様はその美貌に笑みを浮かべていて、どんな思惑があるのかは読み取れなかった。私の後ろは薔薇園。追い詰められて逃げ込む定番の場所。思いだした。ここはクリス様ルートの薔薇園なのよ!
そう、そこは『ゆるハー』のイベントの舞台。薔薇園の一角には東屋があって、クリス様ルートのときは何度か出てくる重要な場所。『ゆるハー』の中の可愛いショタ系美少年のクリス様とはここでこっそりデートをする。その中には結構やばいシーンがあったのよねぇ。
でも、ここはまだ薔薇園の迷路の入り口、幸いなことに二人を見ている者はいないから全力で逃げよう。
私は薔薇園でなく、さっきの会場へと戻ろうと考えた。だけどクリス様が私の手を引いて、薔薇園の奥へと誘ってきたのよ。これはちょっと危険な感じ。やっぱり、ムチの出番?
だって、この世界のクリス様って、多分もう大人だと思う。何だか経験者の特有のセクシーさを感じるんだもん。結構手馴れている感じよ。
「ふっ。面白い。あなたはユリアン様の大切な方だから、私としても眼中にありませんでしたが、侯爵令嬢である、あなたがこのように無防備だと私も考えなければなりません」
「な、何をですか……」
故かクリス様は無駄にセクシーさを垂れ流しながら私の手を引っ張って薔薇園の中に入ろうとする。だからクリス様の仰った言葉をもっと追及したかったのだけどここで足を踏ん張るだけで精一杯。華奢にみてても力が強い。女性じゃないわ。これは。
「お恥ずかしいことですが、我が家は子爵として名門の部類には入りますが財政的には今非常に厳しいものです」
はあ、それが、何か? 貴族としてはよくあることですよね。
クリス様は苦々しい表情をして続けた。
「だから、少々身分に問題があっても裕福なご令嬢との縁談を探しておりました。今回のガーデン・パーティもその一環です」
……まあ、それは仕方がないでしょうね。貴族の嫡男としてはお家存続のために頑張らないとね。で、それが、何か? 私に何の関係があると?
きょとんとして私は彼を眺めるとクリス様はとても嬉しそうな表情をされた。
「あなたは名門侯爵家のご令嬢、身分と言い、財政的にも広大な領地をお持ちで、何ら問題の無いお方です」
そんなに褒めていただいても、何もでませんよ? 私は領地のことは何も知らない。何と言っても今は非常に優秀なルークお兄様が我が家の全てを牛耳っております。
「それが、私に、何の……」
「お分かりになりませんか? 私のターゲットはあなたになったと……」
は? 彼は何を? ターゲット?
「ターゲットと仰られても……」
私はそう口にするのがやっとだった。
「ふふ、今のこの状況を私が他の方にお話するとあなたの評判はとんでもないことになるでしょうね。今、この状態でも見られるとね。どうなるかお分かりになりませんか?」
「あ……。そ、それは……」
未婚の女性が男性と二人きりと言うことなら社交界では噂だけでもアウトだわ。クリス様って。少し力を抜いてしまった私はクリス様の引っ張られるままに薔薇園の迷路に一歩踏み込みそうになった。
もう、こうなったら、こっちもムチの出番よね。アーシアのムチは唸るのよっ!
その時にきゃややああと大きな歓声が庭の方から聞こえてきた。クリス様もその声に驚き戸惑っていたけれど、少しの躊躇の後、私の手を放して声のした方に駆け足で戻られた。
よ、良かった。ムチの出番は無かったようだけど。やっぱり携帯しておくべきね。それにしても、クリス様はとんでもない方だった。没落貴族は良くあることで裕福な嫁を求めるのも良くあるわ。それを非難はできないけど。私の何処かで何かが引っ掛かっていた。喉元のそこまで出かかるような感じだけど。
私も来た道をゆっくり戻った。何事かと思えば……。庭の一角にはご令嬢方が集まっていた。主催のクリス様など消し飛ぶ勢いだった。きゃあきゃあと上がる歓声と華やかな雰囲気。令嬢方のドレスがくるくると鮮やかな色を振りまいている。
「……やはりアーシア様がいらしているから……」
「お忙しいところでしょうに……」
そんな言葉が聞こえる。
「いあや、私としたことが、少し遅れてしまったようだ。今日は副大臣と打ち合わせをしていて……」
令嬢方の取り巻きの輪の中から良く通る聞きなれた声がした。きゃっきゃうふふと楽しそうな声に交じってお嬢様方に囲まれているルークお兄様がいた。それは、この場の男性陣など蹴散らしてしまう勢いだった。今日はこれないと言ってた筈なのにっ。
お兄様は私を素早く見つけると微笑みを浮かべた。周囲のご令嬢はそれにぽっと頬を染めている。もう、周囲の男性は霞んでしまっていた。
まあ、お兄様は名門侯爵家の嫡男でまだ婚約者もいないみたいだし、見た目は超絶美男子ですし、年頃の御嬢さんの超お買い得物件ですけどねぇ。
お兄様は私を見つけると優雅に立ち上がった。その立ち姿も優雅な我が家のお母様を彷彿とさせた。
「アーシア、遅いから心配で迎えに来たよ」
いいえ、今来たばかりですけど。そして、ユリアン様も私の隣に駆け寄ってきて、クリス様もその横に並ばれた。
「ルークお義兄さん、私が責任もってお家まで送り届けるというお約束です」
「そうだったかな? いや、私の方も丁度予定が早く終わってね。顔を出したまでだよ。迷惑だったかな?」
「迷惑など! 侯爵家のご嫡男であられるルーク様に当家におみ足を運んで頂けるなど光栄です」
「へえ、君は、ユリアンくんの友人かな?」
「失礼いたしました。レイン子爵の息子のクリスと申します。どうぞお見知りおきを」
クリス様と挨拶を交わすとルークお兄様はその妖艶なアメジストの瞳を細めて、大人な感じの微笑みを浮かべていた。そのせいで、お兄様の近くのご令嬢方は悶絶寸前だった。
「アーシアは社交には初めてだから、つい心配してしまってね。兄馬鹿かな」
私は周囲にこれ以上被害がでないようにお兄様に近寄った。
「お兄様ったら、ユリアン様がいらっしゃるから大丈夫でしたのに。でも、お兄様が迎えに来てくださったなら、帰りますわ」
実は危ないところだったから助かった。それにもう私の今日の目的は達したからいいの。クリス様は男だ。




