外来種問題 2
アルティとの通信を終えると、隣に座っていた細身の男が声をかけてきた。
細い目に、いつも飄々とした態度。どこか胡散臭さを感じさせる男だが、これでもれっきとした魔法学園の教師だ。
「アルティからですかい?」
「ああ。まったく、世話が焼ける」
「無事だったんだから、よかったじゃないですか。心配だったんでしょう?」
「ポート、軽口はそれくらいにしろ。この先の斥候を頼めるか?」
「素直じゃないなぁ。了解、お安い御用で」
ポートは立ち上がると、そのまま森の奥へ歩き出した。そして、ほんの一度瞬きをした間に、その姿は木々の向こうへ消えていた。
俺は残った教師や衛兵、生徒たちを見回す。
総勢二十人ほどの一団は、軽食を取ったり、仲間同士で雑談を交わしたりと、それぞれ休息の時間を過ごしていた。疲労の色こそ見えるものの、まだ士気は落ちていない。
ここまでの道のりは、予想以上に難航していた。
なにせ、巨大樹の出現に縄張りを追われた魔物たちが、森の奥から次々とこちらへ逃げてくるのだ。進むたびに戦闘を余儀なくされ、普段なら避けて通れる魔物まで相手にする羽目になった。
幸い、怪我人は少なく、物資にもまだ余裕がある。
「皆の者! 目標はもう目の前だ! 最後まで油断するなよ!」
後ろに続く生徒たちへ声を張る。
もちろん、選りすぐりの生徒たちだ。足手まといなどではない。だが、まだまだひよっこだ。こういうときこそ、気を引き締めさせねばならん。
休憩を終え、俺たちは再び森の奥へ進み始めた。
禁忌の森には大小いくつもの山が連なっている。平地を進むようにはいかず、どうしても移動には時間がかかる。
そのため今回の調査隊は、身体強化を得意とする生徒を中心に選抜していた。
そのおかげか、かなり時間を短縮することができた。
見上げれば、すでに巨大樹の傘の下へ入り込んでいる。
(あれだけでかいと、距離が掴みづらくてかなわん……)
先頭を歩きながらぼやいていると、30mほど先の木々の隙間に、妙に大きな茶色い塊が見えた。
近づいてみると、それはあの巨大樹の根によって押し上げられた地面だった。
人の背丈を優に超える高さまで隆起し、道を完全に塞いでいる。
俺は拳を上げ、後続へ停止の合図を送った。
「まいったな、これは」
妙に静かだった。
さっきまで遠くから聞こえていた魔物の鳴き声も、いつの間にか消えている。
隆起した地面を見上げていると、その上からポートが姿を現した。
「ガドルさん! こっちは駄目だ! 逃げろ!」
そう言い切るより早く、石を荒く削って作られた槍がポートの肩を貫いた。
「ぐっ……!」
「ポート!!」
衝撃で壁の上から落ちたポートを、咄嗟に受け止める。
後ろで生徒たちがどよめいた。
教師と衛兵たちは即座に武器を構え、周囲へ視線を走らせる。
肩には大きな穴が開き、そこから血が滲み、腕を伝って滴り落ちている。
ポートは苦悶に顔を歪めながら、反対の手で傷口を押さえた。
「この先で……見たことのない魔物と遭遇した……。すぐ逃げたが……見つかった……。数も多い……。一旦、下がらせた方がいい!」
「報告はもういい! 総員! 周囲を警戒しながら後退しろ!」
俺は腰のポーチから、緑がかった白濁色の液体が入った小瓶を取り出した。
「……回復薬だ。飲めるな」
ポートの口元へ瓶を当て、中身を流し込む。
「っぐ……ほんとに、まっずい薬だな……」
「軽口を叩けるなら問題ないな。歩けるか?」
壁の向こうから、聞いたことのない鳴き声がしきりに響き始める。
「ギギギ……」
「ギャギャギャギャ!」
神経を逆撫でするような、まるでこちらを嘲笑うような声だった。
ポートの肩の傷は淡い光に包まれていた。出血は少しずつ弱まっているものの、傷そのものはまだ深く残っている。
「まずいな……。あいつら、壁を越えてくるぞ……!」
俺はポートを肩に担ぎ、魔力を全身へ巡らせる。
「『身体強化!』≪ストレングス≫」
一気に全身へ力が満ちる。
ポート一人を担いだ程度では、ほとんど重さを感じない。
この状態なら、しばらくは全力で走れる。
「一度、野営地まで走る! 荒くなるが文句は言うなよ!」
俺は隆起した壁を背に、隊へ合流するため一気に駆け出した。
野営地へ戻ると、ポートを衛兵に預け、学園へ戻るよう指示する。
野営地は、もともと少し開けていた場所を利用し、周囲の木々を切り払って広げてある。簡易テントが数張り並び、中央にはいくつか焚き火の跡が残っていた。
ただでさえ森の中は薄暗い。しかも日は傾き始め、巨大樹の傘が空を覆っているせいで、周囲は昼間よりずっと早く闇に沈みつつあった。
「総員! ここに警戒線を敷く! 急げ! 奴らは武器を使う! 飛翔物に注意せよ!」
俺は周囲を見回し、続けて声を張る。
「先生方は周囲を警戒! 生徒諸君は後方支援に回れ! 火は絶やすな! もうじき夜になる!」
(俺たちを追ってくるなら、まずここを通るはずだ。学園まで下がれば守りは固い。だが、正体も分からん連中をそのまま連れて帰るわけにはいかん。まずはここで動きを見る!)
「敵が現れても深追いはするな! いなしながら時間を稼ぐぞ!」
俺は背中の大剣を抜き放ち、切っ先を地面へ突き立てる。
それを合図にしたように、周囲の空気が一気に張り詰めた。
前方には、俺たちが行きに切り開いた細い道が残っている。二人が並んで通れる程度の幅だ。
その道の脇。
木の陰に、黒い影が一瞬だけ見えた。
だが、次の瞬間にはもう消えている。
「総員! 警戒!」
俺は大剣を引き抜き、周囲へ目を走らせる。
(今の黒い影……見覚えがない)
魔法学園に赴任して五十年。そのほとんどを、この禁忌の森と向き合ってきた。
この辺りに棲む魔物なら、ある程度は把握しているつもりだ。
だが、今のものは知らない。
ガサッ。
ガサッ。
周囲の木々の間を、何かが高速で飛び回っている。
姿を捉えようと目を向けるたび、別の場所で枝葉が揺れた。
「ギギ! ギギ!」
「ギャギャギャ!」
周囲のあちこちから、こだまするように魔物の声が響く。
数が多い。いったい何体いる……?
「ぐあっ!」
後方を警戒していた教師の悲鳴が上がった。
「ガドル! 弓だ! こいつら、弓を使うぞ!」
「総員! ゆっくり後退しろ!」
(まずいな……。夜になれば、こちらが完全に不利だ。姿すらまともに捉えられん相手に、暗闇は厄介すぎる!)
最初の矢を皮切りに、周囲から次々と矢が降り注ぐ。
教師や生徒たちは、それぞれ盾や魔法で防ぎながら、隊列を崩さず後退を始めた。
さすが、厳しい訓練を耐え抜いてきた上級生たちだ。突然の襲撃にも取り乱さず、冷静に対処している。
しかし、隊列の脇。
茂みの中から、小さな影が短剣を手に飛び出してきた。
影はそのまま隊列の中へ素早く潜り込み、すれ違いざまに次々と足を切りつけていく。
「ぐっ!」
「きゃあっ!」
隊の中から悲鳴が上がった。
「このっ!」
いち早く気づいた生徒の一人が、両刃の剣を突き出す。
刃が、小さな影の胴を捉えた。
「うっ!?」
突き刺された魔物は、人間よりはるかに小さい、小人のような姿をしていた。
肌はどす黒い緑色で、傷口からは紫色の血が噴き出している。
にもかかわらず、そいつは絶命していなかった。
急所を外れているのか、胴を貫かれたまま手足を激しく暴れさせ、耳障りな叫び声を上げる。
別の生徒が即座に片手を掲げる。
「炎柱!」
次の瞬間、その魔物を中心に炎の柱が立ち上がり、全身を一気に焼き尽くした。
周囲には、肉の焦げる不快な臭いが立ち込める。
「大丈夫か?」
「ああ……うっ……」
魔物を突き刺した生徒は、その場で堪えきれずに吐き出した。
「負傷者は隊列の中へ! 回復薬をありったけ使え! 脇を固めろ!」
俺は飛んでくる矢を大剣で叩き落としながら、隊列の脇から飛び込んでくる奴らを迎撃する。
(こいつら……狡猾だな。このままじゃ、じり貧だ)
大剣へ魔力を込めた、その時。
頭上を巨大な影が覆った。
轟音とともに地面へ叩きつけられ、土煙が一気に舞い上がる。
「……っ! 次から次へと!」
土煙の向こうから現れたのは、豚を思わせる頭部を持つ巨体だった。
小汚い胸当てと腰巻きを身につけ、腹は大きく前へせり出している。
その一方で脚は妙に短く、全体の印象は肥え太った豚そのものだった。
おそらく、俺の倍近くはある。
その太い腕には巨大な木製の棍棒が握られている。
「BOOOOOO!!!!」
魔物が、耳をつんざくような咆哮を上げた。
周囲の教師や生徒たちは思わず耳を塞ぎ、その場にうずくまる。
周囲にいた小柄な魔物たちも、この声に怯んだのか、矢の雨がぴたりと止まった。中には木から転げ落ちるものまでいる。
『身体強化』≪ストレングス≫を発動している俺は、咆哮を押し切るように地面を蹴った。
そのまま一気に間合いを詰め、大剣を振りかぶる。
だが、それに反応した巨体が、見た目に似合わぬ速さで棍棒を下段から振り上げた。
大剣と棍棒が激突する。
「ぐっ……!」
腕に凄まじい重さがのしかかる。
「総員!! 聞こえる者は聞け! 俺はこいつを抑える! 全員、そのまま撤退しろ!!」
俺は目の前の巨体を睨みつけたまま、さらに腕へ力を込めた。




