爪の垢は紅茶の香り
二人に案内された部屋では、アルティとモナが長くてふかふかした椅子に並んで座っていた。
モナはまだピィロを憑依させたままで、腕は大きな翼に、足は鳥の鉤爪に変わっている。
部屋の中には、大小さまざまな鉢植えがいくつも置かれていた。窓辺にも棚の上にも、見たことのあるものから知らないものまで、たくさんの植物が並んでいる。
奥に置かれた大きな机の向こうでは、灰色の髪をした長身の男性が椅子に腰かけ、こちらを見ていた。その傍らには、ルーカスと呼ばれていた人が静かに立っている。
「アルティ! モナ!」
私は二人のもとへ駆け寄った。
眼鏡をもらったおかげで、今度は二人の顔をしっかりと見ることができる。
アルティは大きな目をしていて、くっきりとした二重に、赤と青の異なる色の瞳がよく映えている。改めて見ると、びっくりするくらい整った顔をしていた。
(すごく、きれいな人だ……)
モナは眠たげな目をしているけれど、どこか母親のようなやさしい雰囲気がある。柔らかな目元と穏やかな表情を見ているだけで、こちらまでなんとなく落ち着いてくる。
「あなた、目が悪かったのね……。気づかなくてごめんなさい」
「ミズクちゃん、とってもきれいになったね~。すっごくかわいいよ~」
なんとなく褒められている気がして、頬がゆるんでしまう。
えへへ、とにやにやしていると、奥に座っていた灰色髪の男性が軽く咳払いをした。それだけで、少し緩んでいた空気がすっと引き締まる。
改めて彼の顔を見る。
切れ長の目はきりっとしているけれど、こちらを威圧するような鋭さはない。目元にはうっすらと疲れが滲み、頬にも少しだけ影が落ちていた。
灰色の長い髪は後ろでひとつにまとめられていて、その落ち着いた佇まいもあって、どこか年季を感じさせる人だった。
『私の言葉が分かるか?』
「!?」
私は思わず目を見開いた。
彼は、私がずっと使っていた言葉で、こちらに話しかけたのだ。
『分かるよ。あなたは誰……?』
問い返すと、灰色髪の男性も驚いたように目を見開いた。けれど、それも一瞬だった。すぐにその目には警戒の色が戻る。
『私はイグル・ホーク・フォレストロア。君は? どこから来た?』
『私は……ミズク・オウル・フォレストロア。アルバとハミンの娘……』
『すまない。どちらの名も、私には分からない。何より、私たちの一族以外にフォレストロアを名乗る者がいるなど、聞いたことがなかった。だから、とても驚いている』
アルティたちは、私たちが何を話しているのかさっぱり分からないらしく、私とイグルの顔を交互に見比べていた。
『それよりも、なぜこんな古い言葉を知っている? これは今では古代語と呼ばれるほど昔の言葉だ。どこで習った?』
『……習ってない。この言葉は、私たちがずっと使っていた言葉だよ……。今は違うみたいだけど……』
「……確定か」
イグルは小さくつぶやくと、席を立った。そのまま私の前まで歩いてくると、膝を折って目線の高さを合わせる。
『ミズク。君の身に何が起きたのかは、そこのアルティ君たちからある程度聞かせてもらった。この古代語を使えることも合わせれば、話はほぼ本当だと考えていいだろう』
一度、私の顔をまっすぐに見つめる。
『もう一度、君自身の口から聞かせてくれないか?』
私は、自分の身に起きたことをすべて話すことにした。
彼の目つきは厳しい。けれど、悪い人ではないと直感が告げている。
それに、彼もフォレストロアの人間だ。
この一族に何が起きたのか。
彼にも、知る権利があるのかもしれない。
赤い霧のこと。
一族に起きたこと。
私の身に起きたこと。
そして、世界j…ではなく大樹を出してしまったこと。
私は、覚えている限りのことをすべて彼に伝えた。
話が進むにつれて、イグルの顔色はみるみる悪くなっていく。そして最後まで聞き終えると、彼は無言のまま机へ戻り、小瓶を取り出した。
蓋を開け、中身を一息に飲み干す。
「アルティ君、モナ君。君たちには本当に感謝している。おかげで、あの森で何が起きているのか、おおよそ把握できた」
「ミズクはこちらで保護させてもらう。ああ、安心してほしい。彼女は、私以外で唯一の同族だ。フォレストロアの名に誓って、ふさわしい待遇を用意する」
「分かりました。何かありましたら、直接私かタイムス家へご連絡ください。すぐに駆けつけます」
「ゴート家も、できる限り協力いたします」
「恩に着る。君たちはこれから学園へ戻るのか? 食事くらいは用意するが」
「いえ、実は任務の途中でして……。すぐにここを発ちます」
「そうか。君たちなら、いつでも歓迎しよう」
「ありがとうございます。ミズク、私たちはもう行くね。また会おうね」
「ミズクちゃん、元気でね~。……すぐまた会えるから」
イグルが、二人の言葉を私にも分かるよう伝えてくれた。
(あ……帰っちゃうのか……)
私がイグルの顔を見ると、彼は小さく頷いた。
『助けてくれてありがとう。二人といるの、とても楽しかった! また会おうね!』
そう伝えると、イグルは私の言葉を二人にも分かる言葉へ直してくれた。
それを聞いたアルティとモナは笑顔になり、そのまま部屋を出ていった。
「ルーカス、お見送りを頼む」
『ミズク。君にはもう少し話を聞かせてもらいたい』
※
ミズクと別れ、今は学園へ向けて空を飛んでいた。
モナの肩をぽんぽんと叩いて合図を送り、かけていた『加速』を一度解除する。
「あ、なになに~? どうしたの~?」
「今日はずっと飛びっぱなしでしょ。疲れてない? 大丈夫?」
「ううん、まだ大丈夫だよ~。アルティは?」
「私は乗ってるだけだから……これくらい平気」
私の『加速』は、自分や触れている相手の時間を、好きな倍率で速める魔法だ。
とても便利な魔法だけれど、一つ問題がある。
たとえば二倍に加速すれば、外から見た私たちは二倍の速さで動くことができる。けれど、加速している本人に流れる時間まで二倍になる。
外では三十分しか経っていなくても、本人にとっては一時間を過ごしたことになるのだ。
戦闘なら、その一時間分の思考と行動を三十分に詰め込める。けれど、長距離の移動ではそうはいかない。
到着する時間は縮められても、本人が過ごす時間まで短くなるわけではない。
その点、モナの憑依魔法は、本人が言うにはかなり燃費がいいらしい。
憑依するときにこそ魔力を消費するものの、一度降ろしてしまえば、その状態を維持するための魔力は必要ないという。本人いわく、服を着る感覚に近いんだとか。
ピィロなら風魔法の消費も比較的少ない。
だからこそ、私たちは中等部の頃からずっと一緒に組んで訓練してきた。
最初の頃、私はモナに『加速』をかけるのがあまり好きじゃなかった。
外から見れば、ただ移動時間を縮めているだけ。けれど、加速しているモナ自身は、そのぶん余計に時間を過ごしている。
ほんの少しずつとはいえ、私の魔法でモナの寿命を削っているような気がしていた。
なら、自分にも『加速』をかければいい。そうすれば、二人で同じ時間を過ごせる。
けれど、二人分を維持するとなると魔力の消費が大きすぎる。行きだけならともかく、帰りまで考えると現実的じゃない。
それでも、任務によっては一秒でも早く辿り着くことで救える命がある。
そう教えられてから、私は少しずつ考え方を変えた。
……もっとも、当のモナ本人は、私ほど深刻には考えていなかったらしい。
「アルティが気にしすぎなんだよ~」
昔から、そんな調子だった。
「ミズクと、また会えるかな」
「会えるよ~。なんなら、ひょっこり魔法学園に入学してくるかもね~」
「それはそれで……問題が起きそうだね……」
「楽しくなるよ~」
それからしばらく、通常の速度で飛びながら話をして、『加速』を再開した。
太陽が傾き始めた頃、ようやく学園へ辿り着いた。
モナが速度を落とし、ゆっくりと校内の広場へ降り立つ。
すると、こちらに気づいた一人の生徒が走って近づいてきた。
金色の髪はゆるく波打ち、肩のあたりで揺れている。つり上がり気味の目と、すっと通った鼻筋のせいか、どこか気位の高そうな印象を受ける。
けれど、その顔立ちは文句なく整っていた。
「フェリシアだ~。ただいま~」
「フェリシア、お出迎えしてくれるなんて珍しいじゃない」
「ご冗談を。そんなことより、ガドル先生とはお会いできたのでしょうね? 通信が途絶えてから、先生方や上級生たちはすぐに出立されたんですのよ」
「う……そうだよね。いろいろあって……結局、会えてないんだ」
「何か厄介ごとに首を突っ込んだ、と見てよろしいんですのね? はぁ……」
彼女は眉間に指を当て、深くため息をついた。それから私たちを見やり、いかにもやれやれといった様子で口を開く。
「ガドル先生の通信機につながる魔結晶がありますから、早く帰還の報告をなさい。どちらにせよ、あの大樹の調査は必要です。先生方が戻ってくるのは数日後になるでしょう」
「りょーかい。今、持ってる?」
「ええ、もちろんですわ」
フェリシアは腰のポーチから灰色の魔結晶を取り出し、私へ差し出した。
受け取った魔結晶に魔力を流し込み、呼びかける。
「こちらアルティ。ガドル先生、聞こえますか? こちらアルティ!」
『おお! 無事だったか! 聞こえてるぞ! 言い訳はあとで聞く。まず、何があったのか説明せい!』
「……あの大樹の出現に驚いたフォレストホークに襲われ、その際に通信の魔結晶を紛失しました。モナも負傷し、憑依を解除せざるを得なくなったため、その日の再憑依ができず、現地で野営を行いました。なお、あの大樹の内部については、現時点で魔物が存在しないことを確認しています」
隣にいたフェリシアは、ちらりとモナへ目を向けると、さらに深いため息をついた。
モナは気まずそうに視線を逸らし、小さな声で謝る。
「……ごめんね~。話、合わせて~」
「あとで必ず説明すること。絶対ですわよ。今度こそ一筆書いてもらいますからね」
私は何事もなかったように通信を続ける。
「本日はモナに無理をさせないよう、午後に現地を出立し、『加速』も使わずに戻ってきたところです」
『分かった。いろいろ言いたいことはあるが、まあいい。とにかくモナの怪我を治せ。こちらは今、大樹の目と鼻の先まで来ている。調査が済み次第戻る。それまで学園を頼むぞ』
通信を終えると、魔結晶から光が消えた。
「で、何があったんですの?」
「長くなるから、寮でもいい?」
「分かりましたわ。でもその前に、あなたたち……土臭いですわよ。モナに至っては泥まみれ……。まずはお風呂に入って、着替えてらっしゃい」
私とモナはお互いの姿を見て、それから顔を見合わせて苦笑いした。
※
今はフェリシアの部屋で、三人でテーブルを囲んでいる。
テーブルの中央にはクッキーや小さなケーキが並び、紅茶まで用意されていた。
「では、話してもらいますわよ」
「分かった。最初は、あの大樹の周りを旋回してたときからなんだけど……」
ミズクに出会ったこと。
彼女が使った、私たちの知る植物魔法とはまるで違う魔法のこと。
彼女の身に起きたこと。そして、あの大樹を生み出したのがミズクだということ。
さらに、彼女がフォレストロア男爵と同じ名を持っていたことや、その領地へ連れていったことまで、包み隠さずすべて話した。
フェリシアは商家の出だ。
けれど、損得だけで人を見るような子じゃない。情に厚く、口も堅い。
私は、彼女なら信用できると思っている。
「それは……確かに、興味深い話ですわね。……それに、とてもお金の香りがしますわ」
(……やっぱり、信用しちゃいけなかったかもしれない)
「それにしても、厄介ごとを持ち込むのがお上手ですのね。正直、才能すら感じますわ」
「アルティ、才能あるって~。やったね~」
「褒められてないし、モナも入ってるからね?」
モナを横目で睨みながら、紅茶を一口飲む。
……うん。やっぱり、フェリシアが淹れてくれる紅茶が一番おいしい。
「それで? このあと、どうするおつもりですの? そのミズクという子を、いつまでも隠し通せると?」
「どうかなぁ。イグル男爵もしばらくは匿ってくれると思うし、痕跡も……あ」
「……そういえば~、あのツリーハウス、そのままだね~」
「痕跡だらけじゃありませんの!」
「いや、外からは見えない場所にあったと思うし、すぐには見つからないはず……。たぶん……」
「はぁ~~~……。詰めが甘いのも才能ではなくて?」
「アルティ~」
「モナもでしょ!」
フェリシアが、ぱん、と手を叩いた。
「はい、そこまで。あなた方の話ですと、ミズクは自分で生み出したものを消すことができるのですわよね?」
「でしたら、まずフォレストロア男爵のもとへ向かうこと。明日、モナが再び憑依魔法を使えるようになったら、すぐに行きなさい。いいですわね?」
「いいの?」
「いいも何もありませんわ。わたくしも、そのミズクという子には興味がありますもの」
フェリシアは紅茶のカップを置くと、少しだけ身を乗り出した。
「おいしかったのでしょう? 彼女の出す果実は」
その目が、きらりと輝く。
「商売の香りがしますわ~!」
私は、苦笑いを浮かべるしかなかった。
紅茶を一口飲み、クッキーをつまんでいると、ふとフェリシアが何かに気づいたように首を傾げた。
「……アルティ、モナ。ひとつ、聞いてもいいかしら?」
「ん~?」
「なに~?」
「ミズクなら、あの大樹も消せたのでは?」
「「……あ~」」
「はぁ~~~~~~~~」




