植え替え
加筆修正して一つにまとめ、続きも追加しました。これでこの話は工事完了です。
出せる。今度は**追加案を勝手に混ぜず、これまで本文として出た内容と、明示的に直した箇所だけ**でまとめる。
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「行くよ! お兄ちゃん!」
私は小剣を逆手に構え、背中から生やしたミアグラスプの触手をしならせながら、イグルを見据える。
「いつでもいいぞ。来い!」
その声を合図に、イグルめがけて駆け出した。ミアグラスプの触手を地面へ思いきり叩きつけ、その反動で一気に跳躍する。
イグルの頭上を取る。だが、彼は避けようとせず、真正面から受け止める構えを取った。
剣同士がぶつかり合う。私はその勢いのままイグルの背後へ降り、低い姿勢からミアグラスプの触手で足元を薙ぐ。
「よっ……と」
だが、彼はその場で軽く跳び上がり、あっさりと避けてしまった。空中で身体をひねり、こちらを見たイグルと目が合う。
(狙い通り! 空中なら……!)
ミアグラスプのもう片方の触手で、空中のイグルを狙う。だが、巻きつこうと迫った触手は、目にも止まらぬ速さで八つに切り刻まれてしまった。
「なっ!? なにそ――ふぎゃ!?」
ぱっかーん。
乾いた音を響かせながら、イグルの細剣を模した木刀が私の頭を叩いた。私はその場に倒れ、目を回してしまう。
「勝負あり! ですわ!」
フェリシアが間に入り、声高々に宣言した。
「ミズク! 大丈夫か? だいぶ勢いがついてしまったが……」
お兄ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。
「だいじょばない……」
メガネが大きくずれて、イグルの顔が歪んで見える。頭もくらくらするし、おでこにはたんこぶができてそうな気がする。
(というか、木剣なのにミアグラスプ切れちゃうってどういうことなの……!)
「立てるか?」
「むりぃ〜……」
横から、ぱちぱちと拍手をしながらフェリシアが近づいてきた。
「お二人とも、いい勝負でしたわ。イグル様も、さすがは元生徒会長ですわね。『風刃』の異名も健在といったところかしら」
「いや、昔のことはよしてくれ……。あの頃はだいぶ荒れていたから、あまり思い出したくない……」
(え、なにそれ……ちょっと気になる)
「ミズクもなかなかいい動きでしたわ。学園に来れば、もっと上達しますわよ」
「ありがと〜」
「言葉もかなり上達しましたわね。これなら、そろそろ学園へ入学してもよろしいのではなくて?」
「ああ、そのことなんだが、少し話しておきたいことがある。あとで応接室で話そう」
「ええ、分かりましたわ」
私はのっそりと起き上がり、ポーチに入れていたお手製の回復薬を取り出して飲む。
(うん、おいし……)
飲んですぐに、目眩もおでこの腫れもすっと引いていった。
「……あれについても、ちゃんとご説明くださるのですわよね?」
「……本人に聞いてくれ。俺はもう知らん……」
その後、私たちはフォレストロア邸の庭から応接室へ場所を移した。あのユグドラシル騒動から、もう半年。屋敷での暮らしにも、フォレストロアの町にも、すっかり慣れた。
今日は私の様子見と、グラドリップ魔法学園への入学について話すために、フェリシアが一人で来てくれていた。というか、ことあるごとに来ている。
「アルティたちと食べた果物を出しなさい!! 拒否権はありませんわ〜!!」
とか、
「イグル様に出した胃薬と同じものを百本納品しなさい!! 恩を忘れたとは言わせませんわよ!!」
とか。だいたい厄介事と一緒に。
それでも、アルティとモナも一緒に連れてきてくれるときがあるから、嫌ではない。ただ、お兄ちゃんの胃が心配なだけ。
ああ、そうそう。お兄ちゃんとは、正式に兄妹になった。おかげで町のみんなの前でお披露目されたり、派手なドレスを着せられて近隣の領地へ挨拶に回ったりと、いろいろあった。
私たちは応接室に入り、ソファへ腰を下ろした。私とお兄ちゃんが並んで座り、その正面にフェリシアが座る。
マリーとヘレンがお茶やお菓子を用意してくれている間、フェリシアがこちらへ声をかけてきた。
「ミズク、あなたがさっき飲んだ回復薬を見せなさい」
「うぇ……いいけど……。普通の回復薬だよ?」
ちょっと嫌な予感がする。
残っていたもう一本をフェリシアへ渡す。瓶は、お兄ちゃんが胃薬を入れるのに使っているものと同じ、透明な空き瓶を使わせてもらっている。蓋も、ただのコルクだ。
受け取ったフェリシアは、瓶の中に入った透明な薄緑色の液体を目の高さまで掲げ、じっくりと眺める。
「普通の回復薬は、あんなに早く治りませんわ。……本当に回復薬ですの?」
「え、これが普通じゃないの?」
「いいえ。こちらが一般に流通している回復薬ですわ」
机の上に置かれた回復薬は、私のものより一回り小さい。瓶には派手な装飾が施され、蓋にもガラスが使われていて、そこにも細かな意匠が入っていた。
中の液体は薄緑がかった乳白色で、見るからにどろりとしている。
「……なにこれ?」
「飲んでもいいですわよ。ついでに、何が使われているのか教えてほしいくらいですわ」
一度お兄ちゃんの顔を見ると、無言で頷いた。テーブルには、すでに湯気を立てるお茶が用意されている。まずくても、これがあるなら安心だ。
蓋を開けて中を覗く。
「うっ……くっさ……」
薬草の青臭さに、湿った土と古い布の臭いを混ぜたような……。思わず顔をきゅっとしかめてしまう。
「いただきます……」
口の中へ一気に流し込む。
「!??!?」
(まっっっっっずい!!!)
身体がこれを解析し終えるまで、この味に耐えないといけないの!? ありえない!!
いや、落ち着けミズク。もっとまずいものがあったはず! 思い出せ、思い出せ……。
密林で食べた赤いキノコ。舌が燃えるみたいに熱くなった。霧の深い森で食べた変な根っこの草。あれは世界一苦かった……。
(でもこれもまずい!!!)
口の中の液体が消えると、私はすぐに紅茶を一気にあおった。
「あっっっつい!!」
舌やけどした~~~……。
私の様子を見て、フェリシアもお兄ちゃんもうんうんと頷いている。
「分かるぞ。最初に飲んだ時は、みんなそんな反応をする。だから怪我をしないよう必死に訓練するんだ」
「怪我をした人に飲ませるのを、ひそかに楽しみにしている人もいるくらいですわ」
二人の言うこともよく分かる。こんなもの、もう二度と飲みたくない……。
しばらくすると解析が終わったのか、頭の中に使われている素材のイメージが次々と浮かんできた。
(あれ……私のと、ほとんど変わらない?)
マンドラゴラの根、レアセンブリの花、モーリュの葉、他数種……。どれも私の回復薬にも使っている素材だ。
(ってことは、違う素材が原因……? でも、ほかの素材も別の薬では普通に使うものだし……。じゃあ、問題は調合の過程……?)
昔、村でも大人たちが回復薬を作っていた。でも、あんなふうに白く濁ってはいなかった気がする。
……気になる。ものすごく気になる。
「何かわかりましたの?」
フェリシアが、こめかみを両拳でぐりぐり押しながら唸っている私に、しびれを切らしたらしい。
「あっ、ごめん。えっと……たぶん、使ってる植物は私が作るものとほとんど変わらないと思う。植物以外の材料は分からないけど……水とか、ほかのものが違う可能性もあるから……」
「なるほど。確かに、その可能性はありますわね」
「さすがに分かるのは植物だけですのね。まあ、いいですわ。いずれ私たちの前で実際に作っていただきます」
「ええ~……」
「これが市販できれば、市場をほぼ独占できますもの」
「またお金儲けの顔してる……」
「回復薬の話はその辺でいいか? 本題に入りたいんだが……」
「ええ、そうでしたわね。私としたことが、つい……。学園入学の件でしたわね」
「ああ。ミズクを入学させることには私も賛成だ。本人も行きたがっているしな。ただ、条件……いや、いくつか制限を設けさせてもらいたい。これはミズク本人とも話し合って決めたことだ」
「ええ。聞かせてくださいまし」
お兄ちゃんと私が話し合って決めた制限。それは、植物の無制限な生成と、薬品生成についてだ。
緊急時を除き、むやみに植物を生み出さないこと。そして、ミアグラスプを使った薬品生成を人前で行わないこと。
どちらも、今の時代ではあまりに異質だ。人前で見せれば、余計な混乱を招きかねない。
「緊急時というのは? 誰が決めますの?」
「……ミズクの裁量に任せる」
「信用してよろしいんですわよね……?」
「二人とも信用してよ!?」
とはいえ、あんな騒動を巻き起こした私の言葉なんて、綿毛みたいに軽いんだろうな……。トホホ……。
でも、この半年はかなりおとなしく過ごしてたと思うよ!
「その制限に関しては概ね賛成ですわ。というか、私の方からお願いしようと思っていたくらいですもの。ミズクが作れる植物には、おそらく毒だけでなく、幻惑、麻痺、興奮作用を持つものも含まれているでしょう。もし犯罪組織の耳にでも入れば、確実に狙われますわ。ただでさえ、『どんな植物でも、種さえあれば育てられる』なんて話が出回っていますもの。危険すぎますわ」
「話が早くて助かる。ところで、入学時期はもう決まっているのか?」
「ええ。現在、学園は休暇中ですわ。ですので、七月からの編入ということで話を進めていますの」
「あと二週間くらいか。承知した。ミズク、勉強時間を増やすぞ」
「分かった! 任せて!」
昔の私は、雨季と乾季くらいしか数えていなかったけど、今では一年を十二か月に分けているらしい。一月は三十日で、それを十二回繰り返して一年になるんだとか。
なんでも、星の巡りと太陽の動きをもとに決められたらしい。よく分かんないけど、理解はできる。
それとは別に「四季」というものもあって、春、夏、秋、冬の四つに分かれているんだとか。魔法の四元素、地、火、風、水のうち、どの属性が最も強くなる時期なのかで季節が決まるらしい。
今は火の魔力が最も強まる時期。
だから、夏なんだって。
そんなことより、今までで一番驚いたのは、私が地中にいた期間が、なんと千年以上にもなるらしいことだ。
そんなに長く埋もれてたとは……。体感では、数百年くらいだった気がするんだけど……。
その後、私はフェリシアが連れてきた人に、制服を作るための採寸をされ、いくつか書簡も書かされた。
あれから毎日おなかいっぱい食べさせてもらっているけど、どうやらあんまり成長していないらしい。
読み書きも、ルーカスやフェリシアの紹介で来た家庭教師にみっちり教え込まれた。でも、大昔に覚えた言葉のとっかかりが残っていたおかげで、それほど苦労はしなかった。
フェリシアからも「これだけできれば、学園で苦労することはありませんわね」とお墨付きをもらっている。
学園生活、楽しみだな。
※
どことも知れない暗い部屋。一本の蝋燭だけが、ぼんやりと周囲を照らしている。
中央に置かれた丸テーブルを囲むように、四人の人影が座っていた。
「計画は……?」
「順調なの〜」
「こほんっ」
「あ、えっと……順調だ。問題ない」
「しかし、大丈夫なのか……? 大きな戦いになるぞ……」
四人とも目深にフードをかぶっており、その表情を窺うことはできない。
「…………問題ない。引き続き、計画を進めたまえ。失敗は許されない。ミズクが学園に入学したら、何としても確保するのだ」
※
私はイグルお兄ちゃんと一緒に馬車に揺られながら、朝一で学園に向かっていた。
新品の制服を着た私は、朝からずっとウキウキしている。制服は緑の生地に金の縁取りが施されたブレザーで、胸元には木をモチーフにした学章が刺繍されている。私のものだけはミアグラスプを出せるよう、背中がぱっくりと開く特別仕様だ。それを隠すため、上から長めの黒いフード付きローブを羽織っている。
ボトムスはスカートとパンツから選べたので、私はアルティたちと同じスカートにした。今は膝より下まである長めのスカートに、黒いストッキングを履いている。
私は十六歳の高等部生として編入する、ということで話を通してくれているらしい。魔法学園には十歳から入学し、三年ごとに初等部、中等部、高等部と上がっていき、十八歳で卒業するんだとか。
そんな私を尻目に、お兄ちゃんの顔色はどこかすぐれない。
「どうかした? 妹と別れるのがそんなにつらい?」
「いや、それもないと言えば嘘になるが……。嫌な予感がする。あの学園のことだ。おそらく……いや、確実に、お前のことは噂になっているだろう」
「え、有名人ってこと?」
「それで済めばいいな……」
馬車の窓から外を眺めていると、雄大な草原の景色から、いくつかの村を抜け、数時間ほどで魔法学園に隣接する街へ着いた。
街にはさまざまな商業施設が集まっていて、基本的なものなら何でも揃うとお兄ちゃんが言っていた。人通りも多く、それなりに賑わっている。
学生たちの姿が見えないのは、今が授業中だかららしい。夕方になれば、街中が学生だらけになるという。
そこから大通りをしばらく進むと、魔法学園の正門へ着いた。
もともとは砦として築かれた場所で、そこから何度も増改築を重ね、現在の魔法学園の形になったらしい。
目の前には巨大な城門がそびえ、その両側から学園をぐるりと囲うように高い壁が続いている。さらにその向こうには、壁よりも高い建物がいくつも見えた。
(確か、私が見たころはもっと小さかった気がする。こんなに高い塔もなかったような……)
まあ、いつからか見なくなったから、その後に増えたのかもしれないけど……。
馬車台にいるルーカスが門番とやり取りをすると、やがて門が開かれた。
そのまま中へ馬車を進ませると、かなり開けた石畳の空間が広がっていた。正面には幅の広い道が伸び、その脇には大小さまざまな建物が立ち並んでいる。
そのまま馬車を進ませ、敷地内でひときわ大きな、三つほどの棟が連なる建物の前で止まった。
イグルと一緒に馬車を降りると、私はその大きさに圧倒されてしまった。
「うわぁ……こんな大きな建物、初めて見た……」
「俺も来るのは数十年ぶりか。先生たちは健在だろうな……。行くぞ。ルーカスは荷物を寮へ持っていってくれ。寮長にはもう話がついているはずだ」
「承知いたしました」
私たちはルーカスと別れ、建物の中へ入った。そのまま奥へ進んでいくと、途中には回廊があり、その先には広々とした中庭まであった。
「すごい広いねえ。迷いそう……」
「ああ。だから初等部の生徒は、必ず中等部以上の生徒と一緒に行動する決まりになっている。正直、俺も全部の部屋を把握しているわけじゃない。増改築を重ねた結果だな」
そのまま階段を上ったり、長い廊下を歩いたりしながら進んでいると、やがて応接室らしき部屋の前にたどり着いた。
「ここからはミズク一人だ。俺はここで待ってるから、行ってこい」
「分かった……。行ってくるね」
私は木製の大きな扉を開き、中へ入る。
中には、うちの応接室と同じように机が置かれ、その両側に向かい合う形でソファが並んでいた。
奥のソファには、小さな丸眼鏡をかけ、とても長い口髭を垂らしたおじさんが座っている。
「いらっしゃい。君がミズク・オウル・フォレストロアかな?」
声は優しそうだけど、こちらを値踏みするような、どこかフェリシアに似た目をしている。
「あ、はい! フォレストロア領のミズク・オウル・フォレストロアです!」
私は事前に練習していた挨拶を口にして、お辞儀をした。ここでは貴族とか、そういった身分は関係ないので、カーテシーはしなくていいらしい。
「ふむ、よろしい。お掛けなさい」
「失礼いたします」
私はソファへ腰かける。緊張のせいで、少し声が上ずってしまった。
「そんなに緊張せんでも大丈夫だ。取って食おうなんて思っておらん。儂はここの校長をしておる、アンドルフ・スプリングフィールドだ」
アンドルフと名乗ったおじさんが指をひょいひょいと動かすと、机の上に置かれていたティーポットがふわりと宙に浮き、ひとりでにカップへ紅茶を注いだ。
「砂糖はいるかな?」
「あ、はい……」
私が返事をすると、今度は角砂糖がふわりと浮かび、そのままカップの中へ落ちていく。スプーンまで勝手に動き出し、くるくると紅茶をかき混ぜ始めた。
こんな魔法は初めて見た。
「さて、今日から君はこの学園の一員となるわけだが……君は、何のためにここで学ぶ?」
校長先生は少し間を置いて、続けた。
「理由は人それぞれだ。だが、芯がなければ、ただ無為に時間を過ごすことになる。だから聞かせてほしい。君の芯となるものは、なんだ?」
校長先生の問いに、私は俯いて考える。
何のため……か。
私は、ただ楽しそうだから。フェリシアに勧められたから。アルティとモナに会いたいから。そんな理由でここに来た。
けれど、先生が聞きたいのは、たぶんそういうことじゃない。
私の芯となるもの……それは……。
「この森の謎を……この世界の謎を、明らかにしたい……です」
少し自信はなかった。それでも、私は先生の目をまっすぐ見て答えた。
そうだ。
一族が消えた理由。私がなぜ千年ものあいだ、土の中にいなければならなかったのか。
それを、明らかにしたい。
「ほう、世界の謎とな。それはなかなか面白い芯だ。よかろう。まだまだ、この世界には魔法の謎も多い。先日の事件もそうだ。ユグドラシル、そして謎の魔物……。それらも含めて、いつか解き明かしてもらいたいものだ。なあ、ミズクよ」
(あ、そうですよね。私も当事者ってことになってますよね〜。こえぇ〜……)
額に、たらりと汗が伝う。
「そうだ、ミズクよ。試験というわけではないが、君の実力を見ておきたい。フェリシアから話は聞いているが、やはりこの目で確かめておきたいのでな。ここに種が一つある。何の種かは秘密だ。これを成長させてみたまえ」
机の上に置かれていたのは、クルミよりも大きく、硬そうな殻に覆われた種だった。
(これは……なんだろう……)
私の脳内植物図鑑にも、当てはまるものがない。
まあ、あまり気にしても仕方がない。
「分かりました……」
私は片手を種にかざす。魔力を流し込むと、種の下に小さな魔法陣が浮かび上がった。
そのまま、心の中で「育て」と念じる。
種はゆっくりと芽を出し、そのままぐんぐん成長していく。
どんどん成長して……成長して……。
(ちょっと待って。これ、どこまで成長するの?)
「ほう……」
やがて芽は太い蔦へと変わり、それが何本も絡み合いながら、みるみるうちに上へ伸びていく。
蔦はついに天井へ達し、そのまま突き破って上の階まで押し上げ始めた。
机はすでにその重さに耐えきれず、無残に潰れている。足元では、いつの間にか根まで床板の隙間を割って潜り込み、下の階へ伸びているようだった。
「あ、アンドルフ先生! これ、どこまで続ければいいんですか? 先生?」
「はっはっは」
(笑ってないで止めて!?)
結局、上下二階分を貫通するほど伸びたところで、別の先生に止められた。
そのあと、校長先生と一緒にめちゃくちゃ怒られた。
校長先生は「儂、悪くないし……ミズク君がやったんだし……」と、子供みたいな言い訳をしていた。
私の中で、校長先生の株は大幅に下がった。
(なんだこのジジイは……)
そして、その惨状を見たお兄ちゃんは顔を真っ青にして、胃薬をあおった。
そのあと、植物を消すところまで見せることになった。
種から育てた植物は、消すと元の種ごと跡形もなく消えてしまった。
「後の処理はこちらでやっておこう。今日はもう寮へ戻りなさい。明日からみんなと一緒に授業が始まるぞ。準備をしておきたまえ。ああ、あと……武運を祈っておる」
「武運……?」
頭の上に?を浮かべながら、部屋を後にした。
「ミズク、早速やったな……。まあ、あれは校長が八割悪いんだが……。はあ……」
「大丈夫……? 胃薬、追加しておく?」
「いや、大丈夫だ。むしろ、お前が必要になるかもな……」
お兄ちゃんまで不穏なことを言う。
え、このあと何があるの……?
静まり返った中央棟を歩き、入ってきた入口から外へ出た。
「おい! 新入生が来たぞ! あれが噂の新入生だ!」
「薬学部に入ってくれ! 君の才能が必要だ!」
「いや、園芸部よ!! 絶対に園芸部に入るべきなの!!」
「いや、テニヌ部に入るべきだ! 君なら世界を狙える!」
「黙れ変態球技部!! 君はコミック同好会に入るべきだ!」
「ナードは引っ込んでろ! 魔法研究部に来たまえ! ともに魔法の神髄を見つけようではないか!」
「ぎゃああああああ!?」
大量の生徒たちが私を取り囲み、腕やローブを好き勝手に引っ張ってくる。
(ちぎれる! いろいろちぎれる!)
人混みの向こうには、野次馬らしき生徒たちまで集まっている。
(なにが、どうなってるの!?)
「お兄ちゃん! 助けて!」
お兄ちゃんの姿を探すと、少し離れたところで微笑みながらこちらを見ていた。
(見放すのか!? 妹のピンチを!)
もはやこれまで、と思った矢先。
ふっと頭上から影が落ちた。
そう思った次の瞬間、身体がふわりと持ち上がる。
気づけば私は、空の上にいた。
咄嗟に上を向くと、見覚えのある翼を持った少女が、私の肩を鉤爪でがっしりと掴んでいた。
「モナ!!!」
「久しぶり〜。危ないところだったね〜」
「生徒会だ!! 新入生を囲う気だ! 打ち落とせ!」
(なんか物騒なこと言ってる!?)
「ミズクちゃん〜。舌噛むから、しゃべらないでね〜」
下から火の玉や硬そうな球、氷のつぶてまで、いろいろなものが飛んでくる。
モナはそれらを、くるりと旋回したり、宙返りしたりしながら次々とかわしていく。
私を掴んだまま。
「酔う! モナもっとゆっくり!! 気持ち悪い!!」
「我慢してね〜」
まずは人混みの中心から私を引き剥がすのが目的らしい。
それにしたって、攻撃が激しすぎる。
そのまま飛んでくるものを避けながら進んでいくと、モナが突然、
「攻撃やばいから、落とすね〜」
と言って、空中で私を放した。
「ぎゃあああああああ!?」
(あ、私、死ぬんだ……)
「よっと」
「ぐえっ」
死を覚悟したその瞬間、誰かに横から抱え込まれるようにして、空中で受け止められた。
それでも、落ちていることに変わりはない。
抱きかかえられたまま地面へ落ちると思い、ぎゅっと目をつぶる。
けれど次の瞬間、身体がふわりと軽くなり、そのまま柔らかく地面へ着地した。
「お前、軽いな! ちゃんと飯食ってるのか?」
声の主は、茶色い短髪の男子生徒だった。細身ではあるが、身体の芯はしっかりしていて、見た目以上に力がありそうだ。
「な、何が起きてるの……?」
「みんな噂の新入生が欲しいのさ。まだ追ってくるからな、移動するぞ」
私は肩に抱えられたまま、中央棟とは別の校舎へと運ばれていった。
正面には階段があり、左右には廊下が伸びている。しかも、その先には別の生徒たちが待ち伏せしていた。
「いたぞ! ダリアスと一緒だ!」
「我ら調理部の一員にーーー!!」
「おいおい、どこにでもいるな!」
階段を上がり、そのまま廊下を駆けていく。
私を抱えているダリアスと呼ばれた男子生徒は、ふいに振り返って床へ手を触れた。
足元に黄色い魔法陣が浮かび上がる。
「壁!」
直後、床から壁がせり上がった。
それより驚いたのは、その壁がもともとそこにあった壁と、見た目も材質もまったく同じだったことだ。まるで最初から、そこに通路などなかったように見える。
壁の向こうから声が聞こえてくる。
「おい! こっちじゃなかったか? というか、あんな壁あったか?」
「さあ……? 上の階だ! 行くぞ!」
遠ざかっていく足音を聞きながら、ダリアスがニヤリと笑う。
「チョロいチョロい」
「ね、ねえ、私をどこに連れていくの……? さっき生徒会って言ってたけど……」
「あん? 聞いてないのか。会長も意地悪だな。生徒会室だよ。フェリシア会長がどうしてもお前を欲しいんだと。ああ、アルティとモナもか。俺は別にどっちでもいいんだがな」
校舎内を縦横無尽に駆け回り、いくつも壁を出したり消したりして、ある程度追っ手を撒いたところで一階へ戻った。
ダリアスは行き止まりに新たな壁を作り、私たちのいる場所を小部屋のように仕切る。
それから石畳の一つをぐっと押し込んだ。
カコン、と石が沈み、そのまま床の一部が奥へ滑って開いていく。そこには、地下へと続く梯子が隠されていた。
地下通路は石造りの壁に囲まれた、それなりに広い通路だった。どこかで換気されているのか、不思議とじめじめしていない。薄暗いものの、壁に埋め込まれた光る石が通路をぼんやりと照らしている。
「あ、あの……そろそろ降ろしてもらっても……?」
さすがにずっと抱えられているのもつらくなってきた。あと、少し恥ずかしい。どうにか降ろしてもらえないかと頼んでみたが、
「ん? ああ、まだダメだ。おそらくだが……」
と言って、ダリアスは通路の先を見据えていた。
脇道はなく、ひたすら直進していると、目の前が急に明るくなる。あまりのまぶしさに目を閉じずにはいられない。
「な、なに……? まぶしい……」
「この光……! 風紀委員長か!」
カツン!
光はさらに強くなり、その中央には一人の影がかろうじて見える。
「いかにも。貴様ら生徒会の悪事もここまでだ!」
聞こえてくる声は……子ども……? かわいらしい声をした女の子の声が光の中から響く。
「風紀委員会の権限により! その新入生を拘束する!」
光の中から現れたのは、薄緑色の制服に腕章をつけ、腰まで届く艶やかな黒髪をまっすぐに垂らした、私よりも小柄な少女だった。
赤い瞳は鋭くこちらを見据えており、その幼い顔立ちとは裏腹に、妙な迫力がある。
少女は鞘に収めたままのサーベルを片手に持ち、その切っ先を石床へ立てるようにして、通路のど真ん中に立ちはだかっていた。
「一番厄介なのに当たっちまった!」
「やばいの!?」
「捕まったら、最悪一生牢屋だ!」
「やばいじゃん!?」
明らかにダリアスの顔に焦りが浮かんでいる。それでも私を離す気はないらしく、抱える腕にぐっと力がこもった。
「すべての地下通路は、我ら風紀委員会が押さえてある。逃げ場はないぞ」
赤い瞳が、まっすぐ私を射抜く。
「そこの新入生。お前には、例のユグドラシル事件の真犯人ではないかという疑惑が浮上している!」
そして今度は、ダリアスへ鋭い視線を向けた。
「おとなしくその新入生を渡せ! さもなくば、実力行使だ!」
ゆっくりとした動きで、鞘に収めたままのサーベルを地面と水平に構える。
お兄ちゃんと何度も戦ったから分かる。刺突の構えだ。この狭い通路内で、確実に仕留める気だ。
「私も戦うから! 降ろして!」
「ああ、そうだな。そろそろだ」
ドサッと、その場に落とされる。
その瞬間、先ほどまで通路を満たしていた強烈な光が消えた。視界が一気に暗くなる。
地面を蹴る音だけが通路内を反響している。
(見えないけど、来る!)
途端、背中に誰かの手が触れた。
ぽん、と優しく叩くように。
「ミズク、お待たせ! このまま走るよ!」
それは、明るく溌剌とした少女の声。
私の背を押してそのまま手を取る。気づけば、周囲の景色はすでに灰色へと変わっていた。
私へと向かってくるレイと名乗る少女の動きは、とても緩慢で、ゆっくりとしたものになっている。
「アルティ!!」
「今、十倍の加速をかけてる! 長くは続かないから走り抜けるよ!」
「あ、ちょっと待って!」
私は、今まさに攻撃をしようとしているレイの身体を蔦植物でがんじがらめにしておいた。
(これならダリアスも逃げられるでしょ)
「それいいね! よし! 行くよ!」
アルティは私の手を握ったまま、一緒に駆け出した。
※
はしごを登って地下道から出た先は、またどこかの別の建物の中だった。奥に廊下が続いていて、後ろはすぐ突き当たりだ。
アルティは石畳の床に偽装された入口を、丁寧に元通りに閉じる。
私が尋ねるより先に、アルティが口を開いた。
「ここは役員棟だよ。ここの三階に生徒会の部屋があるの。そこまで行けば、もう大丈夫だから!」
言い終わるのとほぼ同時に、私を追っていると思われる生徒たちが廊下の向こうからなだれ込んできた。
「もう来た! 行くよ! 加速!」
アルティの魔法の影響か、再び世界が灰色に染まっていく。こちらへ迫っていた人混みの動きも、みるみる緩慢になっていった。
私たちはすぐ横にあった階段を駆け上がり、三階へ向かった。
三階の廊下へ出ると、その中央あたりにフェリシアが、まるで待ち構えていたかのように立っていた。
しかし、そのさらに奥からは、こちらとほとんど変わらない速度で走ってくる生徒の姿が見える。背後からも、階段を駆け上がってくる足音が響いていた。
「五倍でも追いつくの!? さすが運動部!」
アルティは私の手を強引に引きながら走る。私はそれについていくだけで精いっぱいで、何度も足をもつれさせそうになりながら、どうにか食らいついていた。
「ちょっとやばいかも!」
廊下の奥から迫ってくる生徒たちが、今にもこちらへ飛びかかってきそうになる。
「ああ、もう! 二十倍!!」
その瞬間、景色がさらに薄暗く沈んだ。
周囲の生徒たちの動きが、ほとんど止まって見える。
アルティは私の手を引いたまま一気に廊下を駆け抜け、生徒会室の扉を開けると、そのまま私を中へ押し込んだ。
「わっ!?」
直後、扉が勢いよく閉まる。
次の瞬間、世界に色が戻った。
そして同時に、
「開けろー!!」
「新入生を渡せー!!」
扉の向こうから、怒号のような喧騒が一気に押し寄せてきた。
「お静かに!!!!」
フェリシアが一喝すると、周囲は一瞬で静まり返った。彼女の声は扉越しでもはっきり聞こえるほどで、私も思わず耳を傾ける。
「新入生、ミズク・オウル・フォレストロアは、本人ならびにフォレストロア領主イグル男爵、そして私との契約に基づき、生徒会の庶務として加入することが決まっておりますわ!」
「なんだそれはー!!」
「聞いてないぞー!」
「横暴だーーー!」
「おだまりなさい!! こちらとしても考えがありますわ!!」
一拍置いて、フェリシアはさらに声を張り上げる。
「庶務の活動の一環として、生徒会の雑務に加え、委員会を除く各部活動・同好会への一日貸し出しを行わせていただきますわ!」
「は?????」
「詳しい話は後日とさせていただきますわ! ですので、今日のところはこれでお開きですわ! さあ、解散、解散!」
扉の前に集まっていた生徒たちは、それぞれ文句を言いながらも、しぶしぶ戻っていった。
それを見送ってから、フェリシアと、すっかりぐったりしたアルティが部屋へ入ってくる。
「やはり、こうなりましたわね」
「分かってたの!?」
「ええ、もちろんですわ。でも、学園の雰囲気を知ってもらうのもよろしいかと思いましたの。楽しかったでしょう?」
「楽しいかと言われると……。まあ……。というか! さっきの一日貸し出しってなに!?」
「ああ、それはもともと決まっていたことでしょう?」
「聞いてないよ!?」
そう言うや否や、フェリシアは奥の引き出しから一枚の紙を取り出した。
一番最初の日に書かされた契約書だ。ユグドラシル騒動をフェリシア側で収めてもらう代わりに、私がフェリシアに協力するという内容だった。
あの時は文字も読めなかったし、お兄ちゃんが代わりに読んでくれていたと思うんだけど……。
しかし、その契約書にはしっかりと、
「生徒会庶務として、乙は甲の業務に従うことを了承する」
と書かれていた。
「これのこと……?」
「ええ」
「解釈、広すぎない?」
「イグル様も分かっていたと思いますわ」
「ええぇ~~~……」
私はその場でへなへなとへたり込んだ。アルティもまだ床に倒れたまま、目を回している。
「終わったか?」
「ただいま~」
「ええ、皆さんそろいましたわね」
人の姿に戻ったモナと、ダリアスが部屋へ入ってくる。モナはぐったりしたアルティを支え、生徒会室の奥にあるソファへ寝かせた。
「風紀委員にまで目をつけられるなんてな。あの巨大樹、本当はお前がやったのか?」
「うっ……ソンナワケナイヨ」
「嘘が下手すぎだろっ! はははっ! 捕まらなくてよかったな!」
ダリアスは机を叩きながら大笑いしている。
(そんなに笑わなくても……)
「風紀委員会は、まだ諦めないでしょうね。今日のような大胆な手を使わせないよう、こちらからも牽制しておきますわ」
「なんで情報が漏れたの……?」
「漏れたわけではありませんわ。あなたについて荒唐無稽な噂が立ちすぎたのが原因ですの」
後から聞いた話では、「どんな植物でも育てられる植物魔法の天才」「手が大量に生える謎の魔法が使える」「実は魔物に寄生されている人間」「ユグドラシル騒動の首謀者」などなど。各部活が自分たちに都合のいいよう噂を解釈し、さらに尾ひれをつけて広めていった結果なのだとか。そんな優秀な人材なら、どこの部活だって欲しがるらしい。
「部活を始められるのは中等部からですけれど、その中等部を囲い込む時だって、すごいんですのよ?」
「ああ、ね……。想像できるよ」
私一人でこれなのだ。中等部の新入生が一斉に部活へ入れるようになったら、それはもう、とんでもない戦いになるのだろう……。
「それより会長。こいつ、中等部だろ? 生徒会に入れていいのか?」
「いいえ、ミズクは高等部ですわ。ねぇ……?」
「うん……とりあえず十六歳……」
「これも何か裏があるのか?」
「ふふ。あとで話しますわ。私はミズクの生徒会入りの書類を先生方に提出してきます。二人とも、あとのことは任せましたわ」
「俺も行く。何枚か『壁』そのままだからな。片付けてくる」
結局、フェリシアとダリアスは私に何も説明しないまま、部屋を出ていってしまった。あとでいろいろと説明してくれるのだろうが、正直、不安が残る。
生徒会室を見回すと、壁際には本棚や黒板があり、木箱や雑多な物があふれかえっていて、どことなく物置を思わせる散らかり具合だ。中央には机が四つ並び、そのさらに奥には、ほかのものよりひときわ存在感のある豪奢な机が置かれていた。生徒会長であるフェリシアの席だろうか。その机の横には、L字型に曲がったソファが置かれていた。ぐったりと横になったアルティと、そのそばに座るモナの姿がある。
「アルティ、大丈夫? ねえ、モナ。アルティどうしちゃったの?」
私は心配になって、アルティの様子を見に行く。少し顔色が悪く、「う〜ん」と唸りながら目を閉じていた。眠っているわけではなさそうだ。
モナはアルティの頭を撫でながら、いつものことのように説明してくれた。
「これね〜。魔力を使いすぎるとこうなるんだって〜。魔力欠乏症っていうんだけど〜、すぐ無茶するから、なんかあるたびいつもこうなるんだよ〜」
「そっか……アルティ、ありがとう。すごく助かったよ」
「うぅん……。こちらこそ、生徒会に来てくれてありがと〜。少し休んだら、寮に案内するね〜」
それから少しの間、私もモナの横に座って、他愛のない話をしながら休んだ。夕方頃にはアルティも動けるようになったので、私たちは生徒会室をあとにした。
廊下を歩いていると、前方から妙な一団が現れた。地下で会った少女、レイがツルで雁字搦めにされたまま、長身の男子生徒に担がれている。その男子生徒はダリアスよりもさらに筋肉質で、制服が今にもはち切れそうなほど身体が大きい。長く垂れた前髪のせいで、目元はまったく見えなかった。そして二人は、そのまま私たちの前に立ちはだかった。
「あ、風紀委員長。さようなら」
「さよなら〜」
「…………」
「はい、さようなら。じゃないわよ! 何さらっと行こうとしてるの!」
「ちぇー」
アルティがぶーたれる。
「とはいえ、今日のところは見逃してあげる。そこの植物女!」
「……あ、え? 私?」
「あなたしかいないでしょ! 次こそあなたの悪事を私が裁くわ! 覚悟しておくことね!」
男子生徒の肩の上でぴょんぴょん跳ねながら、声高らかに言い放った。ちょっと面白い。
「行くわよ!」
彼女は男子生徒にそう言うと、そのまま私たちの横を通り過ぎ、廊下の奥へと進んでいった。
「……何だったの?」
「風紀委員会の部屋が向こうの奥なの……」
「ええ……」
その後、私たちは役員棟を出て、しばらく歩くと、最初に見た噴水のある広場に着いた。広場からは十字に道が延びていて、正面には中央棟がのっそりと建っている。
「噴水の向こうが運動場とか部活棟のある方だよ。私たちが歩いてきた方には役員棟とか教室があるの。寮は中央棟を通って向こう側。食堂もそっちにあるから、案内するね」
「すごい広いね……」
道の脇には緑も多く、空気も澄んでいた。これから街へ向かう人、木陰で休む人、集まって和気あいあいと話す人たち。そんな光景が、どこか大昔に見ていた景色と重なって、私の目の前に広がっていた。
やっとここまで来られた。そう思うと、いろいろなものが込み上げてくる。気づけば、目に涙がたまっていた。
アルティとモナにバレないように、メガネを外して目元をこすった。
「ミズク?」
「こっちだよ~」
「今行くー!」
私は二人のもとへ小走りで向かった。
夏の終わりの、少し涼しい風が私の背中を押した。
※
私たちは食堂で食事をした後、寮へ向かった。中央棟から森の方へ進むと、噴水広場と同じくらいの大きさの広場があり、その両側に男子寮と女子寮が建っていた。森へ向かう門を正面に見て、右側が黒を基調とした男子寮、左側が白を基調とした女子寮だ。
「いい? 絶対に男子寮に行っちゃだめだよ! 広場には夜でも衛兵がいるし、寮内にも警備の人がいるからね! 入ったら大変なことになるよ!」
女子寮に入る前、アルティにそう念を押された。正直、入る気もないし、用事もないと思うんだけど……。
(入る人がいるのかな……)
エントランスで自分の荷物を受け取り、二人にも手伝ってもらいながら階段を上る。
「まず、ミズクの部屋を案内するね。二階だよ。あ、一人部屋じゃないから、そこは我慢してね」
「あ、そうなの? 仲良くできるかな……」
「ミズクちゃんなら大丈夫じゃないかな~」
「ルールとかはあとで教えてあげる。とはいっても、そんなに細かくないから安心して?」
そんなこんな話しているうちに、二階の奥にある部屋へ着いた。木製の扉の横には小さな札が掛けられていて、そこには『ヴィヴィ』と書かれている。
アルティにほれほれと催促され、扉をノックする。
中から、けだるそうな声で「どうぞ~」と返事があった。
私はゆっくりと扉を開ける。
「おじゃましま~す……」
中に入ると、二段ベッドが一つ。横の壁際には机が二つ並び、部屋の奥には少し広めのスペースがある。その奥、ラグの上に置かれたとても大きなクッションに、うつ伏せで身体を預けている薄茶色の長い髪の女の子がいた。
「あ、獣人」
「へぇ、知ってるの? ウケる」
彼女の頭には、丸くかわいらしい獣の耳が二つ付いていた。おそらく、イタチだろうか? 腰からも、大きく長い尻尾がすらりと伸びている。
「あっ! 今日からここにお世話になります。ミズク・オウル・フォレストロアです……よろしくお願いいたしますっ!」
深々と頭を下げる私を、興味があるのかないのか分からない、眠たげな目で見つめてくる。
「ついに一人部屋も終わりか~。ん、いいよ~。私はヴィヴィ。ヴィヴィ・ランドネール。よろしくね~」
彼女は微笑みながら、ひらひらと手を振った。ただ、その目だけはまだ、こちらを観察しているようだった。
後ろから、アルティが少し申し訳なさそうに声をかける。
「あ、ヴィヴィさん。これからミズクに寮内を案内するんだけど、一緒に来る?」
ヴィヴィは大きなクッションに頬を埋めたまま、片手だけひらひらと振った。
「パス~。いってらっしゃ~い」
「あ、荷物、置いていってもいいですか?」
「ん、いいよ。開けたりしないから安心して」
今度はちらりと荷物へ目を向け、それから私に眠たげな視線を戻す。
「ありがとうございます。いってきますね!」
荷物を扉の横に置き、部屋をあとにして階段の方へ戻る。
「最初は一階からね」
一階には大浴場や購買、談話室などがあり、共用の設備が多く集まっている。トイレも共用で、各階にあるらしい。アルティたちの部屋は三階で、フェリシアの部屋は四階にあるんだとか。
談話室には長机と長椅子がいくつも並び、すでに女の子たちがお菓子を囲んで話したり、一緒に勉強したりしていた。初等部から高等部までいるため、年齢もさまざまだ。
大浴場には中央に大きな浴槽があり、それを囲むように洗い場が並んでいる。案内ついでに、三人で入ることにした。
「……ミズクちゃん、ちゃんと食べてる~? ガリガリだよ……?」
脱衣所で服を脱いでいると、隣にいたモナが私の身体を見て言った。確かにあばらは浮き出ているし、隣にいるモナと比べると、私の身体はずいぶん細い。これでも少しはましになった方なんだけどな……。
「ちゃんと食べてるよ? でも、すぐには変わらないみたいだね……」
「でも、ミズクの体型を羨ましがる人も結構いると思うんだよね」
モナの向こうで着替えているアルティを見ると、意外としっかり筋肉がついていた。腹筋もうっすら浮いている。
二人の身体を見ていると……こう、劣等感がすごい。ちょうど初等部くらいの子が浴場から出てきて、ついその身体を見る。それから、自分の身体を見る。
気持ちはへこむばかりだ。
「ミズク? 行こ?」
「うん……」
うつむきながら、浴場へ向かった。
※
「気持ちよかった~……。モナの石鹸、すごくいい香りだった~」
「でしょ~。街で売ってたんだ~。今度、一緒に買いに行こうね~」
今は談話室で身体を休めていた。アルティは購買へ何かを買いに行っていて、ここにはモナと私の二人だけだ。私たちはお風呂で温まった身体を冷ますように、ワイシャツとスカートだけという、お兄ちゃんが見たら怒りそうな格好で涼んでいた。
しばらくすると、同じようにラフな格好をしたアルティが戻ってきた。手には、茶色い飲み物の入った瓶を持っている。
「おまたせ~。はい、ミルクティー。やっぱ、お風呂上がりはこれだよね~」
「え、紅茶に牛乳入れるの? ありなの?」
私はぎょっとして、瓶の中身を見る。屋敷ではいつも温かい紅茶を出されていたし、そこに牛乳を入れるという発想はなかった。それに、冷たい紅茶を飲むのも初めてだ。
「お、初ミルクティーだ~。おいしいよ~。ぐびっと飲んで~」
モナとアルティは紙の蓋を押し開け、そのまま一気に飲み干した。私も二人を真似して蓋を開け、ぐいっとあおる。
「~~~!?」
牛乳のまろやかな味の中に、紅茶の香りがふんわりと包まれている。普通の紅茶とはまったく違う味わいだ。冷たさも、火照った身体に染み渡っていく。
(これは、たしかに、おいしい!!)
くぴくぴと、一気に飲んでしまった。
「ぷはぁ~~~!」
「いい飲みっぷりだねー!」
アルティは私の頬をつつく。
「えへへ。ちょっとはしたなかったかな?」
「ここなら誰も気にしないよ~」
「よし、じゃあ他も見てみよっか」
そのあと、二階にある娯楽室や小さな調理場も案内してもらった。そうしているうちに、窓の外はもう真っ暗になっていた。
教えてもらったルールを手帳に書き込み、今日は二人と解散することになった。二人は同じ部屋らしくて、ちょっとうらやましい。でも、就寝時間を過ぎても部屋の外に出ていいし、相手の部屋の人が許可すれば泊まることもできるらしい。思っていたより、寮の決まりは緩いみたいだ。
私は、ヴィヴィのいる自分の部屋の扉を開けた。横にはもう、「ミズク」と書かれた札が掛かっていた。
「お。おかえり~」
「た、ただいまです……」
ヴィヴィはもう二段ベッドの上段に横になっていた。そこからにょきっと頭だけ出して、こちらを見ている。
「ミズクっち、ため口でいいよー?」
「あ、ほんと? 敬語は難しいから苦手で……あ、荷物はどうすれば……?」
「奥にしまうところあるよ。こっち~」
彼女は二段ベッドのはしごを使わず、物音ひとつ立てずにひょいっと飛び降りると、クローゼットの場所を教えてくれた。
「こっちはあーしの。間違えて開けても怒らないから安心してねー」
「ありがと。んしょ……」
私は鞄を開け、中のものをしまっていく。後ろからヴィヴィがそれを見ているせいで、ちょっと緊張してしまう。
不意に、彼女が尋ねてきた。
「ねえねえ、ミズクっち。なんで獣人知ってるの?」
「あ、昔、海を渡った先で会ったことがあってね。そこの人たちと結構仲良くなったことがあって、よく覚えてるんだ~」
「ふ~ん。ミズクっち、あーしが聞いてるのは『獣人』って呼び方のことだよ~」
「え?」
「普通は『亜人』って呼ぶんだよ。『獣人』って呼び方、すっごい昔の言い方なんだよね~。いつ、あーしの故郷に行ったのかな?」
汗がだらだらと流れ、身体が固まる。ヴィヴィの顔が見られない。
「ミズクっち、何か隠してるね~。まあいいよ。そんな小動物みたいに怯えられたらかわいそうだし。あーしは優しいからね~」
「あ、え~と……その、今度詳しく……っひ」
振り返ると、すぐそこにヴィヴィの顔があった。微笑んではいる。でも、目が笑っていない。
すっごく近い。
すっごく怖い。
「っぷ、あははは! ごめんごめん! うそうそ、そんな怯えないでよっ……ひひひ……ミズクっち、いいね。うん、あんたなら退屈しなさそう。その格好だと、もうお風呂入ったんだよね? もっかい行かない? 裸の付き合いしに行こ?」
私はまだ心臓がバクバクと高鳴ったまま、動けずにいた。しばらく私の様子を見ていたヴィヴィは、それがよほどツボに入ったのか、腹を抱えて爆笑していた。
結局、もう一度お風呂に入る羽目になり、今はヴィヴィと一緒に湯船につかっている。
ヴィヴィからも「うわ、ほっそ。ウケる~」と言われた。顔は笑ってないけど。
「でも、ヴィヴィも細いよね。身長高くて、細くて、健康的だから羨ましいな」
「でしょ~。結構気にしてるからね~」
しばらく、無言の時間が続いた。
「ねえ。さっきの話、そんな気にしないでね? 女の子には秘密はつきものっしょ。無理やり聞こうとはしないから安心して」
「ちゃんと言える時が来たら教えるから! それまで待って……!」
「いいって。重い話だったらやだし」
その後、ヴィヴィも二回目のお風呂ということで、さくっと上がった。寝巻きに着替え、そのまま部屋へ戻る。
「あーし、上のベッド使ってたから、下使って。あ、それとも一緒に寝る? 尻尾貸すよ~。なんて」
「今日は一人で寝ようかな……。今度貸して?」
「ん、じゃあおやすみ~」
ヴィヴィがひゅっと指を振ると、部屋の明かりが消えた。
真っ暗な部屋の中、ぼーっと二段ベッドの天井を見つめる。
(なんか、長かったな……。でも、楽しかった……。思った通りだった……。来てよかった……!)
これからのことを考えると、やっぱり不安はある。でも、それ以上に楽しみの方が大きい。
私は明日のことを思いながら、眠りについた。




