第一章:校門と蒸発した約束(2015年)
#純愛 #悲恋 #切ない #泣ける #バッドエンド #初恋 #長野 #インドネシア
あの日のバンジャルマシンの太陽には、慈悲なんてこれっぽっちもなかった。気温は34度に達し、校門前の路面は陽炎でゆらゆらと波打っていた。百科事典の影に隠れていたい僕にとって、その酷暑よりも、突如として肺を満たした窒息感の方がよほど苦しかった。
「エドくん! ぼーっとしないでよ!」
あかりの声が、僕の空にある積雲の解析を遮った。彼女は、僕たちがよく実を摘んだ南洋桜の木陰に立っていた。赤白の制服は埃で少し汚れていたけれど、彼女の笑顔——あの弾けるようなENFPの輝きは——いつも周囲の世界よりも鮮やかな彩度を放っていた。
「あかり、お父さん……本当に行っちゃうの? 今日」
僕は低く尋ねた。世間話は苦手だ。たとえその核心が毒であっても、僕はすぐに本題に触れたがる。
彼女は黙り込み、リュックのストラップをぎゅっと握りしめた。「うん。今日の午後、シャムスディン・ヌール空港から。ジャカルタで乗り継いで、それから成田へ行くの」
僕は視線を落とし、木の根元を行列する蟻の数を数えた。脳内では何千もの言葉を組み立てているのに、口から出たのはただ長い沈黙だけだった。
僕のような人間にとって、誰かを愛するということは、ひどく疲れ果てる機械的な作業だ。 僕は心の中でそう思った。君の声を録音し、君の笑い声をアーカイブし、何が君を幸せにするのかというデータベースを構築する。世界が君を僕から奪い去った時、僕が生き延びるための「バックアップ」を遺すために。
「私、また戻ってくるよ。エドくん、指切りしよ?」
彼女は小さな小指を差し出した。僕はその小指を見つめた。観察者の目から見れば、約束ほど不安定な変数は他にない。時間、距離、あるいは単なる季節の移ろいによって容易に変化してしまうものだ。それでも、僕はその指を絡めた。
「約束だ」
短く答えた。
その時、僕は自分で彫った小さな「ジュクン(伝統的な小舟)」の木製キーホルダーを彼女に渡した。彼女は代わりに、海のような青色をした小さなヘアピンを僕にくれた。「これ、持ってて。また会えた時に返してね」と言い残し、彼女は迎えの車へと走っていった。
それが、彼女がいつも纏っていたジャスミンの香りを嗅いだ最後になるとは、その時の僕は知る由もなかった。車は遠ざかり、舞い上がった砂埃が僕の目を刺激した。……いや、それは埃のせいではなかったのかもしれない。
往々にして、距離というものは二人の身体を切り離すためにあるのではない。ひとつの記憶が、神話へと変わってしまう前にどれだけ耐えられるかを試すためにあるのだ。そして僕にとって、あかりは一生抱き続ける宗教のようなものだった。たとえその神が、とっくの昔に雪の降る国へと移り住んでしまったとしても。
2025年(長野)への遷移:
10年後。僕は駅の前に立っていた。雪は一定のリズムで降り続き、僕の厚手のジャケットの肩を白く染めていく。手の中には、あの青いヘアピンがまだあった。色はすっかり褪せてしまい、まるで不確かな希望の中で耐え続けてきた僕の心のようだった。
そして、彼女を見つけた。カフェから出てきた彼女は、隣にいる地元の男と腕を組み、とても幸せそうに笑っていた。二人はあまりにもお似合いだった。
僕の足は止まった。INTPとしての僕の論理はすべて崩壊した。脳内で何百万回もこの再会をシミュレーションしてきた。けれど、いざ目の前で交わされた彼女の「虚無の眼差し」に備えられるシミュレーションなんて、ひとつも存在しなかった。
愛することとは、単に側にいることだけではない。たとえ僕が彼らにとって「名前も思い出せない誰か」になったとしても、彼らが元気でいることを確かめることだ。そして、愛することとは、自分の存在を忘れさせることさえ厭わないこと。彼らの幸せが、過去という重荷なしに完結するために。
「最後までお読みいただきありがとうございます。次回の更新は明日、22:00を予定しております。また明日お会いしましょう!」




