第22話 14層<渡河>
拠点の撤収が終わったのは、夜明けから1時間後だった。
蛭田が全体に向けて今日の手順を告げた。
1:先行は2名で水際から出発する。
2:向こう岸に着いたら右腕を上げて合図する。
3:全体が渡り切ったあとは、その場で物資展開に入る。
4:問題があれば全員すぐに引き返す。
手順は知っていた。
昨夜確認したし、その前も確認した。
設営を片付けながら、消耗品の残量を確認した。
装備の状態を一通り確認した。問題はなかった。
保存食と回復薬を今日分として先に出して、補給担当に渡した。
水域側の空気が昨日と違っていた。
霧が薄く、水面が見える前から足場の石が光っていた。
朝の拠点内は乾いた空気だったが、水域の方向へ向かうほどに変わっていった。
先行2名が準備を終えて前に立った。
蛭田が全体を短く見渡してから、悠真の方を見た。
「準備できたら声をかけてください」
「了解です。もう準備出来たので行きます」
◇
水際まで進んで、昨日立った位置より5メートル近いところに足を止めた。
流れを確認した。
緩いが止まってはいない。
水面が一定のリズムで揺れていた。
幅は30メートルを超える。
底は霧に遮られて見えなかったが、岸際の石の並び方から、浅いところと深いところの区分はある程度判断できた。
対岸の足場は、渡り始めてから確認するしかない状況だった。
昨日と同じ見立てだった。
容積として《アビスゲート》より小さい。
水面に特異な流れは出ていない。緩く動いている。
構造的に難しいものではないという判断は、昨日から変わっていなかった。
試行に入る前に一つだけ不確かな点があった。
水収納を開始してから全体が渡り切るまでに何分かかるか、正確には事前に読めなかった。
そこは現場で判断するしかなかった。
蛭田が後方で先行2名に最終確認を取っていた。
視線を水域の端から端まで一度流してから、蛭田に向けた。
「始めます」
蛭田が頷いて「先行、待機」と短く指示を出した。
先行2名が岸際に立った。後ろで全体が静かになった。
◇
収納を始めた。
水が引くのではなかった。
ある面から先がなくなる、という感覚に近かった。
水面の一点に意識を向けると、その範囲が消えた。
消えたところから濡れた石の底が現れ、岩肌が霧の中に浮かび上がるように出てきた。
範囲を広げた。
左端から右端まで、幅全体をカバーするように通していく。
収納した量は大きかったが、感触として止まる気配はなかった。
量が大きいだけで、構造的に難しいものではなかった。
奥まで路が通るのに2分ほどかかった。
「底、見えます」と後ろで誰かが言った。
路が開いていた。
足場にできる幅があって、石の面が乾き始めていた。
「先行、渡ります」
蛭田が静かに告げた。
2名が踏み出した。
石の底は安定していて、よろける場面はなかった。
霧の中を進んで、向こう岸に到達したのは1分少しだった。
右腕が上がった。
「全体、渡ります」
一列で進んだ。石の底は湿っているが滑らなかった。
足場の幅は狭くなかったが、並んで歩けるほどの広さもなかった。
両側に水を収納した状態を保ちながら進んだ。
霧が視界を20メートルほどに制限していたが、前を行く隊員の輪郭は見えていた。
全員が向こう岸に上がった。
悠真は最後に渡った。
向こう岸に足を踏み出してから一度振り返り、水域の収納が保持できていることを確認した。
問題なかった。
◇
物資を展開した。
食料と医薬品を必要量、続いて工具類と装備の予備。
設営用の資材も一部出した。
向こう岸に着いただけでは終わらせない。
活動できる状態を整えてから次へ進む、それが最初から決めていた手順だった。
蛭田が物資の種類を確認しながら記録を取っていた。
補給担当が医薬品の数を照合していた。
鍛冶担当が工具の配置を確認して戻ってきた。
誰も声を上げなかった。
水域を渡った事実は事実として、次の動作がすでに動き始めていた。
「展開完了です」
蛭田が手帳から顔を上げ、全体を一度見渡してから、
「14層、通過。15層へ進みます」と告げた。
◇
14層の残りを抜けるのに30分近くかかった。
15層との境界は、壁の石の色が変わるところで分かった。
14層側の暗灰色から、少し明るい黄みがかった石組みになった。
天井が低くなり、通路が絞られた。
霧の質が違った。
14層のものは水気が強く、肌に貼り付くように漂っていた。
ここのは細かく乾いていて、触れても残らなかった。
足元の石が白みがかっていた。
14層で湿って光っていた石が、ここでは乾いて粉っぽかった。
記録資料に15層以降の情報はほとんど残っていない。
これまで誰もここまで資材を持って来られていなかった。
前衛が進みながら周囲を確認していた。
通路の左右から何かが飛び出す気配はなかった。
床に残った痕跡のようなものが数か所確認されたが、いずれも新しくはなかった。
先行2名が前方30メートルほどで止まった。
手信号が来た。
通路の先に何かがある、という意味だった。
蛭田が前に出て確認し、振り返った。
「今日はここに拠点を設置します」
設営を始めた。
作業は15分ほどで終わった。
拠点から通路の奥を一度見た。
霧の向こうに暗さが続いていた。
何かが沈んでいるような密度があって、霧の中に止まっていた。
スマホに朝倉からメッセージが届いていた。
『廃工場の件、管轄判定が明日にも出そうです。確定したら動きます』
スマホを置いた。
奥の暗さはまだそこにあった。
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