第九十四夜 ―― 黄金の雫と、母の腕の中 ――
第九十四夜 ―― 黄金の雫と、母の腕の中 ――
王宮の奥深く。焚き火の爆ぜる音が、静寂の中に響いている。
ザルカ王は、膝を抱え、炎を見つめたまま動かない。その瞳は、今ここにはない「遠い景色」を映しているようだった。
「……サフィア。火は、不思議なものだな。こうして見つめていると、余がまだ王でもなく、ただの小さな子供だった頃の匂いがする。……土の匂い、薪の煙、そして……何か、とても温かくて、甘い香りが」
サフィアは、小さな素焼きの器に、黄金色に澄んだ「野菜のスープ」を満たし、第九十四夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第九十四夜 ――「世界で一番の料理と、魔法の匙」
ある国に、世界中の美食を食い尽くし、どんな贅沢な料理を出されても「美味くない」と突き返す、不機嫌な王様がおりました。彼は最高の料理人たちを呼び集め、「余を満足させねば首をはねる」と脅しました。
料理人たちは恐れおののき、最高級の肉や、海の底の真珠のような魚を差し出しましたが、王の心は晴れません。
そこへ、一人の腰の曲がった老婆が現れ、一杯のスープを差し出しました。
何の飾りもない、ただの野菜のクズと、ほんの少しの塩、そして庭のハーブを煮込んだだけのスープです。
王が一口、そのスープを啜った瞬間……。王の目から、堰を切ったように涙が溢れ出しました。
『……これだ。この味だ。幼い頃、熱を出して寝込んだ私に、母が夜通し火を絶やさず、作ってくれたスープの味だ。……あの時、私は世界で一番、幸せだった』
どんな黄金の皿も、どんな高価な香辛料も、母が我が子のために注いだ「祈り」という隠し味には勝てません。王は、自分が求めていたのは権力ではなく、あの日の「愛されていた記憶」だったのだと気づいたのです。
サフィアは語り終え、スープの器を王の手のひらにそっと乗せた。
「王様。料理とは、胃を満たすだけではありません。それは、誰かがあなたの無事を願い、あなたの命を慈しんだという『証』なのですわ」
ザルカは、震える手でそのスープを一口、口に含んだ。
……熱い。喉を通り、胸の奥にまで熱が広がる。
次の瞬間、鉄の王と呼ばれた男の肩が、激しく揺れ始めた。
「……母上。……母上……っ」
ザルカは顔を覆い、子供のように声を上げて泣いた。
これまで流すことのなかったすべての涙が、スープの温もりに導かれるように溢れ出していく。サフィアは何も言わず、ただ泣き続ける王の背中を、優しく、慈しむようにさすり続けた。
夜の帳が、母の腕の中に抱かれているような、深い安らぎを運んでくるように、静かに、そしてどこまでも優しく降りてきた。




