第七十夜 ―― 蹄への別れと、孤独なる帰還 ――
第七十夜 ―― 蹄への別れと、孤独なる帰還 ――
王宮の最深部。ザルカ王はすべての装飾品を外し、ただ一振りの剣を傍らに置いて、サフィアと向き合っていた。
窓からは、夜明けを待つ馬たちの、静かな鼻鳴らしが聞こえてくる。
「……サフィア。ワラカはあの『真理の国』で、永遠に暮らすことは叶わなかったのだな。知恵ある馬たちは、彼を仲間とは認めなかった……。同族からは異端視され、理想からは拒絶される。ワラカの魂は、どこへ帰ればよいというのだ」
サフィアは、最後の一滴の「香油」をランプに注ぎ、第七十夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第七十夜 ――「非情なる追放と、ヤフーの臭気」
フウイヌム(馬)の全国評議会は、残酷な決議を下しました。
『……ワラカは理性を持つが、その身体は紛れもなくヤフーである。知恵あるヤフーが同族を率いて反乱を起こせば、我が国の平穏は崩れる。彼を直ちに島から追放せよ』
ワラカは、中性的なその頬を涙で濡らし、主人の馬の蹄に最後の手向けを捧げました。彼は自らの手で、ヤフーの皮を剥いで作った小舟に乗り、楽園を去ったのです。
数ヶ月の漂流の末、ワラカはついに故郷のイギリスへと辿り着きました。
しかし、彼を待っていたのは「感動の再会」ではありませんでした。
妻が彼を抱きしめようとした時、ワラカは激しい吐き気に襲われ、気を失いました。愛する家族の姿が、あの森で排泄物を投げ合っていた「醜悪なヤフー」にしか見えなかったのです。彼らの言葉は「獣の鳴き声」に聞こえ、彼らの体臭は「耐え難いヤフーの臭気」として鼻を突きました。
ワラカは、人間社会の中で完全に孤立しました。
彼は自宅の裏の馬小屋で、二頭の馬を買い、一日の大半を彼らと語り合って過ごすようになりました。
『……私はヤフーだ。だが、少なくとも嘘をつかず、理性という蹄を持つ馬たちを愛する権利だけはあるはずだ』
かつて世界を巡った偉大な旅人は、今や「馬と喋る狂人」として、静かな、しかし峻烈な軽蔑の中に、その生涯を閉じようとしていたのです。
サフィアは語り終え、消えゆくランプの炎をじっと見つめた。
「王様。ワラカが見つけた真実は、彼を『幸福』にはしませんでした。……しかし、彼は二度と、自分を偽って生きることはありませんでした。……着飾ったヤフーとして王座に座るより、真実を知る狂人として馬小屋にいることを、彼は選んだのですわ」
ザルカは、傍らの剣を手に取り、その冷たい刃に自分の顔を映した。
「……馬小屋の狂人、か。サフィア、余のこの王冠も、馬から見ればヤフーの被った滑稽な飾りに過ぎぬのだな。……だが、余はワラカのように逃げ出すことはできぬ。このヤフーたちの国で、彼らを少しでも『理性』へと導くこと。それが、この物語を聞いた余の、新たなる戦いなのだな」
王の瞳には、かつての破壊的な激情は消え、己の限界を知りながらも、なお「高潔」を目指そうとする、静かな統治者の光が宿っていた。
「サフィア。四つの世界を巡るワラカの旅は、余の心の中に『揺るぎない鏡』を残してくれた。……さあ、夜が明ける。明日からの余の言葉に、どれほどの『真実』を宿らせることができるか、見ていてくれ」
夜明けの光が、王宮の重い扉を押し開くように、力強く、そして清らかに差し込んできた。




