第六十五夜 ―― 磁石の影と、不毛なるアカデミー ――
第六十五夜 ―― 磁石の影と、不毛なるアカデミー ――
王宮の回廊。冷たい石畳が、月光を浴びて鏡のように輝いている。
ザルカ王は、自らの手元にある「統治の法典」を捲り、ふと眉を顰めた。
「……サフィア。ラタトゥイユの王たちは、空から地上を支配しているのだな。だが、その支配とは、剣を振るうことではないのか。影を落とし、光を遮ることが、軍隊よりも恐ろしい武器になるとでもいうのか」
サフィアは、一枚の「真っ黒な布」を床に広げ、第六十五夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第六十五夜 ――「アダマントの蓋と、バルニバービの荒野」
ラピュタの王は、地上の都市が反抗すれば、島の底面にある巨大な磁石を操り、その都市の真上に島を停滞させます。
太陽の光と雨を遮り、民を飢えさせるのです。それでも屈せぬ時は、島そのものを都市の上に「自由落下」させ、すべてを押し潰して粉々に粉砕してしまいます。知性は、一度慈悲を忘れれば、これほどまでに冷酷な『死の重石』となるのです。
ワラカは、その圧政の下にある地上の都、バルニバービのラグナドへと降りました。
かつては豊かだったはずのその都は、今や廃墟のようでした。家々は崩れ、民は襤褸を纏い、田畑は荒れ果てています。なぜなら、都のアカデミー(学士院)の賢者たちが、「新しい農法」や「新しい建築法」を次々と編み出し、古き良きやり方をすべて禁じてしまったからです。
『……これほどの惨状を、彼らは進歩と呼ぶのか』
ワラカがアカデミーを訪れると、そこでは狂気じみた実験が繰り返されていました。
「胡瓜から太陽光線を抽出する」研究に没頭する男。「人間の排泄物を元の食物に戻そうとする」学者。「言葉を話す労力を省くため、あらゆる現物を背負って見せ合う」哲学者。
彼らは中性的なワラカを歓迎しましたが、ワラカの目には、彼らの知性は「無」を耕す錆びた鍬のように見えました。彼らは完璧な計算をしながら、飢え死にしようとしていたのです。
サフィアは語り終え、黒い布の上に一粒の「枯れた種」を置いた。
「王様。バルニバービの民を殺したのは、敵軍の矢ではありませんでした。それは、現実を無視した『新しき理想』という名の毒でしたの。……民が求めているのは、胡瓜の中の太陽ではなく、今日を生きるための一椀の粥なのですわ」
ザルカは、枯れた種を指先で潰し、その虚しさを噛み締めた。
「……新しき理想、か。サフィア、余もまた、国の形を美しく整えることばかりを考え、民の腹の虫の音を聞き逃してはいなかったか。……ワラカ。彼はこの狂った実験場を抜けて、どこへ向かうというのだ」
王の瞳には、理論への陶酔ではなく、血の通った「現実」を慈しもうとする、地についた統治者の温もりが兆し始めていた。
「サフィア。この先には、死者の声を聴くことができる『魔法使いの島』があると言ったな。……ワラカは、そこで誰に会うというのだ」
サフィアは、王の背後に立つ「先王の肖像画」を指差した。
「死者の島**『グラブダブドリッブ』**。……ワラカは歴史の霧を晴らし、黄金の時代の英雄たちが、いかに卑小な者たちによって歪められてきたかの真実を知ることになりますわ」
夜の帳が、歴史の嘘を暴くように、冷たく、そして透明に降りてきた。




