第五十八夜 ―― 慈悲深き処刑と、波間に光る小舟 ――
第五十八夜 ―― 慈悲深き処刑と、波間に光る小舟 ――
都の夜風は、どこか鼻を突くような、焦げた匂いを運んでくる。
ザルカ王は、手にしたワインの杯を回し、その複雑な芳香を嗅いだ。
「……サフィア。ワラカは一滴の血も流さずに戦争を終わらせた。ナヌ国の救世主ではないか。それがなぜ、目を潰され、餓死させられねばならぬのだ。ナヌ国の皇帝は、狂ってしまったのか」
サフィアは、燃え尽きたランプの芯を指で弄び、第五十八夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第五十八夜 ――「聖なる火消しと、人道という名の闇」
事の始まりは、宮殿を襲った大火災でした。
燃え盛る王妃の居室を前に、小さなバケツのリレーでは到底間に合いません。ワラカは咄嗟の判断で、溜まっていた「尿」を放出し、その濁流をもって一瞬にして火を消し止めました。
宮殿は救われましたが、皇帝の心は「神聖な場所を汚した」という怒りに支配されました。さらに、ナニ国の民を殺戮せよという命令をワラカが拒絶したことで、猜疑心は頂点に達したのです。
『……この巨人は、我が国の秩序を乱す毒だ。だが、我らは道徳的な国民。残酷な処刑は好まぬ』
政府が下した結論は、驚くべきものでした。
『ワラカの「両目を潰す」こと。これは、彼の命を奪わぬ慈悲深い刑罰である。そして、巨大な食事による国家財政の圧迫を防ぐため、徐々に食事を減らし、穏やかに「餓死」させること。これこそが、人道的な解決である』
ワラカは、その中性的な美しい瞳に映る、自分を縛る糸の正体を知りました。
彼は夜陰に紛れ、自ら捕獲したナニ国の軍艦を足場に海へ入り、隣国ナニ国へと逃れました。そこで彼は、波打ち際に転覆して打ち寄せられていた、彼にとっては小さな「本物のボート」を見つけたのです。
彼はナニ国の王に別れを告げ、宝石を詰め込んだボートを海へ押し出しました。
数日後、通りかかった大きな商船に救い上げられた時、ワラカは自分のサイズの人間たちを見て、初めて「自分がいかに窮屈な箱庭にいたか」を悟ったのでした。
サフィアは語り終え、王の背後に広がる広大な闇を指差した。
「王様。ナヌ国の皇帝が放った『人道的』という言葉は、己の保身を飾るための冷たい盾でした。……どんなに巨大な才能も、それを理解できぬ小さな器の中では、ただの『異物』として排除されてしまうのですわ」
ザルカは、ワインを一気に飲み干した。
「……人道的な餓死、か。サフィア、余の周りにも、美しい言葉で余の目と耳を塞ごうとする者がいる。……ワラカがボートを見つけて海へ出たように、余もまた、この狭い王宮という箱庭から、真の広き世界へと目を向けねばならぬな」
王の瞳には、欺瞞を見抜く鋭さと、孤独な海へ漕ぎ出す「個」としての覚悟が宿っていた。
「サフィア。ワラカの旅はこれで終わりか? それとも、彼はまた別の、さらに奇妙な島へと漂着するのか」
サフィアは微笑み、今度は王の頭上、はるか高い「天」を見上げた。
「第五十九夜。次なる渡航記。今度は、ワラカが『小人』になる番ですわ。……雲を突く巨人の国、『ブロブディンナグ』。そこでは、ワラカの知恵も、ただの『愛玩動物の芸』に過ぎなくなりますの」
夜明けの光が、箱庭の壁を打ち破るように、激しく差し込んできた。




