第五十七夜 ―― 卵の尖端と、拿捕(だほ)される艦隊 ――
第五十七夜 ―― 卵の尖端と、拿捕される艦隊 ――
王宮の夜。供された夜食のゆで卵から、白い湯気が立ち昇っている。
ザルカ王は、銀の匙を手に取り、その卵の「大きな方」を軽く叩いた。
「……サフィア。ナヌ国とナニ国。海峡を挟んだ隣人同士が、三千人もの命を失い、八十隻もの軍艦を沈め合ったという。その理由が、領土でも黄金でもなく、この卵の『剥き方』だというのか。冗談にも程があるぞ」
サフィアは、卵をそっと横に倒し、第五十七夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第五十七夜 ――「小端派の乱と、巨人の介入」
かつて、ナヌ国の祖先は卵を「大きな方」から剥いて食べていました。しかし、今の皇帝の祖父が子供の頃、大きな方から剥こうとして指を切ってしまったのです。それ以来、ナヌ国では「小さな方(小端)から剥くべし」という厳格な勅令が下されました。
これに憤った「大端派」の人々は反乱を起こし、隣国ナニ国へと亡命しました。以来、両国は「どちらから剥くのが神の御心か」を巡り、数世代にわたって憎しみ合い、殺し合ってきたのです。
『……どちらから剥こうと、中身の味は変わらぬというのに』
ワラカは、中性的な物静かな溜息をつきました。
ナニ国の巨大な艦隊が、今まさにナヌ国へ侵攻しようとしているという報せが入ります。ナヌ国の皇帝は、膝をついてワラカに懇願しました。
『おお、生ける山脈よ。我が国を、あの邪悪な大端派の艦隊から守ってくれ!』
ワラカは戦いを好みませんでしたが、この小さな命たちが波間に消えるのを黙って見てはいられませんでした。
彼は強い鉄の鉤と索を用意し、海峡へと歩を進めました。彼にとって、ナニ国の軍艦は池に浮かぶ「玩具の舟」に過ぎません。
ワラカは飛んでくる数万の矢を「眼鏡」で防ぎながら、ナニ国の五十隻の軍艦を一本の綱で数珠つなぎにし、そのままナヌ国の港へと引きずっていったのです。
一滴の血も流さず、ワラカはその圧倒的な「大きさ」をもって、長きにわたる戦争を一夜にして解決してしまったのでした。
サフィアは語り終え、王の前の卵を指差した。
「王様。ワラカが艦隊を引く姿は、ナヌ国の人々には神の御業に見えたことでしょう。……しかしワラカの心は、勝利の喜びではなく、卵の剥き方で命を懸ける者たちへの、深い憐れみに満ちていたのですわ」
ザルカは、匙を置き、卵を手に取った。
「……中身の味は変わらぬ、か。サフィア、余もまた、目玉焼きが半熟かよく焼きかという程度の違いで、誰かの首を撥ねてはいなかったか。……ワラカが示した『圧倒的な力による平和』。それは、余が目指すべき地平なのかもしれん」
王の瞳には、征服による勝利ではなく、無益な争いを「無意味化」させるための、高次元の統治者の視座が宿り始めていた。
「だがサフィア。戦争を終わらせた英雄ワラカに、ナヌ国の皇帝はどう報いたのだ? 最高の栄誉をもって、彼を送り出したのか」
サフィアは、ランプの火を不気味に揺らした。
「皇帝の野心は、隣国の『滅亡』を望みました。……そして、ワラカが放った一筋の『尿』が、彼を英雄から死罪人へと転落させる、皮肉な結末にございますわ」
夜の風が、割れた卵の殻のように、鋭く冷たく吹き抜けていった。




