第五十六夜 ―― 高い踵(きびす)と、低き党派 ――
第五十六夜 ―― 高い踵と、低き党派 ――
王宮の回廊。夜警の兵士たちが、規則正しい足音を響かせて通り過ぎていく。
ザルカ王は、自らの金細工を施した豪奢な長靴を見つめ、ふと自嘲気味に口角を上げた。
「……サフィア。ワラカの目に映るナヌ国は、道徳に満ちた理想郷ではなかったのか。あんなに小さな民が、一体何を争うというのだ。領土か? それとも、蟻の巣ほどの金銀か」
サフィアは、王の靴の「踵」をそっと指差し、第五十六夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第五十六夜 ――「二つの政党と、歩き方の正義」
ナヌ国の社会は、驚くほど精巧な「政治の仕組み」を持っていました。しかし、ワラカが宮廷に招かれて目にしたのは、国を真っ二つに割る不毛な対立でありました。
そこには、二つの政党が存在していたのです。
一つは「高踵党」。彼らは古き良き伝統を重んじ、靴の踵を高く作ることを誇りとしていました。
もう一つは「低踵党」。彼らは実利と改革を説き、踵の低い靴を履くことを信条としていました。
この「踵の高さ」こそが、ナヌ国における知性と忠誠の証明だったのです。
皇帝は低踵党に肩入れしておりましたが、皇太子は密かに両方の党派に配慮し、片方の踵を高く、もう片方を低くした靴を履いて、びっこを引きながら歩いておられました。
『……どちらの踵が正しいか。そんなことで、彼らは互いを憎み、罵り合っているのか』
ワラカは、中性的な柔和な眼差しで、その滑稽な争いを見つめました。
彼にとっては、どちらも指先でなぞれば消えてしまうような、わずか数ミリの差異に過ぎません。しかし、ナヌ国の民にとっては、それは命を懸けるべき「絶対的な正義」であり、血を流して守るべき「矜持」だったのです。
サフィアは語り終え、王の足元に広がる影を揺らした。
「王様。ナヌ国の民は、あまりに近すぎるものばかりを見ているために、その差異が世界のすべてだと思い込んでいるのですわ。……高すぎる踵も、低すぎる踵も、空から見下ろすワラカにとっては、ただの『歩きにくそうな靴』に過ぎないのに」
ザルカは、重厚な靴を脱ぎ捨て、裸足で冷たい床を踏みしめた。
「……踵の高さ、か。サフィア、余の家臣たちもまた、誰が上席に座るか、誰の血筋が尊いかという、指先ほどの差異に命を懸けている。……ワラカが見ている空の高さからすれば、余の王冠の重さも、この小人たちの踵と同じほどに軽いものなのか」
王の瞳には、権威の「形」に固執することの虚しさと、それを超えた場所にある「真理」への渇望が宿り始めていた。
「だがサフィア。この国内の争いだけでも十分に愚かだが、隣国との戦争はさらに度を越していると言ったな。……その原因もまた、このような『踵』の話なのか?」
サフィアは、朝食の盆から一粒の「ゆで卵」を取り出し、その丸い先端を見つめた。
「第五十七夜。卵の殻を『大きな方』から剥くか、『小さな方』から剥くか。……この一言が、二つの国を亡国の危機へと追いやる、数世代にわたる大戦争の火種にございますわ」
夜の帳が、割れやすい卵の殻のように、危うい均衡を保ちながら揺れていた。




