第五十夜 ―― 地下の咆哮と、教王への親書 ――
第五十夜 ―― 地下の咆哮と、教王への親書 ――
王宮の天窓からは、夜明け前の紺碧の空が覗いている。
ザルカ王は、暗い地下水路を思わせる回廊を歩き、サフィアが待つ中庭へと降り立った。
「……サフィア。闇の中、筏に身を任せたスィルハール。岩に打ち付けられ、意識を失った男が目覚めた先は、やはり死者の国だったのか? それとも、天国だったのか」
サフィアは、清らかな水の滴る水瓶を差し出し、第五十夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第五十夜 ――「セイラン島の住人と、教王スウードの誉れ」
暗黒の地下川に飲み込まれたスィルハールが、激しい衝撃と共に意識を取り戻すと、そこは美しい花々が咲き乱れる川辺でした。
彼を助け起こしたのは、浅黒い肌に穏やかな瞳を持つ、セイラン島の住人たちでした。
『……見ろ、この筏はすべて「最高級の沈香」で組まれている! こんな贅沢な船で流れてくるとは、お前は何者だ!』
彼らが驚いたのは、スィルハールが「生き延びるために適当にかき集めた木材」が、この地では王に献上されるべき極上の香木だったからです。
スィルハールは島の王に拝謁し、洞窟を抜けてきた奇跡の航海を語りました。王はその勇気に感服し、彼を国賓として迎え入れました。
『スィルハールよ。お前のような男を遣わした「教王スウード」とは、いかなる偉人か。この信書と、我が国最高の宝を彼に届けてくれぬか』
スィルハールは、島の王から預かった巨大なルビーの杯や、蛇の皮をなめした不思議な進物を手に、教王の都へと帰還しました。
教王スウードは、死んだと思っていたスィルハールの帰還と、彼がもたらした異国の王からの親愛の情に深く感動しました。
『……スィルハールよ、お前はただの商人ではない。我が国の誇り、真の英雄だ!』
彼はこれまでの六度の航海を、黄金の文字で記録するよう命じ、スィルハールに並ぶ者なき名誉を与えたのです。
サフィアは語り終え、水瓶の水を王の手に注いだ。
「王様。スィルハールが地下の闇で必死に掴んだ『香木の筏』は、都では『平和の架け橋』となりました。……苦難の中で必死に守り抜いたものは、いつか必ず、あなたを一段高い場所へと押し上げてくれるのですわ」
ザルカは、手のひらの冷たい水を見つめた。
「……苦難が、架け橋になるか。サフィア、余もこの孤独な旅路で得た『痛み』を、いつか民との信頼に変えることができるだろうか。……スィルハール。彼はこれで、永遠の安らぎを得たのだろうな」
王の瞳には、かつての冷酷な征服欲ではなく、他国と結びつき、民を慈しむ「大王の静寂」が宿っていた。
「だがサフィア。これほどの誉れを得てもなお、彼は海を見るのをやめられぬのか?」
サフィアは微笑み、最も激しく波立つ「世界の果て」を指差した。
「第五十一夜。ついに訪れる『第七の、最後の航海』。……教王の命を受け、再び海へ出たスィルハールを待つのは、船を丸呑みにする『海の怪物』と、彼を生涯離さぬ『運命の伴侶』にございますわ」
夜の帳の向こうに、二十七年に及ぶ旅の終焉を告げる、一番星が輝き始めた。




