第三十六夜 ―― 空を駆ける宮殿と、少年の卒業 ――
第三十六夜 ―― 空を駆ける宮殿と、少年の卒業 ――
アフリカの乾燥した夜風が、宮殿の天窓から忍び込む。
ザルカ王は、サフィアと共に、月明かりに照らされたバルコニーに立っていた。
「……サフィア。毒を盛る側と盛られる側、その立場が逆転したな。アラディンは、かつての鬼神編のように、後味の悪い勝利を掴むことになるのか?」
サフィアは、香ばしく焼き上げられた一房の「パン」を王と分け合い、最後の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第三十六夜 ――「魔術師の最期と、砂漠を越える帰還」
宮殿の奥深く、魔術師は勝利の美酒に酔いしれていました。
そこへ、美しく着飾った姫君バドル・アル・バドゥールが、偽りの微笑みを湛えて現れたのです。
『……ああ、偉大なる魔術師様。今宵はあなた様の勝利を祝し、私の故郷に伝わる最高の酒を汲み交わしましょう』
魔術師は、己の欲望が叶ったことに慢心し、姫君が差し出した黄金の杯を疑いもせず飲み干しました。
その瞬間です。彼の瞳から光が消え、劇薬の毒が全身を駆け巡りました。魔術師は、自分がかつてアラディンを閉じ込めた地下よりも深い、永遠の闇へと落ちていきました。
物陰から飛び出したアラディンは、倒れた魔術師の懐から、あの煤けた古いランプを奪い返しました。
彼は迷わずランプを擦り、現れた巨大な魔神に最後にして最大の命令を下したのです。
『魔神よ! この宮殿を、愛する姫を、そして私を、故郷の都へと連れ戻してくれ!』
宮殿は轟音と共に浮き上がり、星々を追い越して夜空を駆け抜けました。
翌朝、都の人々が目にしたのは、再び同じ場所に戻ってきた、眩いばかりの宝石の城でした。
アラディンは、魔法の力で得た富に溺れることなく、今度は自らの「知恵」で国を治め、姫君と共に、かつての貧しい自分のような者たちがいない、平和な王国を築き上げました。
彼は、ランプという「魔法」から卒業し、一人の「男」として、そして「王」として、自らの足で歩み始めたのです。
サフィアは語り終え、夜空の彼方に光る一番星を指差した。
「王様。アラディンが最後に信じたのは、魔神の力ではなく、自分の隣に立つ姫君への愛と、自らの勇気でした。……魔法はきっかけに過ぎません。その後の人生をどう描くかは、本人の魂次第なのですわ」
ザルカは、分け合ったパンを噛み締めた。
「……卒業、か。サフィア、余もこの長い夜の物語から、何かを卒業しつつあるようだ。権力というランプを擦るのではなく、民と共に歩む、血の通った王としてな」
王の肩の傷は、もう痛みませんでした。
アラディンの冒険は終わり、二人の旅もまた、一つの大きな節目を迎えようとしていました。
「さて、サフィア。アラディンの次は、誰の物語を聞かせてくれる? ……余の心には、まだ語り尽くせぬ夜があるはずだ」
サフィアは悪戯っぽく微笑み、荷物をまとめ始めた。




