第三十五夜 ―― 忘却の指輪と、毒を秘めた再会 ――
第三十五夜 ―― 忘却の指輪と、毒を秘めた再会 ――
砂漠の夜は、かつての宮殿があった場所を虚無で満たしている。
ザルカ王は、すべてが消え失せた荒野の真ん中で、一人立ち尽くしていた。背後には、奇跡を失った彼を処刑しようとする王の軍勢が迫っている。
「……サフィア。魔法が消えれば、人はただの肉の塊か。アラディンは、砂を噛むような絶望の中で、何を掴むというのだ」
サフィアは、道端の小さな水たまりで自分の顔を洗い、濡れた指先を見つめながら、第三十五夜の語りを始めた。
◆ サフィアの語り 第三十五夜 ――「残された小さな希望と、アフリカの黄昏」
宮殿も、愛する姫君も、そして無敵の魔神も失ったアラディン。
スルタンは激怒し、彼に死刑を宣告しました。しかし、民衆の懇願により、彼は四十日間の猶予を与えられました。アラディンは砂漠を彷徨い、もはや自ら命を絶とうと川のほとりに立ちました。
絶望の中で彼が祈りを捧げ、手を洗おうとしたその時です。
すっかり忘れ去られていた、あの「魔術師から渡された指輪」が、水に濡れて彼の指を強く締め付けました。
一筋の煙。現れたのは、ランプの魔神に比べればあまりに小さく、非力な「指輪の精」でした。
『ご主人様。私は宮殿を戻す力は持っておりません。ですが、あなたをそこへ運ぶことなら可能です』
アラディンの視界は一瞬で歪み、気づけば彼は、はるか遠く、アフリカの荒野に建つ「自分の宮殿」の窓の下に座っていました。
彼は夜陰に紛れて侵入し、嘆き悲しむ姫君バドル・アル・バドゥールと涙の再会を果たしたのです。
『姫、泣かないでください。……奴の手にあるランプを取り戻すために、今一度、あなたの勇気を貸してほしい』
アラディンは、懐から「強力な眠り薬」を取り出しました。
それは、かつての鬼神編で語られた毒酒を彷彿とさせる、知恵の劇薬です。
姫君は震える手でそれを受け取り、今夜、勝利に酔いしれる魔術師を「最期の晩餐」へと誘う決意を固めたのです。
サフィアは語り終え、王の指にかかった小さな銀の輪を指差した。
「王様。ランプという太陽を失った後で、アラディンを救ったのは、小さな星のような指輪の力でした。……我々も、大きな志を失いかけた時、最初に手にした『初心』という名の小さな指輪が、道を拓くことがございますわ」
ザルカは、自分の指輪を回した。
「……初心、か。余が最初に剣を握ったのは、誰かを守るためだった。権力を守るためではなかったはずだ。……サフィア。アラディンが仕掛ける毒は、今度は『正義』の味となるのか?」
「毒は毒にございますわ、王様。……ですが、愛する者を取り戻すための毒は、時にどの香油よりも美しく香るものです」
ザルカは、闇の中に建つ見えない「心の宮殿」を見据えた。
魔術師が杯を飲み干し、ランプの真の主が決する時。
それは、魔法に頼った少年の「卒業」の瞬間でもあった。




