暗殺の刻
「ぼくが、消える……?」
はっと気づいたぼくは、スマホを取り出した。
要石に気を取られ過ぎていた。
画面に表示されているのは、ぼくがいつも黒の暗殺者に襲われる時刻だった。
『パパ、避けて!』
考えるより先に身をひねった。
刃が胸元をかすめ、黒い影がすぐ脇を通り過ぎる。
黒い影が振り返る。その顔を、黒いマスクが覆っていた。黒の暗殺者だ。
「こんなところまで来るのか……」
ここは自家用ヘリで飛んできた山の中だ。
それでも、こいつは現れた。
「カナタさん!」
ハルカの声と同時に、暗殺者が踏み込む。
突き出された刃が、目の前で止まった。
背後から瀬葉が、暗殺者の手首をつかんでいた。
「お嬢様、カナタ様。お逃げください」
暗殺者が腕を引こうとするが、瀬葉は離さない。
「瀬葉さん、そいつは強い! 一人じゃ――」
ぼくが声を上げた時、ハルカに手を引かれた。
「ここは瀬葉さんに任せましょう。瀬葉さんが逃げろとおっしゃったのです。私たちが残れば、彼は役目を果たせませんわ」
毅然とした声だった。
『パパ、こっち! ここにいちゃ駄目なんだ!』
トワが霧の奥へと走る。
ぼくも思い直した。瀬葉の覚悟を無駄にしてはいけない。
ぼくは前を向き、ハルカと駆け出した。
だが、黒の暗殺者の強さを、ぼくは嫌というほど知っている。
瀬葉といえども、そう長くは食い止められないだろう。
『こっちだよ!』
木々の間を曲がり、茂みを飛び越える。
何度も進む向きを変えるうちに、霧が薄れてきた。
やがて木立が途切れ、視界が開けた。
そこは、山並みの向こうに広がる遠い街まで見渡せる高台だった。
足を止め、息をつく。
『トワが来られるのは、ここまでなんだ』
声のした方へ目を向ける。
「トワ?」
しかし、辺りを見回しても、あの小さな姿はなかった。
背後で、ハルカがあっと声を上げた。
振り返ると、黒い影が霧を抜けてくるところだった。
その手には、刃物が握られている。
「瀬葉さんは、どうしたのです!?」
ハルカの声が裏返った。
黒の暗殺者は足を止めずに答えた。
「一時的に動けなくしましたが、命に別状はありません。あなたも、そこを退きなさい! 私の標的は、その男だけです」
刃先が、ぼくに向いた。
「カナタさんは私の旦那様ですわ。黙って見ているわけにはいきません」
ハルカがぼくの前に出る。
ぼくは、その肩に手を添えた。
「ありがとう。でも、こいつとの決着は、ぼく自身でつけなきゃいけないんだ」
ハルカは振り向き、ぼくの顔を見つめた。
何か言いかけたものの、唇を結び、小さく頷く。
「……では、これを」
手渡されたのは、護身用のスタンガンだった。
「ありがとう」
ぼくはハルカから距離を取り、スタンガンを握った。
先端の二つの電極を相手に向け、親指を作動ボタンにかける。
押すと、電極の間に青白い火花が走った。
こいつを相手の体に押し当てることができれば、動きを止められるかもしれない。
しかしそのためには、あの刃をかいくぐらなければならない。
これまで奴に一撃すら入れられなかったぼくにできるのか?
ぼくは自問しながら暗殺者を見据えた。
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