ぼくの正体
ヨミが興味深そうに、ぼくと鉄格子の向こうのマリスを見る。
「今のは、マリスがカナタを助けたように見えたね。不思議だな。カナタ、君にはマリスの友達でもいるのかい?」
ヨミはうずくまるマドカへ目を向けた。
「それにしても、マリスを操る人間が、マリスにやられるとはね。さすがに油断しすぎじゃない?」
「マリスには、檻の中で大人しくしているよう命じてありましたの。それなのに、なぜ……」
「命令には従ってるよ。檻から出てないし、暴れてもいない。ただ君の頭を掴んだだけだ」
「……」
「まあとにかく――」
ヨミは再びぼくへ目を向けた。
「マドカの能力を失うわけにはいかない。早く治癒の力を持つレムウォーカーのところへ連れていかないと、手遅れになるかもしれない。だからカナタ。悪いけど、大人しく檻に戻ってくれないかな」
そう言われて従うはずがない。逃げるなら、今しかない。
ぼくは床を蹴った。
その瞬間――。
ヒュンッ!
鋭い何かが左脚を掠めた。
一歩踏み出した途端、左脚から力が抜ける。
「――っ!」
ぼくは体勢を崩し、床へ倒れ込んだ。
左脚に力が入らない。
床には一本のナイフが転がっていた。
「だから言っただろ。俺には先が見えるって」
ヨミの手には、次のナイフが握られている。
「膝の裏を狙って、腱を切った。君がどちらへ逃げるのか分かっているし、ナイフをどこに投げれば効果的なのかもシミュレーションできる。投擲なら、外さないよ」
マドカの支配の力は封じられたが――ヨミも厄介すぎる。
「俺には、騙しも不意打ちも通じない。君が妙な真似をしようとした瞬間、俺は確実に急所を刺すよ。これはただの脅しじゃない」
ヨミがゆっくりと近づいてくる。
「できれば殺したくないんだ。もっと時間があれば、じっくり話し合いたかった。でも今は、マドカを治療しないといけない」
ヨミが手を差し出す。
「分かってくれないかな」
分かるわけがない。
ここで捕まれば、ハルカを危険に晒すことになる。
「うおおおっ!」
ぼくは動く右脚だけで床を蹴り、ヨミへ飛びかかる。
しかし、ぼくが飛びかかるより早く、ヨミの腕はすでに動いていた。
ドッ!
胸に衝撃が走った。
見るとナイフが深々と胸に突き刺さっていた。
「……がっ」
口の中に鉄の味が広がり、血が溢れた。
ヨミは静かにぼくを見下ろしていた。
「残念だよ。俺は同じことは二度言わない」
息を吸おうとしても、うまく吸えない。
肺をやられた。これは致命傷だ。
痛みは平気だが、この状態では一分も持たないだろう。
その時――。
「カナタさん……」
背後から声がした。
鉄格子の隙間から、一本の触手が伸びてくる。あのマリスだ。
細長い触手が、ぼくのすぐそばまで伸びていた。何をするつもりなのかは分からない。それでもぼくは迷わず、その触手を掴んだ。
ジュウッ――。
肉の焼けるような音を立てて、触れたところからぼくの皮膚が溶けていく。
だが、不思議と痛みはなかった。それどころか、心地よささえ感じる。
まるで、大切な誰かと手を繋いでいるような感覚だった。
「おい、何だ、それ?」
ヨミの声が聞こえた。
ぼくの手は溶け続け、指がなくなり、手のひらが崩れていく。やがてぼくの腕とマリスの触手の境目がなくなった。
繋がっている。
ぼくと、マリスが一つに繋がっている。
「……おかしい。何度シミュレーションしても、先が読めない……理屈では説明できないことが起きているのか?」
ヨミの声から余裕が消えた。
黒い影が腕から肩へ、そして全身へと広がっていく。ぼくの体から輪郭が失われ、黒い影のような姿へと変わっていった。
「カナタ……君は、本当に人間なのか?」
ヨミのその言葉を聞いた瞬間、これまで抱えていたいくつもの疑問が頭の中で繋がった。
なぜ、ぼくはレヴェリアへ来るたび、いつもマリスたちの中で目を覚ますのか。
なぜ、ぼくにはマリスの毒が効かないのか。
なぜ、他のレムウォーカーたちが持つような特殊な力が、ぼくにはないのか。
そして、なぜ――マリスにしか効かないはずのマドカの力が、ぼくには通じたのか。
全部、一つの答えに繋がっている。
ぼくはレムウォーカーじゃない。
――マリスウォーカーなんだ。
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