黒幕
「……霧の街はどうなった?」
だが今は後悔している場合じゃない。
ぼくが尋ねると、マドカは残念そうに答えた。
「今は膠着状態ですわ。ハルカが壁をさらに高くして、せっかくの橋を使えなくしてしまいましたの。すでに街へ入った子たちは暴れているようですけれど、数はそれほど多くありませんし」
ひとまず、ぼくは胸を撫で下ろした。街は持ちこたえている。
そんなぼくを、マドカは嬉しそうな顔で見つめる。
「それより、今はあなたの方に興味がありますの。わたくしの力が通じた、初めての人間。わたくしの忠実な僕……」
背筋に寒気を覚えるが、ぼくにはもっと聞きたいことがある。
「なぜ、霧の街を襲わせる?」
「あら」
マドカの瞳が残忍な光を帯びた。
「上からの指示、というのもありますけれど……わたくし個人としては、ハルカがいるからですの」
「ハルカが?」
「ええ。現実世界では、わたくしとハルカさんは従姉妹なのです」
「従姉妹……」
やはり、『天宮』という苗字が同じなのは偶然ではなかった。
「ハルカには、もうご両親がいらっしゃらないでしょう? ハルカさんさえいなくなれば、天宮家の直系は途絶えます。そうなれば、次に天宮財閥を継ぐのは――わたくしたちの家系ですもの」
「そのために、ハルカを殺すつもりなのか?」
ぼくは声を荒げた。
「これは失礼。あなた、こちらではハルカの旦那様でしたね」
マドカはすぐに何かを思いついたように口を開いた。
「でしたら、マリスを差し向けるよりもっと簡単な方法がありますわね」
「……何?」
「あなたにハルカを殺していただけばいいのです」
一瞬、ぼくの頭が真っ白になった。
「ハルカは、あなたを完全に信頼しているのでしょう? あなたになら警戒さえしない。マリスを千体も送り込むより、ずっと簡単にハルカを殺すことができますの」
「ふざけるな!」
ぼくは叫びながら、鉄格子を激しく鳴らす。
「でも――あなたは、わたくしの命令には逆らえない」
マドカの瞳が赤く染まり、彼女は鉄格子を開けて中に入ってきた。
「……っ!」
体の自由が効かない。
「ここから出て霧の街へ戻り、ハルカさんを殺してきてくださいな」
そんなこと、死んでもするものか。
そう思っているのに、意識が遠のいていく。
駄目だ……それだけは……
「――その作戦は、了承しかねるね」
突然、聞き覚えのある声がした。
マドカが振り返ると、ぼくは急速に意識を取り戻した。
通路の奥から、一人の男が歩いてくる。
「ヨミ……?」
光の街の統治者、ヨミだった。
「マドカ。今カナタをここから出すのは危険だ」
「なぜですの? この方はもう、わたくしの僕ですのよ?」
「本当にそう? 孫子曰く――『能あるも之に不能を示す』」
「……何のお話ですの?」
「できるのに、できないふりをする。相手を欺く基本だよ」
ヨミはマドカを見据えた。
「そもそも、君の能力はマリスを操る力だろ? 人間に効いたのはカナタが初めてだ。だったら、カナタが情報を得るために操られているふりをしている可能性もあるんじゃないかな」
「そんな……彼は間違いなく、わたくしの命令に従いましたわ」
「従ったように見せかけているだけかもしれない。大体、操られたふりをしている人間と、本当に操られている人間。君は確実に見分けられる?」
「それは……」
マドカが言葉に詰まった。
「君はカナタに多くのことを話した。そんな人間をわざわざ街へ帰してどうする?」
ヨミはため息混じりにたしなめる。
「ヨミ……どうして、あんたがここにいる?」
二人の会話を遮り、ぼくは問いかけた。
「もう分かってるだろ?」
いつもと同じ、人当たりのいい笑顔。
なのに今は、まるで別人に見えた。
「俺が黒幕だからだよ」
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