空白の二時間
「――っ!」
目を開けると、見慣れた天井があった。
窓から朝の光が差し込んでいる。
ぼくは体を起こし、辺りを見回した。
自宅の寝室だ。
ちゃんと自分のベッドで寝ている。
「あれ……?」
混乱しながら昨夜の記憶をたどる。
マリスの討伐を終えて街へ戻り、一人で壁を見回った。
そこで、フードを被った怪しい人物を見つけた。
声をかけて近付くと、暗闇の中で赤い目が光った。
覚えているのは、そこまでだ。
だとしたら、どうやって家まで帰ってきた?
その時、寝室の扉が開いた。
「カナタさん、おはようございます。どうかなさいました?」
ハルカが顔を覗かせる。
ぼくの様子を見て、不思議そうに首を傾げた。
「ハルカ。ぼく、昨日どうやって帰ってきた?」
「どうやって……ですか?」
「帰ってきた時のこと、覚えてる?」
「ええ。普通に帰っていらっしゃいましたよ。日付が変わる頃だったでしょうか。私はトワと一緒に眠っていたのですが、カナタさんが帰ってきた時に、目を覚ましました」
ハルカが心配そうにぼくを見る。
「私はすぐにまた眠ってしまいましたけれど……何かありました?」
「……いや」
ぼくは言葉を濁した。
おかしい。ぼくは自分の足で家まで帰っている。それなのに、その記憶がまるごと抜け落ちている。
ふと自分の格好を見る。
見回りに出た時の服を、そのまま着ていた。
ひとまず体を洗って服を着替えると、いつものように朝食を作った。
ハムとチーズを乗せたトーストに、サラダと果物を添える。
「まあ、美味しそうですわ。いただきます」
ハルカがトーストを両手で持った。
「体調はどう?」
「とても元気ですわ。むしろ、トワが生まれる前より元気なくらいです」
「それまでが働きすぎだったんだよ」
以前のハルカは、睡眠時間を削ってまで絵を描いていた。
マリスの襲撃に備え、街を囲む巨大な壁を創っていた頃は、何度休むよう言っても聞かなかった。
今は防衛の準備も一段落している。
トワが生まれてからは子育てを優先し、用事がなければ霧の塔へも行っていない。
「それに、トワはとても賢い子ですから。私が忙しくしている時はおとなしくしていて、手が空いた頃にお乳を欲しがるのです」
「えっ、本当に?」
「ええ。母親には分かるのですわ」
自信満々に言われて、ぼくはトワを見る。
ハルカのすぐそばで横になり、ぱっちりと目を開けている。
泣きもせず、朝食を食べる母親の顔をじっと見つめていた。
……確かに賢そうな目だ。
まあ、ひいき目ではないと言えば嘘になるけれど。
さすがに生まれたばかりで空気を読んでいるとは思えないが、トワは夜泣きもほとんどしないし、手のかからない子なのは間違いない。
そして、とにかくかわいい。
トワを見ていると、昨夜の謎の出来事などどうでもよくなりそうになるが、放っておくわけにはいかない。
朝食を終えると、ぼくは昨日の記憶を確かめるため、ミラのところへ向かった。
「昨日のこと? あたしたちと一緒に討伐に行ったじゃないか」
ミラの話は、ぼくの記憶と一致していた。
昨日は兵団とともにマリスの討伐へ向かい、夕方には街へ戻った。
入口の門をくぐったところで、ミラや兵士たちと別れている。
「その後のことは知らないよ。あんた、一人で帰ったんじゃないのかい?」
「そうだよね……」
そこまでは間違いない。
ミラたちと別れたあと、ぼくは壁の見回りを始めた。
そして三時間ほどかけて、壁に沿って街を歩いた。
ここまでは、はっきり覚えている。
問題は、その後だ。
日付が変わる二時間ほど前だったと思う。
ぼくはフードを被った人物と出会った。
赤く光る目を見て――そこで記憶が途切れた。
そして日付が変わる頃には、自分の足で家へ帰っている。
つまり、分からないのはその間だけ。
少なくとも、最後には自分で歩いて家へ帰っているから、ずっと気を失っていたわけではない。
それなら――
その二時間、ぼくは何をしていた?
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