天啓峰
霧の街を離れるにつれ、霧は薄くなり、景色も少しずつ変わっていった。
馬車は草原を抜け、川を渡り、いくつもの羊の牧場を通り過ぎる。
旅のあいだも、ぼくの頭からハルカや街のことが離れることはなかった。
本当にマリスから街を守れるのか。
生まれてくるあの子に、穏やかな未来を与えられるのか。
その答えを求めて、馬車は北へ進み続けた。
七日目の昼過ぎ、遠くに、頂に神殿のある山が見えてきた。
「あれが天啓峰だ。ようやく着きそうだね」
名前からして、閉ざされた霊峰のような場所を勝手に想像していたのだが――。
「……なんだか、賑やかじゃない?」
たどり着いた山のふもとには、いくつもの建物が軒を連ねていた。
人の行き来も多く、宿らしき建物まで並んでいる。どうやら温泉まであるようだ。
霊峰というより、ちょっとした観光地だ。
「昔は何にもない山だったんだよ」
ミラが馬車を止めて、天啓峰を見渡した。
「ミコがここに住み始めてから、預言者に会いたいって奴が次から次へやって来るようになってね。ところが、すぐに会えるわけじゃない」
「待たされるってこと?」
「そりゃもう。何日どころか、何か月もさ」
「何か月……」
「それだけ待つなら寝る場所もいるし、食べ物もいるだろ? そうして宿ができて、気づけばこの有り様さ。大した影響力だよ」
聞けば、ミコが面会するのは、一日に一組だけらしい。
そのため順番待ちは積み上がり、今では予約を取っても数か月先になるという。
そんな話を聞くと、ミコと会えるのかますます不安になってくる。それでも、ぼくたちは山頂に続く石造りの階段を登った。
やがて木々が途切れ、視界が一気に開ける。
「おお……」
思わず声が漏れた。
山頂には、白い石で築かれた神殿が立っていた。
幾本もの細い柱が、瓦葺きの屋根を支えている。
パルテノン神殿と寺を掛け合わせたような見慣れない造りだ。
だが、その姿は周囲の木々や空にうまく調和して、不思議な美しさがあった。
「これが、ミコの住んでいるところ?」
「そうさ」
ぼくたちは神殿へ足を踏み入れる。
入口の奥には一人の女性が座っていた。
「あの、ミコさんに会いたいんですけど」
「ご予約はございますか?」
「ないです」
女性は手元の帳面を確認した。
「申し訳ございません。現在ですと……お会いできるのは二百日ほど先になります」
「二百日!?」
思わず聞き返した。
その頃にはもう、マリスの襲撃は終わっている。
「それじゃ遅いんだ。だって――」
ぼくが食い下がるより先に、ミラが横から口を出した。
「こいつは霧の街の創造者、ハルカの旦那だよ。ハルカとミコは交流があっただろ?」
「ハルカ様の……?」
女性は帳面から顔を上げ、改めてぼくを見た。
「この神殿も、ハルカ様に創っていただいたものなのです」
「ハルカが?」
なるほど、この斬新なデザインの神殿は、ハルカによるものだったのか。
「はい。ですからミコ様も、ハルカ様には大変感謝しておられます」
女性は帳面の間に挟まれていた一枚の紙を取り出した。
「あ……これですね」
「何?」
「ミコ様から預かっているメモです。『霧の街から二人の訪問者が来たら、予約の有無にかかわらず通すこと』と書かれています」
「二人……?」
ミラが得意げにぼくを見る。
「やっぱり知ってただろ?」
「みたいだね」
馬車の中で交わした話を思い出す。
まさか、本当にその通りになるとは。
まだ姿さえ見ていない預言者ミコ。
だが、すでに彼女の手のひらの上にいるような気がしてきた。
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