錯覚
マリスは降り注ぐ矢に構うことなく突進してきた。
十人の盾兵が一歩前へ出る。重厚な大盾が一列に並び、進路を塞ぐ。
マリスの触手が横薙ぎに振り抜かれる。
盾兵たちは衝撃を受け止めたものの、そのまま吹き飛ばされた。
踏ん張り切れていない。あれでは押し負ける。
すぐ後ろの槍兵が、槍を突き出す。
だが、届かない。
槍より長いマリスの触手が繰り出される。
まずい。
ぼくは地面を蹴り、兵士たちの前に躍り出た。
以前のぼくは、この場所から逃げ出すことしかできなかった。
だけど――今は違う。
剣が閃く。
一本目の触手が宙を舞った。
続けざまに二本目、三本目。
そこでマリスが体勢を崩した。
今だ!
ぼくは素早く懐へ飛び込み、その赤い瞳へ剣を突き立てた。
マリスは全身を震わせる。
黒い体が音もなく崩れ始め、輪郭は黒い粒子となって溶けていった。
「すごい……」
「一人で倒したぞ!」
「さすがはレムウォーカー!」
兵士たちから歓声が上がる。
だが、喜ぶ暇はない。
新たなマリスがこちらへ迫っていた。
「カナタ様を中心に陣形を組め!」
隊長が即座に叫び、ぼくの後方に槍兵と弓兵が連なった。
次のマリスが触手で地を打ち鳴らしながら迫る。先ほどのマリスより勢いがある。だが、一体ずつなら対処できる。
ぼくは剣を構え、それを迎え撃とうとした。
その瞬間だった。
大地が低く唸った。
黒く汚染された地面に一本の亀裂が走る。
それは生き物のように枝分かれしながら、瞬く間に周囲を駆け抜けた。
「総員、退避!」
隊長の怒号が響く。
ぼくも咄嗟に飛び退こうとした、その瞬間だった。
足元が砕けた。
眼下には暗い奈落が広がっている。
「カナタ!」
ミラの叫びが聞こえた。
伸ばされた手を掴むこともできず、ぼくの体は暗闇へ吸い込まれていく。
やがて、背中に激しい衝撃が走った。
「くはっ……!」
肺の空気が無理やり押し出される。
ぼくは激しく咳き込みながら体を起こす。
そこは薄暗い地下の洞窟だった。
見上げても、崩れた穴の向こうは土煙で何も見えない。
「ミラ!」
叫んでも返事はない。
ここに落ちたのは、どうやらぼくだけらしい。
その時、闇の奥で、赤い光が揺れる。
一つ、二つ、三つ。
赤い瞳が次々と浮かび上がり、ぼくを取り囲むように広がっていく。
「くそっ、何体いるんだ……」
ぼくは剣を構えた。
最初の一体が飛びかかる。
身をひねってかわし、振り抜いた刃で触手を一本切り落とす。
だが、その背後から二体目が襲いかかってきた。
剣を引き戻して受け止める。
重い一撃を押し返した瞬間、また別のマリスの触手が頬をかすめた。
熱い。焼けるような痛みが走る。
傷の程度を確かめる間もなく、さらに四体目、五体目が迫ってくる。
一体だけならともかく、複数体のマリスを同時に相手することは今のぼくには難しい。
あと半歩ずれれば首を刎ねられる。そんな紙一重の攻防を繰り返しながら、ぼくはじりじりと後退していた。
背中が岩壁に触れる。
「しまった……!」
もう逃げ場がない。
その時だった。
他のマリスの攻撃を遮るように、新たなマリスが、ぼくの前へ静かに歩み出た。
ぼくは剣を構える。
しかし、そのマリスは襲ってこない。
触手を揺らすこともなく、赤い瞳でぼくをじっと見つめている。
「カ……ナタ……さん……」
声が聞こえた気がした。
「カナタ……さん……カナタ……さん……」
ぼくの鼓動が大きく跳ねる。
「……ハルカ?」
目の前にいるのは、紛れもなくマリスだ。
それなのに、なぜかそこにハルカの影が重なった。
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