レムウォーカー
雨上がりの湿ったアスファルト。
夕日に照らされた見慣れた街を走る。
そしてぼくは自宅のボロアパートに到着し、駐輪場に自転車を停めた。
まったく、さっきの二人、初対面なのに大きなお世話だ。
だが……『無間地獄』……その言葉が妙に頭に張り付いてしまった。
それを振り払おうと頭を振る。
辺りは妙に静かだった。
夕暮れで、ぼくの影は自分のものではないように長く伸び、どこか別の世界に繋がっているような気がした。
むしろ別の世界に行けるなら行ってしまいたい。
親ガチャのない平等な――
唐突に、ぼくは背中に焼けるような痛みを感じた。
息ができず、声もあげられない。
喉の奥のものを無理やり吐き出すと、空気の代わりに鮮血が溢れ出てきた。
「ごほっ」
声にならないまま振り返ると、黒い人影が走り去っていくところだった。
激しい痛み。ぼくは刺されたのだ。
急速に視界が暗くなっていく。
これがまさに、『背後から心臓をひと突き』というやつだ。
意識が遠のいていき、ぼくは地面に倒れた。
温かい水溜まりの中に倒れたようだ。いや、これは流れ出るぼくの血の上だ。
体は急激に冷たくなっていく。
ああ、これは死ぬな……
本当にクソみたいな人生だった。
消えそうな意識の中、ぼくのスマホが不気味な音を立てた。
ギュリオォン、ギュリオォン。
今まで聞いたことのない、不快で耳障りな音だ。
ギュリオォン、ギュリオォン。
ぼくのスマホだけではない。あちこちから響いているようだ。
ヒュオッ。
一瞬、何かが風を切るような音がしたと思うと、暗くてほとんど見えなくなっていたぼくの視界が白く焼き付き、ぼくの意識は途切れた。
◇ ◇ ◇
霧散した意識が、再び一か所に集まるような感覚。
ぼくが目を開けると、暗闇の中に立っていた。
……痛くない。
確かに心臓を貫かれたはずなのに。
恐る恐る胸に触れてみても、傷はない。
一体ここはどこだ? 死後の世界なのか。
足元にはゴツゴツした岩が広がり、歩くたびに靴裏へ硬い感触が伝わってくる。
遠くから物音が聞こえる。人の叫び声や、金属がぶつかり合うような音だ。
暗くてよく見えないが、すぐ横には岩壁が続いている。どうやらここは洞窟の中のようだ。
手を当て、壁に沿って進む。
しばらく歩くと、前方に何かがある。
目を凝らすと、闇の空間に細い亀裂が走ったように見えた。亀裂から光が漏れている。
出口か? そう思った途端に亀裂が大きくなり、中に光を放つ同心円の赤い球体が見えた。
違う……これは、目だ。
縦向きで、瞼が左右に開いた大きな一つ目。
そう気づいた時にはその異形の長腕がこちらに伸びていた。
悪寒が全身を駆け抜けた。
ぼくは咄嗟にそれに背を向け、逆方向に走り出した。
後ろを振り返れば、目を輝かせた異形が追いかけてきている。
しばらく走り続けると、徐々に明るくなってきた。物音も大きくなってくる。洞窟の出口だ。
ぼくは、そのまま洞窟から飛び出した。
しかし、その先の空間は、さらに何体もの黒い異形の姿があった。
そして、鎧を身に付け、剣を振り、その異形と戦っている人々の姿もあった。
「おい、お前。そんな軽装で悪意の大群に挑むなんて、死ぬ気か?」
ぼくの姿を捉えた兵士の一人が声を上げた。
この一つ目の黒い異形は、マリスと呼ばれているようだ。
「お前……レムウォーカーか?」
「レムウォーカー?」
聞き慣れない言葉にぼくはそのまま聞き返す。
「ああ。この世界に突然ふらりと現れる人間のことだ。……いや、詳しい説明は後だ。死にたくなければ、今は戦いに集中しろ。レムウォーカーなら、特別な力を持っているはずだ」
レムウォーカーに、特別な力……
兵士の言っている意味はあまり理解できなかった。
だが、目の前では、マリスがこちらへ迫ってきている。
生き残るには、試すしかない。
ぼくはマリスへ向き直った。
マリスはぼくの周りを蠢きながら、不思議なものを眺めるかのように見ていた。
あいつの弱点はおそらく、横に開いたあの目だろう。ぼくの直感がそう告げている。
そう思い、ぼくがマリスに向かって一歩を踏み出したその瞬間だった。
マリスの長い腕がヒュンと風を切り、それがぼくの体をぱちんと弾いた。
「え……」
ゴツゴツした地面に転がったぼくは違和感に気づく。腕が動かせず、立ち上がれない。
そこに目をやると、自分の右腕がなくなっていた。
「ええええ!」
遅れてやってくる激しい痛み。
「助けて……」
ぼくは這うように後退りながら、先ほど言葉を交わした兵士の方に目をやる。
しかしその兵士は、既に首のない躯になっていた。
「うあああ……」
右肩から流れ出る血液を止める術もなく、ただ体を丸めようとしたその時、マリスの触手がぼくの脳天に振り下ろされた。
ぐしゃっ。
ほんの一瞬、自分がつぶされる感触。
そして意識が途切れた。
◇ ◇ ◇
再びぼくが目を開けると――
そこは、赤い夕日に染まった自宅のボロアパートの前だった。
今のはなんだったんだ……脳天から潰される感触を、まだ鮮明に覚えている。
悪夢か、幻覚か……
ぼくがひとまずアパートに入ろうとしたとき、背中に焼けるような痛みを感じた。
思い出したくもない感覚。これは、『背後から心臓をひと突き』。
「ごほっ」
声の代わりに血が吹き出す。振り返ると、黒い人影が走り去っていく。
前と同じだ。痛みも苦しみも同じ。
さっきのは夢じゃない。
そしてスマホが不気味な音を立てる。
ギュリオォン、ギュリオォン。
まただ。
同じ現実が繰り返されている。
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