地獄のカナタ
背後から、心臓をひと突き。
これが何回目かは、もう数えていない。
黒の暗殺者は、ぼくがどんな動きをしても、必ず心臓を貫いてくる。
背後からそれをやるのは、簡単ではない。
それでも奴は、外さない。
何度繰り返しても、そのたびにぼくが違う動きをしても、刃先が肋骨の隙間を滑り、正確にぼくの鼓動を止めにくる。
それだけで十分に黒の暗殺者の異常さを物語っている。
ぼくはまだ意識を保っているが、呼吸ができなくなり、急速に視界がぼやけていく。
ギュリオォン、ギュリオォン。
直後、決まってぼくのスマホが不気味に鳴る。
それを合図にするかのように、ぼくの視界は白く塗りつぶされ、そして闇の中へ。
そこで今度は蠢く悪意に遭遇する。
異形の黒い体に、瞼が左右に裂けるように開いた、縦長の赤い目。
そいつはぼくの姿を捉えると、断罪するかのように、長い触手を振り下ろす。
逃げようとするぼくの手足は簡単に千切れて飛んでいく。
最後は頭だ。
霧散したぼくの意識が再び一つにまとまると、そのきっかり五秒後に、
トン。
黒の暗殺者によって背後から心臓をひと突きにされるのだ。
刺されて、潰され、
また刺されて、潰される。
死が終わらない。
終わることを許されない。
これが無間地獄……
なんの因果か、ぼくはそんな地獄の真っ只中にいた。
ただ、この地獄を作った奴は、一つだけ計算を間違えている。
人間は、死の苦痛にもそのうち慣れる。
そもそもなぜこのようなことになったのか。
ことの始まりは、大炎上だった。
◇ ◇ ◇
スマホの通知が鳴り止まない。
数千件。
すべて、ぼくへの批判だ。
生成AIは便利だ。ちょっと言葉を入力するだけで、実写と見分けがつかないような画像や動画を作ってくれる。
だから、バズれば面白い、という軽い気持ちだった。
ジョークのつもりで隣国をからかうフェイク動画をSNSへ投稿した。
結果は、大炎上。
動画は爆発的に拡散されたが、ぼくのアカウントも一緒に燃え上がった。
それ以来、何を投稿しても返ってくるのは誹謗中傷だけ。
ぼくにも非はあるだろう。
……いや、まあ明らかに悪い。
それでも、便乗して石を投げ続ける連中を見ていると、小学校や中学校でいじめられていた頃を思い出してしまう。
結局、ぼくはアカウントごと削除した。
これで批判コメントを見ることはもうない。その代わり、暇になってしまった。
ぼくは時任彼方。
二浪中の二十歳だ。
なぜ二浪もしているかというと、親から、大学に行くなら国立、そうでなければ就職と言われているからだ。
私立なら受かりそうな大学もあるのに、うちには学費を払う余裕はないらしい。
そして、三浪はないとも言われている。次受験に落ちたら働くしかない。
勉強が好きなわけじゃない。
でも働きたくもない。
やりたいことも特にないし、欲しいものもない。
苛立ちながら、ぼくは自転車を走らせる。
流れる景色に、見知った顔が見えた。
近所のぼくの同級生。笑顔で恋人と並んで歩いている。
あいつは大学二年生か。身なりも小綺麗で、いかにもキャンバスライフを楽しんでますという雰囲気だ。
ぼくは高校の頃から何も変わっていない。
一歩も前に進めておらず、時間を注ぎ込んだSNSのアカウントも自分で消してしまった。
私立に行けていたら、あいつと同じ大学生活を送っていたかもしれない。
そう思うと急に自分が惨めに思えてきた。
大体、ぼくがこんな状況に陥っているのは、親の稼ぎが少ないからじゃないか。
苛立ちをぶつけるように、自転車を坂道へ走らせる。
湿った風が頬を叩く。
誰にも聞こえないと思って、ぼくは叫んだ。
「親ガチャ失敗大爆死!」
その瞬間だった。
左の細い道から、一台の車椅子が現れた。
このまま行くとぶつかる。
ぼくは急ブレーキをかけたが完全には止まらない。車椅子の右を掠めて停止した。
「きゃっ!」
小さな声を上げたのは、車椅子に座っている十七歳くらいの少女だった。
腰までありそうな長い髪は色素の薄い銀髪。
胸元に黒いリボンが結ばれた白いシャツとスカート、チェックの膝掛けは、いかにも育ちの良いお嬢様といった雰囲気を出している。
しかし、左目を覆う眼帯が、美しい風貌を痛々しくしていた。
「申し訳ありません、お嬢様。お怪我はありませんか?」
車椅子を引いていた年配の男性が慌てて声をかけた。
白髪、眼鏡。整えられた髭。ネクタイを締めた白いシャツの上に黒いスーツ。
それは、いかにも執事らしい風貌だった。
「大丈夫ですわ。それに、自転車にぶつかったくらいの怪我では、今の私にとってそれほど大きな変化にはならないでしょう」
「それは……」
少女の言葉に年配の男性は困ったように口淀んだ。
そして少女はぼくを見て、冷静な口調で話し始めた。
「それにしてもあなた、危ないですわ。私でまだ良かったものの、これがご高齢の方であれば取り返しのつかない事故に繋がっていた可能性もあります」
「悪い……」
ぼくは頭を下げた。しかし少女はさらに言葉を続けた。
「それにあなた、『親ガチャ失敗』と叫ばれていましたわね。あなたは何か不満を抱かれていて、そしてそれをご両親のせいだと考えられていらっしゃるのですか?」
少女の踏み込んだ指摘にぼくは思わず声を強めてしまう。
「それは、そうだろう。生まれた家で、人生の大半は決まってしまう。裕福な家に生まれれば良い暮らしができて、貧しい家に生まれたらずっと貧しいままだ」
ぼくの反応に、少女は目を伏せた。
「確かに、そういった傾向があることは否めませんわね。でも、日本という国は貧しくても誰もが一定の教育を受けられますし、本人の努力によって、変えることもできるのではないかしら」
ぼくはいかにも育ちの良さそうな彼女と、車椅子を引いている男性の顔を眺めた。
「私が言っても説得力はないと言いたそうですわね。でもご両親はあなたをここまで育ててくれたのですから、それは感謝したほうがよろしいのでは?」
自分より年下の少女に嗜められたことで、ぼくはさらに惨めになった気がして、思わず今まで溜めてきたものを吐き出してしまった。
「感謝? こんな状況でも? 育てるのは親の義務みたいなものだろ? 大体大した贅沢もしたことがないのに」
「……ごめんなさい。私もあなたの事情を知らないまま言い過ぎましたわ」
その様子を見かねたのか、年配の男性の方が口を挟んだ。
「失礼ながら、私も子供の頃、こんな話を聞かされましたな」
男性は真面目な顔で続けた。
「親を恨む者は、無間地獄に堕ちる――と」
は? 地獄だって? 馬鹿馬鹿しい。ぼくはもう子供じゃない。
「死んだ後のことなんて知ったことか。そもそも地獄なんてありもしないんだ」
ぼくはそう返すと、二人に背を向け、そのまま自転車を走らせた。
ローファンタジー? ハイファンタジー? で迷いましたが、ローファンタジーの設定にしてみました。
少し違った「なろう系」を目指します。
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