悪くない人生
霧の街はレオンの支配を免れ、再び穏やかな日々を取り戻していた。
だが、ぼくだけは元の生活には戻れなかった。
左目に突き刺さった矢は処置してもらったものの、傷は思っていた以上に深く、ぼくは後遺症に苦しんでいた。
体中が燃えるように熱い。
頭が割れそうに痛み、意識が何度も遠のいていく。
例えば心臓を刺されるように、急所を貫かれれば、すぐに死ぬ。苦しむ時間も少ない。
だが、そうでない深い傷は、ゆっくりと苦しむことになる。むしろ厄介だ。
ぼくは新しい家のベッドに横になり、天井をぼんやりと眺めていた。
結局ぼくは、他人のために厄介ごとに首を突っ込んだ結果、こんな苦しい思いをしている。
扉が静かに開く。
「失礼しますわ」
水の入った器を持ったハルカだった。
彼女はぼくの額に湿った布を乗せると、熱を確かめるようにそっと手を添えた。
「……熱いですわね」
「ぼくなんかに、そんなに時間を使っていいのか?」
ぼくはかすれた声で尋ねる。
「ハルカは街全体を見ないといけないだろ」
ハルカは首を横に振った。
「いいえ」
彼女はぼくの左目を見つめ、
「私のために、このような怪我を負わせてしまったのです。せめてこれくらいさせてください。そうでなければ、私の気が済みません」
ぼくは思わず苦笑した。
「そんな責任感じなくていいよ」
「いいえ、責任は全て私にあります。あなたは、私を守ってくださったのです。私が今ここにいられるのは、あなたのお陰なんです」
ハルカは俯き、小さく呟いた。
「私には……これくらいしかできませんから……」
ぼくは答えようとしたが、咳が込み上げてそれ以上言葉にならなかった。
それから何日も、ハルカは毎日ぼくのそばにいた。
優しい言葉をかけて、水を飲ませてくれた。
食事を作ってくれた。
汗を拭き、何度も熱を確かめてくれた。
ぼくが目を覚ませば、必ずそこにハルカがいた。
「……ちゃんと寝てないだろ」
「毎日きちんと寝させていただいてますわ」
「嘘だ」
ハルカは困ったように微笑んだ。
改めてぼくは思った。他人のために厄介ごとに首を突っ込んだけれど、この子を守れて本当に良かった、と。
それからもぼくの熱は下がらなかった。
日に日に身体は弱り、自力で立ち上がることもできなくなった。
レオンの一件から三ヶ月が経過したある日、ぼくは自分でも分かった。
もう長くない。
ベッドの周りには、ミラをはじめ、街の人たちが集まっていた。
野菜をくれた隣の女性。
一緒にバーベキューをした子どもたち。
兵団の兵士たち。
みんなが、黙ってぼくを見つめている。
ハルカはその目に涙をいっぱいに溜めて、ぼくの手を両手で包み込んでいた。
「カナタさん……ごめんなさい」
「どうか謝らないで」
ぼくは弱々しく首を横に振った。
「逆にお礼を言いたいのはぼくの方だ。この三ヶ月間、本当に良くしてもらった」
「でも、私のせいで……」
「ぼくが勝手にやったことだ。君を守れて本当に良かったと思ってる」
ハルカの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
意識が少しずつ遠くなっていく。
「なぜそこまで私に優しくしてくれるのですか?」
ぼくのために泣いてくれたからだ。
そう思ったが、答えられなかった。
もう体に力が入らない。
でも何も怖くはない。
ハルカの泣く声が聞こえた。
現実では、誰にも必要とされていなかった。
二浪中で、何をしたいのかもわからないまま、毎日を無駄に過ごしていた。
そんなぼくでも、この街では必要としてもらえた。
ぼくのために声を上げて泣いてくれる人もいる。
……案外、悪くない人生だったな。
ぼくの意識は静かに闇へ溶けていった。
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