救済
「ぼくも、あまり良い思い出はなかったよ」
嫌な過去を振り返り、ため息をひとつ。
「その話をする前に、一つ聞いてもいいかな」
自分の話をする前に、確認しておきたいことがあった。
「もちろんですわ」
「ハルカは、どうやってこの世界へ来たんだ? それに、元の世界へ戻ることはあるの?」
ハルカは少し思案するようにした後、静かに話し始めた。
「私は、ある日突然、レヴェリアにいました」
「レヴェリア?」
「この世界の名前は、レヴェリアといいます」
初めて知る、この世界の名前だった。
「現実から逃げたいという気持ちが、私をここへ導いたのかもしれません。それ以来、ずっとレヴェリアで暮らしていますわ」
ハルカは穏やかな表情のまま続ける。
「ですが、私の場合は現実世界とレヴェリアがつながっています。二つの世界が同時に進んでいる、と言えばよいのでしょうか」
「同時に進んでいる?」
「ええ。ある時突然、現実世界の記憶が、ふっと頭の中へ流れ込んでくるのです。私がレヴェリアに来た後も続いている、現実世界の記憶です」
ぼくは黙って耳を傾けた。
「そういう意味では、私は今も現実世界にいるのかもしれませんわ」
どうやらハルカの状況は、ぼくとは違うらしい。
ぼくは意を決して話し始めた。
「実は、ぼくは元の世界で死んでから、ここへ来たんだ」
「あら……?」
「しかも、この世界で死ぬと、また元の世界に戻るんだよ」
「それって……」
ハルカは目を見開いたまま、黙ってぼくの話を聞いていた。
重い雰囲気にならないように、ぼくは軽い調子で続けた。
「だから、もう何度死んだか忘れちゃった。マリスにも何回もやられたんだよ。元の世界に戻っても、途端にまた刺されるし」
ぼくは笑いながら頭を掻いた。
「いや、それはもう大変だったよ。特に最初の頃は慣れなくてね。でも、何度も死んでると、人間って慣れてくるんだよ。最近じゃ、『あ、もう好きなところを刺してくれ』くらいの感じかな。いやぁ、慣れって怖いよね」
こんな話、信じてもらえるはずがない。だから冗談みたいに笑って話した。
なにその変な話、と軽く返してくれるだけでよかった。
けれど、ハルカは何も言わず、ただ、静かにぼくを見つめていた。
ゆっくりと、その瞳が潤んでいく。
「それは……」
ぽたり。
一粒の涙が彼女の膝の上に落ちた。
「それは……お辛かったですね」
涙がハルカの頬を伝っていた。
ぼくなんかのために泣いてくれている。
彼女は普段どんな境遇に陥っても、自分のことでは涙を見せないのに。
その瞬間、ぼくの胸の奥で凍りついていた感情が、溶け出した。
ぼくが死を繰り返し、どんなに辛い経験をしても、それは誰にも理解されないと思っていた。
その苦しみは、自分にしか分からないと思っていた。
だけど、ハルカは信じて、理解してくれた。
ぼくを奇妙な目で見ることもなく、ただ一緒に悲しんでくれた。
「ああ……」
ぼくの声が震える。
「辛かったんだ……」
その一言を口にした瞬間、ぼくの涙が止まらなくなった。
何度も泣き叫んで命乞いをし、もう枯れ果てたと思っていた涙が、いくらでも溢れてくる。
ハルカは何も言わず、ただ、そっとぼくの手を包み込んだ。
その小さな手は、とても温かかった。
「カナタさん」
それは祈るような声だった。
「あなたのこれからに、幸せが訪れますように」
その言葉は、これまで誰にも祝福されたことのなかったぼくの胸に、深く染み込んでいった。
そうだ、この奇妙な世界で、確かなことが一つだけある。
――ハルカだけは、何があっても守らなければならない。
ぼくは初めて、自分以外の誰かのためにそう思った。
◇ ◇ ◇
ぼくの誓いとは裏腹に、霧の街の状況はさらに悪化していった。
レオンの独裁により、街にあるほとんどのものがレオンの手中に収まった頃、ついに、マリスの大群が街を攻めてきた。
それは数百を超える大群だった。
ところが支配者レオンは、マリスから街を守るための兵団を自分の護衛として引き連れ、真っ先に霧の街から逃げていった。
食べ物も戦力もない。すっかり弱体化したこの街では、もはやなすすべもなかった。
マリスは街を飲み込んでいった。
マリスの通った後は黒く汚され、不毛の土地となる。
その毒は人々を蝕み、もはやその土地で人は生きられない。
それでもハルカは、最後まで霧の街に留まった。
ぼくもハルカを守るため、マリスへの抵抗を続けた。
そして、ぼくたちは街と共に滅びた。
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