ハルカの過去
農作物の収穫が落ち着いたことで、その日は久しぶりに時間に余裕ができた。
ハルカの様子が気になったぼくは、夕方に霧の塔を訪れた。
塔の中では、いつものようにハルカが一人、静かにキャンバスへ向かっていた。
疲れた眼差しだが、筆を走らせる速さは変わらない。
ハルカは時折、横の机の上に積み上げられた紙の束に目を向ける。
レオンから出された仕事の指示書だ。
レオンの城の強化、砦の建設など街の防衛能力の向上、レオンの使う娯楽用施設、新しい家と新しい道、レオン専用の大浴場……
これらを全てひとりで行うとしたら、かなりの作業量だ。
このところハルカは霧の塔から一歩も出ることなく、ひたすら作業を続けているらしい。
「ハルカ」
声を掛けると、彼女はゆっくり振り返り、疲れた笑顔を見せた。
「カナタさん」
その顔は、以前よりずっと弱々しく見えた。
「疲れているようだけど、ちゃんと休んでる?」
ハルカは筆を置いて、首を傾げた。
「言われてみれば、窓から光が差し込んでからずっと絵を描いていましたわ」
「つまり、日の出からずっと? ……もう夕方だよ」
ハルカは背伸びをして、ゆっくりと立ち上がった。
「そうですわね。せっかくカナタさんがいらしてくれたのですから、休憩させていただきますわ」
そして、お茶の準備を始めようとしたので、ぼくは慌ててそれを手伝った。
紅茶に似た、香りの良いお茶だ。甘い焼き菓子も添えてくれた。
二人だけのティータイム。
「近頃、街の皆さんは忙しく、なかなかここに来てくださらないので、カナタさんのお顔を見られて嬉しいですわ」
キャンバスに向かっている時とは違う穏やかな表情に、ぼくには彼女のその言葉が本心だと思えた。
レオンの圧制によって課せられた仕事が重く、街の人々は周りを見る余裕がなくなっている。
実際ぼくも自分のことで精一杯だった。ハルカのことをもう少し考えるべきだった、とぼくも少し反省した。
「……レオンの奴に無理強いされてない? 大丈夫?」
「確かに仕事は多いですが、これも街を守るために必要なことですわ」
中には、レオンの私欲のためとしか思えないものもあったが、それは敢えて言わなかった。
「それに……」
ハルカは少しだけ目を伏せた。
「ミラは、この街を争いから守るために命を落としました。彼女の死は、私の責任ですわ。だから、今度は私が皆さんを守らなければなりません」
「違う、それはハルカのせいじゃない」
ぼくは反射的に否定した。
「それは、ぼくが……」
『ぼくが戦わなかったからだ』
そう言いそうになったけれど、飲み込んだ。
言ったところで、ハルカの心の助けにはきっとならない。
ぼくは何を話せばいいのか分からず、しばらく黙ってお茶をすすっていた。
「ハルカは、元の世界の記憶はあるの?」
空気を変えようと、話題を振ってみる。
「はい。私は覚えていますわ。それは人にもよるみたいですけれど」
「元の世界では、どんな暮らしをしていたの? ハルカは育ちが良さそうだから、どこかのお嬢様だったりして」
何気なく尋ねてみると、彼女は否定も肯定もせず答えた。
「両親が遺してくれたものはありますが……あまり良い記憶ではありませんわ」
「遺してくれたってことは……」
ぼくが疑問を口にすると、ハルカはためらいがちに続けた。
「私の両親は既に亡くなっておりますわ」
「えっ、余計なことを聞いてしまったのならごめん……」
「いいえ、何も気にされることはありませんわ。もう過去のことです。だからでしょうか」
ハルカは窓の外に広がる霧の街へ視線を向けた。
「私は、この世界で新しい家族が欲しいと心から願いました。その願いが、この力になったのだと思いますわ」
「それでも、そんな若さでご両親を亡くしたなんて……本当に、大変だったね」
ぼくに見つめられ、ハルカは少し困ったように首を振った。
「改まることはありませんわ。こう見えて、私はもう、ほとんど大人ですもの」
そう言われても、ぼくには彼女がどう見ても十四、五歳くらいの少女にしか見えなかった。
「この世界では、見た目と本当の年齢は必ずしも一致しないようですわ。心の在り方が、そのまま姿に現れると言われています」
少し重くなった空気の中、今度はハルカがぼくに聞き返す。
「カナタさんには、元の世界の記憶がありますの?」
「ああ……」
正直に答えるべきか、一瞬だけ迷った。
でも、この子には隠さず話したいと思った。
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