第33話「崩れゆく黒天城」
巨大な城が、音もなく崩れていく。
空を覆っていた赤黒い雲は消え、城の頂から伸びていた黒い花弁は、枯れた葉のように端から砕けていく。
黒い石壁だったもの。
魔力炉だったもの。
黒い根に変じていた通路だったもの。
そのすべてが、黒い灰となって風に散っていた。
それが黒天城の最後の姿だった。
俺たちは、城から少し離れた岩場に立っていた。
いや正確に言うと、俺は立っていない。
セラフィの治癒を受けながら、岩に背を預けて座り込んでいた。
悪の幹部として、非常に格好がつかない姿である。
だが、正直に言えば、今は立っているだけの魔力も体力も残っていない。
というかよく死ななかったな、本当に。
さすがに無茶しすぎたと思う。
目の前では、ルミナたちが崩れていく黒天城を見つめていた。
ブレイズは拳を握ったまま、黙っている。
セラフィは祈るように杖を抱えている。
ノクターンは魔導板を出したまま、数値を見るでもなく画面を見つめている。
シルフィードは風に髪を揺らしながら、珍しく冗談を言わない。
ルミナは、黒天城の最後をじっと見つめていた。
「……終わったんだね」
誰に向けたものでもない声だった。
それでも、全員に届いた。
黒天王は消えた。
黒天開花儀式も崩れた。
時間を巻き戻す回路も砕いた。
これで、あの闇の王が再びやり直すことはない。
長い戦いは、終わったのだ。
人々が、星彩少女たちの戦いを知ることはなく。
世界が、絶望に落ちかけていたことを知ることもなく。
当たり前の日常が続いている。
これがアニメの最終回なら、ちょっと盛り上がりに欠けるかもしれない。
でも、それで十分だった。
世界がまだ続いている。
星彩少女たちが、一人も欠けずに生きている。
それ以上に美しい奇跡など、たぶんないのだから――
……と、素直に浸れればよかったのだが。
俺の頭には、まだ二つのことが引っかかっていた。
一つは、黒天王に道連れにされかけたあの瞬間、何者かに助けられたことだ。
いや、何者かとか言うまでもなく、あれはゼルミアだ。
全くもって、意味がわからなかった。
あいつは、俺を本気で殺そうとした。
ルミナたちも殺しかけた。
誰かの苦痛を愉悦として眺めるような、掛け値なしの危険人物のはずだ。
明確に敵である存在。
その敵に、最後の最後で俺は助けられた。
一体なんだっていうんだ。
黒天王への反発か。
ただの気まぐれか。
それとも、あの女なりに何か思うところでもあったのか。
わからない。
敵なのか、味方なのか。
どう捉えればいいのか、まるでわからない。
なんて面倒くさい奴だ。
そう思ったところで、俺はふと気づいた。
星彩少女たちも、きっとこんな気持ちで戦っていたのだ。
悪の幹部ヴァルグレイ。
敵として現れ、戦い、罠を張り、怪人を差し向ける存在。
そのくせ、妙な助言をし、鍛えるような真似をし、時には助ける。
敵なのか。
味方なのか。
どう捉えればいいのかわからない。
彼女たちは、ずっとこういう気持ちで俺と向き合っていたのか……。
なんだかめちゃくちゃ申し訳なくなってきた。
早く謝った方が良いだろうか。
「ヴァルグレイ?」
ルミナが振り返る。
いつの間にか、俺が黙り込んでいたせいだろう。
彼女の表情には、わずかに心配の色が浮かんでいた。
「大丈夫?」
「ああ、少し考え事をしていただけだ」
「それは、なんでもなくない気がするけど……」
鋭い。
黒天王より厄介かもしれない。
俺は視線を逸らし、崩れていく黒天城へ向けた。
もう一つの気がかり。
それは、城の外へ逃がしておいた部下たちのことだ。
間に合ったのか。
それとも、黒天開花儀式に巻き込まれてしまったのか。
逃がせた者もいる。
逃がせなかった者もいる。
実際のところ、どれだけが生き延びたのかはわからない。
俺が黙って黒天城を見つめていると、背後の荒れ地に気配が生まれた。
ブレイズが即座に身構える。
「まだ敵が残ってた!」
「お待ちください!」
低く、聞き慣れた声がした。
岩陰から姿を現したのは、狼頭の部下だった。
その後ろには、黒天教団の怪人たちが数十体いる。
狼型、鳥型、甲殻型、トカゲ型。
皆、傷だらけだった。
だが、生きている。
狼頭の部下は、俺の前まで来ると片膝をついた。
「ヴァルグレイ様。我ら外周警備部隊、生存者をまとめ、帰還いたしました」
「……無事だったか」
思わず、そんな言葉が漏れた。
「はっ。儀式が発動した時、我々はすでに城の外周から離脱しておりました。ヴァルグレイ様のご指示がなければ、全員あの黒い花に呑まれていたでしょう」
狼頭の部下は、深く頭を垂れる。
「命を救っていただきました。このご恩は生涯忘れません」
「礼などいい。恩など忘れろ」
「いえ、忘れません」
「……強情なやつめ」
俺は息を吐く。
「お前たちは、これからどうする」
「我らは山間へ移ります。黒天王も黒天教団もなき今、人里を離れ静かに暮らすつもりです」
「人は襲うなよ」
「はっ。必ず」
狼頭の部下は即答した。
そこへ、小柄な影が一歩前に出た。
トカゲ型の怪人だ。
「ヴァルグレイ様、私を覚えておいででしょうか」
背丈は低く、細い尻尾が不安げに揺れている。
見覚えがある。
「第七実験体の担当か。よく生き延びたな」
俺が目覚めた最初の戦いで投入した、第七実験体。
その暴走で管理責任を問われ、処分されかけていた怪人だ。
あの時。
俺は悪の幹部らしくそれっぽい理屈をつけて、処分を止めたんだった。
トカゲ型の怪人は、深く頭を下げた。
「ヴァルグレイ様。私は二度、命を救っていただきました」
小柄な怪人の声は震えていた。
「このご恩、命に代えてもお返しいたします。お役に立てることがあれば、いつでもご命令ください」
重い重い。
非常に重い。
俺としては、その場その場でどうにか帳尻を合わせていただけだ。
それをこうも感謝されると、何とも言えない気持ちになる。
「……生き延びたのなら、それでいい」
俺は言った。
「二度助かった命なら、三度目は自分で守れ。誰かを襲って無駄になどするなよ」
「はっ!」
トカゲ型の怪人は、力強く頷いた。
狼頭の部下が、片膝をついたまま再び俺を見る。
「ヴァルグレイ様。最後に一つ、お伝えしたいことがございます」
「何だ」
「私の名は、グレイウルフと申します」
俺は一瞬、言葉を失った。
そういえば。
そういえば、そうだ。
俺はこいつの名前を知らなかった。
目覚めてからずっと「狼頭の部下」と認識していたし、呼んでもいなかった。
今更聞くのもどうかと思って、ずっと聞けていなかったのだ。
「すまん」
謝罪の言葉が、自然に出た。
「俺は、お前の名を知らなかった」
グレイウルフは、静かに首を横に振る。
「存じておりました」
「知っていたのか」
「はい」
なら言え。
と思ったが、俺も聞かなかったので人のことは言えない。
「名など覚えていただかなくとも、忠誠の心は変わりません」
グレイウルフは、穏やかに言った。
俺は、少しだけ顔を上げる。
「グレイウルフ。今度はちゃんと覚えた」
狼頭の部下――グレイウルフの耳が、わずかに動いた。
表情は読みづらい。
だが、喜んでいるのはわかった。
「ありがたき幸せ」
「だから大げさだ」
「ご用命があれば、必ず馳せ参じます」
グレイウルフは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「命令は変わらん。自分たちで考えて行動し、命は無駄にするな。それだけだ」
「はっ、必ず果たします。ヴァルグレイ様もどうかお元気で」
生き延びた怪人たちも、一斉に頭を下げる。
その光景は、悪の組織の残党というには、妙に律儀だった。
俺はしばらく何も言えなかった。
グレイウルフたちは、やがて荒れ地の向こうへ去っていく。
黒天城とは反対の方角へ。
これからは、人目につかない場所で生きていくのだろう。
それが良い。
怪人たちがあの姿のまま人の世界で暮らすのは無理だ。
だが、世界に魔力がある限り、生きていくことはできる。
魔力というのは、意外と世界中いろんなところにあるのだ。
「……すごい」
セラフィが小さく呟いた。
「ヴァルグレイさん、本当に慕われていたんですね」
「意外ね」
ブレイズが腕を組む。
「いや、ちょっとはそうかもと思ってたけど、あそこまでとは思わなかったわ」
「統率能力、想定以上」
ノクターンが魔導板に何かを入力しようとする。
「記録するな」
「重要」
「重要ではない」
シルフィードがにやにや笑った。
「部下に愛されるタイプだったんだね」
「愛されてなどいない。縦社会というのはこんなものだ」
ルミナはなぜか少し離れた場所で腕を組んでいた。
うんうんと頷きながら、妙に誇らしげな顔をしている。
「当然だよ。ヴァルグレイだもの」
「なんでちょっと得意げなんだ」
非常に反応に困る。
ブレイズが横目でルミナを見る。
「ルミナ、今完全に「私のヴァルグレイはすごいでしょ」みたいな顔してたわよ」
「そんな顔してないよ!」
「してた」
ノクターンが端末に何か書き込む。
「記録済み」
「記録しないで!」
ルミナが珍しく慌てた。
シルフィードが楽しそうに笑う。
「黒天王倒した後の空気とは思えないゆるさだね」
「ゆるい方が助かります」
セラフィが小さく微笑む。
「泣いてしまいそうなので」
その言葉に、少しだけ空気が柔らかくなった。
そうだ。
終わったのだ。
今は、少しくらい笑ってもいいのかもしれない。
だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
黒天王は消えた。
黒天教団も事実上崩壊した。
だが、すべてがきれいに片付いたわけではない。
おそらく他にも逃げ延びた怪人たちがいる。
もしかすると、幹部クラスもまだ生きているかもしれない。
そして、黒天王の支配を失って暴走する可能性のある魔獣。
行方のわからないゼルミア。
放置できない課題がまだいくつもある。
俺はゆっくり立ち上がった。
セラフィが慌てて支えようとする。
「まだ動かない方が」
「少しだけだ」
「本当に少しだけですよ」
完全に医者の口調だ。
俺は咳払いをして、五人へ向き直る。
「俺は行く」
ルミナの表情が変わった。
「どこへ?」
「黒天教団の残党を探る。黒天王が消えたことで、怪人たちの統率は崩れた。不安定化する者もいるだろう。暴走する前に、状況を把握しておく必要がある」
「それ、今すぐじゃないとだめ?」
ブレイズが不満そうに言う。
「少し休んでからでもいいでしょ。あんた、さっきまで黒天王の中にいたのよ?」
「変な言い方をするな」
「事実でしょ」
事実なので反論しづらい。
本当は別に今すぐでなくても良い。
良いのだが。
ここで一緒に残ると、間違いなく質問責めに遭うという問題がある。
黒瀬悠真のこと。
元の世界のこと。
これまでどこまで知っていたのか。
なぜ助けたり戦ったりしたのか。
全部聞かれる。
聞かれて当然だ。
だが、今それを全部説明する気力はない。
というか、説明したら俺の精神がたぶん死ぬ。
「残党対策は急務だ」
俺はできるだけ真剣な口調で言った。
「今のうちに動かねば、被害が出る可能性もある」
ノクターンがこちらを見る。
「逃げようとしてる」
「何の話だ」
「私たちの質問から逃げている可能性」
一瞬で見抜くのやめろ。
鋭すぎる。
この子は本当に厄介だ。
シルフィードが風を指先で遊ばせながら言う。
「また質問会する?」
「絶対にするな」
「即答されちゃった」
俺はこほんと咳払いする。
「とにかく、貴様らは街へ戻れ。身内の始末は、身内がつける」
セラフィが少し寂しそうに言った。
「私たちは、足手まといですか?」
そういう意味ではないんだが、妙に不安そうだ。
「そうではない。お前たちの本分は学生だろう。戦いは終わったのだから、これからは普通の暮らしを送ればいい」
「……はい」
セラフィはまだ少し不安げだ。
その様子に、つい言葉が続いてしまう。
「……本当に力が必要なときは、協力を頼む。だからそんな顔をするな」
「……! はいっ!」
ぱっと表情が明るくなった。
正直あんまり巻き込みたくはないんだが、まあいいか。
ブレイズはまだ不満げだったが、拳を下ろした。
「……ま、今は見逃してあげる」
「見逃される筋合いはない」
「筋合いならいっぱいあるわよ。首を洗って待ってなさい」
怖いこと言うな。
これじゃどっちが悪役かわからん。
ルミナは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりこちらへ歩いてくる。
「ヴァルグレイ」
「何だ」
「また、会える?」
その問いは、静かだった。
けれど、まっすぐだった。
崩れていく黒天城の風が、彼女の髪を揺らしている。
俺は少しだけ視線を逸らした。
本当は、何と答えるべきか迷った。
俺は黒天教団の幹部だった。
黒瀬悠真として、この世界に居場所があるのかもわからない。
これからどう生きるべきかも、まだ決まっていない。
だが。
待っている、と言った彼女に。
必ず戻る、と言った俺が。
ここで曖昧に逃げるのは、さすがに格好がつかない。
「ああ、きっとまた会える」
俺は言った。
「この先、道が交わることもある」
「それだけ?」
ルミナが少しだけ首を傾げる。
「……それだけではない」
言ってから、少し後悔した。
五人の視線が一気に集まる。
逃げ場がない。
俺は咳払いをする。
「まだ、話していないこともある。聞かれるべきこともある。だから、いずれまた会うだろう」
ルミナは、ゆっくり笑った。
「うん。待ってる」
「待ち構えるな。怖い」
「怖くないよ」
「その笑顔で言われると余計に怖い」
ブレイズが呆れたように笑う。
「最後くらい素直に言えばいいのに」
「悪の幹部に素直さを求めるな」
「もう悪の幹部じゃないでしょ」
それはそうだ。
だが、今更この態度は変えられない。
もうどこまでが演技で、どこからが素なのかわからなくなってしまった。
「元・悪の幹部だ」
「そこは残すんだ」
シルフィードがくすくす笑う。
「じゃあ、元・悪の幹部のヴァルくん。またね」
「ヴァルくんはやめろ」
ノクターンが魔導板を閉じる。
「再会の約束、締結。反故にした場合はしかるべき措置を取る」
「お前まで怖いことを言うな」
「とても重要」
セラフィが深く頭を下げた。
「どうか、お気をつけて」
「ああ、お前たちもな」
俺は黒い外套の残骸を軽く払う。
仮面はもうない。
顔を隠すものも、悪の幹部らしい威圧感も、だいぶ失われている。
それでも、俺は背を向けた。
歩き出す。
背後で、ルミナたちの気配が動かずに残っているのがわかった。
振り返るべきではない。
そう思ったが、結局一度だけ振り返った。
五人がこちらを見ていた。
傷だらけで、疲れ切っていて、それでも真っ直ぐ立っている。
この世界の星彩少女たち。
俺が勝たせたかった少女たち。
「……ではな」
それだけ言って、俺は荒れ地の向こうへ歩き出した。
――第34話へ続く
※おことわり
本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。




