第32話「五つの光と、一つの闇」
闇に呑まれた。
そう思った直後、俺は黒い花の中に立っていた。
いや、実体を持たない今は、立っているような感じがするというのが正しいか。
地面はない。
空もない。
あるのは、絡み合う無数の根と、赤黒く脈打つ巨大な花弁だけだった。
根の一本一本が、黒天城のどこかへ繋がっている。
怪人たちから吸い上げた魔力。
星彩少女たちの希望へ伸びる吸収路。
ここが、黒天王の内側。
黒天開花儀式の核。
俺はどうやら、黒天王に取り込まれながらも、まだ意識だけは保っているらしい。
『ほう、意識を保ったまま入り込んだか。大した精神力だな』
こいつに褒められても何も嬉しくはない。
だが奴の声が聞こえるということは、まだ完全に呑み込まれていないということだ。
とりあえず、第一段階はクリア。
問題はこの先だ。
『見えるか、黒瀬悠真』
黒天王の声が、周囲すべてから響いた。
『これが黒天開花儀式の中枢。世界を喰らい、希望を絶望へ反転させ、我が新たな黒天となるための根だ』
「丁寧なご案内どうも。観光地にしては殺風景だな。人気出ないぞ」
ぺっと唾を吐きかけてやる。
もちろん精神の中で、だが。
『まだ虚勢を張るか』
「これでも悪の幹部だからな」
『その肩書きにまだすがるか。お前はヴァルグレイではない。黒瀬悠真だ』
黒い根が、俺の足元へ伸びてくる。
足首に絡みつき、体の内側へ冷たいものを流し込んでくる。
記憶を探られるような感覚。
胸の奥にしまっていたものを、無理やり引きずり出されるような感覚。
『お前に帰る場所はない。黒天教団にも戻れぬ。星彩少女たちは本来、お前が倒すべき敵だった。この世界に、お前を黒瀬悠真として知る者はいない』
黒い花弁の向こうに、映像のようなものが揺れた。
『ずっと抱えていたはずだ。孤独や不安、そして焦りを』
もはや記憶すら薄れつつある街並み。
遠くなっていく日常。
元の世界の記憶。
もう二度と手が届かないもの。
『全ては虚無。お前がこの世界で成せることはもうない』
「……言いたい放題だな」
『認めよ。お前は異物だ。どこにも属さぬ魂だ』
「異物で結構」
俺は足元の根を睨みつける。
「どうせ異物なら、最後までお前の体内で悪さをしてやる」
『愚かな。ここに至ってまだ足掻くか』
黒天王の声が、低く笑った。
『その孤独を、我は反転炉へ落とす。お前の絶望はよく育っている。星彩少女たちの希望を砕く核として、これほど相応しいものはない』
根が俺の胸へ伸びる。
黒い先端が、心臓のあたりへ突き刺さろうとする。
痛みはない。
だが、魂を直接えぐられるような不快感があった。
黒天王は、俺を絶望させたいのだ。
黒瀬悠真として誰にも知られず、元の世界にも戻れず、敵にも味方にもなりきれない存在。
そこを抉れば、俺が折れると思っている。
実際、効いてはいる。
死んでいた。
戻れない。
誰も知らない。
心の奥底で恐れていたことが現実になった絶望。
その事実は、そう簡単に飲み込めるものではない。
喉の奥が、嫌なふうに詰まる。
だが。
俺は目を閉じた。
脳裏に浮かんだのは、五つの声だった。
まだ部下にしてもらうのを諦めていないと怒鳴る声。
自分たちの言葉を聞いてほしいと願う声。
勝手に結論を出すなと淡々と責める声。
置いていくなと軽く笑って引き止める声。
そして、待っていると告げた声。
これも全て虚無だと言うのは、少々悲観主義がすぎる。
『それは一時の感情だ』
黒天王が言った。
『同情、依存、戦場の高揚。いずれ消える』
「かもしれないな」
俺は目を開ける。
「それでも、あいつらは俺を見ていた」
『黒瀬悠真を見ていたわけではあるまい』
「それでもいいさ」
黒い根が、一瞬だけ止まった。
「俺があいつらと交わした言葉も、戦った時間も、全部この世界であったことだ」
『それを居場所と呼ぶのか』
「少なくとも、お前に無意味だと決めつけられる筋合いはないな」
遠くで光が揺れている。
黒い花の外側。
玉座の間。
五つの光が、まだ戦っているのが感じられた。
*
ルミナは、黒天王へ向けて剣を振るい続けていた。
ヴァルグレイを取り込んだ直後から、黒天王はさらに強大化している。
玉座はすでに原形を失い、黒い花の中心に沈んでいた。
闇の人影は花の芯のように広がり、そこから無数の根が伸びてくる。
五人のセレスティアル・フォームが、その根を斬り、焼き、弾き、射抜き、吹き飛ばす。
だが、黒天王の闇は尽きない。
『無駄な足掻きだ』
黒天王の声が、玉座の間全体を震わせる。
『ヴァルグレイは我が内に消えた。奴の孤独は、まもなく絶望へ変わる。お前たちの希望も、その瞬間に砕ける』
「砕けない」
ルミナは即座に言った。
金色の剣で、迫る根を斬る。
「ヴァルグレイは、合図を出すって言った」
『その言葉を信じるか』
「信じる」
ブレイズが炎を燃え上がらせた。
「当然でしょ。あいつ、嘘はつかないって言ったんだから」
「大丈夫ではない、とも言っていましたけれど」
セラフィが盾を重ねる。
「でも、帰ってくるとは信じられます」
ノクターンが魔導板を見つめる。
「内部反応、微弱。ヴァルグレイの魔力痕跡、消失していない」
「じゃあ、まだ生きてるってことだね」
シルフィードが風をまとい、黒い根の隙間を駆け抜ける。
「なら、待つだけじゃなくて迎えに行く準備もしないと」
黒天王の根が、五人へ襲いかかる。
ルミナが中心で受ける。
ブレイズが左側を焼き払う。
セラフィが後方を守る。
ノクターンが根の流れを読み、射線を作る。
シルフィードが全員の位置をつなぎ、風で動きを補助する。
五つの光は、バラバラではない。
それぞれが違う色で輝きながら、同じ一点へ向かっていた。
しかし。
セレスティアル・フォームは、本来短期決戦用の力だ。
持久戦に持ち込める戦い方ではない。
黒天城全体を覆う吸収の圧。
黒天王の根から放たれる重い魔力。
そして、ここまでの連戦。
五人のレガリアが、同時に悲鳴のような光を漏らした。
「くっ……!」
ブレイズの炎の翼が揺らぐ。
「まだ……!」
ルミナは剣を握る。
だが、光は保てなかった。
「ステラ・フローライトが……!」
最初にブレイズの装甲が光の粒となって消える。
続いて、セラフィ、ノクターン、シルフィードの力がほどけていく。
最後にルミナの黄金の翼が散り、セレスティアル・フォームが解ける。
玉座の間に残ったのは、通常形態へ戻った五人の星彩少女たちだった。
肩で息をしている。
レガリアの光は弱い。
それでも、誰も膝をついてはいない。
黒天王の闇が、ゆっくり広がる。
『そこまでのようだな』
勝利を確信した声だった。
『金色の力は尽きた。ヴァルグレイは我が内で孤独に沈んだ。残るは弱き五つの灯のみ』
黒い根が、五人を囲む。
『その灯も、すぐに消える』
「……まだ」
ルミナは剣を構えた。
通常形態の剣だ。
もう金色の翼はない。
それでも、刃先は震えていなかった。
「まだ、終わってない」
ブレイズが拳を握る。
「そうよ。あいつが合図出すまで、勝手に終わらせるんじゃないわよ」
セラフィが盾を持ち上げる。
「少しでも保たせます」
ノクターンが魔導板を睨む。
「内部反応、継続中。待機ではなく、迎撃を続行」
シルフィードが風を足元に巡らせる。
「まあ、こういうギリギリの方が、あの人らしいと言えばらしいよね」
黒天王の根が、五人へ迫る。
『我が儀式は、ここに成った』
その時。
玉座の奥で、黒い花がわずかに軋んだ。
*
「……なあ、黒天王」
俺は内側から、黒天王に声をかける。
「お前、俺のことを異物だと言ったな」
『それがどうした』
俺は右手を握る。
闇の魔力は、ほとんど残っていない。
「なら、その異物を体内に入れたのは失敗だったな」
だが、最深部で仕込んだ「最後の一手間」は別だ。
俺の足元で、灰色の紋が開いた。
――もし俺が、ゼルミアに討たれたとき。
――もし俺が、最深部から逃げ遅れたとき。
黒天開花儀式は、必ず俺を取り込むと予想していた。
その時、最深部から伸ばしてきた経路を使い、儀式へ魔力導線を繋ぐ。
つまり最初から、俺は儀式へ取り込まれる可能性を想定していたのだ。
黒天王自らが俺を取り込んでくるのは、さすがに想定外だったが……。
やはり、何事も備えておくのが一番だ。
悪の幹部より、安全対策課とかの方が適任かもしれない。
『……貴様、何をした』
初めて、黒天王の声色がはっきりと変わった。
俺は淡々と答える。
「俺を媒介として、儀式の核に魔力導線を繋いでやった。最深部からの直接接続だ。お前でも簡単には排除できまい」
『愚かな。その程度の細工で我が儀式は壊せぬ』
黒い根が俺を締め上げる。
排除しようとしている。
だが、灰色の導線は外れない。
黒天開花儀式は、俺を異物として排除しようとする。
しかし同時に、最深部から繋がれた導線を中枢の一部として扱っている。
排除したい異物。
排除できない中枢接続。
その矛盾が、黒天王の制御を乱す。
集めた魔力が急速に統率を失っていく。
『バカな……たかが一本の導線が、なぜ排除できん』
「自分で言っただろう。俺は異物だ」
俺は笑った。
「お前の計算外にいるから、こういうことができる」
灰色の導線が、黒い吸収路を逆流させる。
外から刻んだ反転紋ではない。
内側から直接起こす逆流だ。
黒天王の核を覆っていた防御層が、急速に薄くなっていく。
黒い花の芯が、内側から裂けた。
「仕上げだ。頼むぞ、星彩少女たち」
黒い花の中心に、灰色の亀裂が走った。
*
玉座の間で、ノクターンの魔導板が鋭く光った。
「反応あり」
ノクターンの言葉に、ルミナが振り向く。
「ヴァルグレイ?」
「黒天王内部、異常。核防御、急速低下。灰色の反転反応が露出」
玉座の中心。
黒い花の芯に、細い灰色の線が走っていた。
それはすぐに枝分かれし、花弁の内側へ広がっていく。
黒天王の声が歪む。
『ありえぬ……このような小細工で……!』
ブレイズが笑った。
「来た!」
セラフィが盾を握り直す。
「合図ですね」
ノクターンが頷く。
「核、防御低下。通常形態でも破壊可能。ただし時間、極小」
シルフィードが風を集める。
「短くても十分!」
ルミナは剣を構えた。
セレスティアル・フォームではない。
黄金の翼も、星の装甲もない。
それでも、五人は前を向いていた。
「みんな」
ルミナが言った。
「行こう!」
五人の力が、一つの線を描く。
ブレイズの炎が、黒い根を焼き払う。
セラフィの盾が、飛び散る闇を受け止める。
ノクターンの矢が、核へ続く最短の一点を射抜く。
シルフィードの風が、五人の身体を前へ押し出す。
「一気に行くよ!」
ルミナの剣に、四人の力が重なる。
「これで――」
ルミナが叫ぶ。
「終わりにする!」
五人の攻撃が、黒天王の核を貫いた。
黒い花が、内側から裂ける。
*
俺の合図に、五人はちゃんと気付いてくれた。
黒天王の内側で、空間が崩れ始めた。
外から差し込んだ光が、黒い花の内部を焼いていく。
『我は、認めぬ……このような……結末』
黒天王の声が、俺のすぐ近くで響いた。
『……なぜだ。なぜやり直してなお、我が儀式は砕かれる』
「簡単な話だ」
俺は、灰色の導線を握りしめるように意識を集中した。
「お前は欲張りで、傲慢すぎる。俺もあいつらも自分の手下すらも、材料としてしか見ていないくせに、その全部をその身に取り込もうとする」
黒い根が俺を締め上げる。
意識が軋む。
それでも、俺は言った。
「ただの闇にすぎない貴様が、この世の全てを手にできるほど世界は単純ではない」
五人の攻撃が、核を砕く。
「もう少し、地道に盤面を整えるべきだったな」
黒天王の輪郭が崩れ始める。
だが、その奥に別の回路が動き出した。
黒い輪。
時間遡行の回路。
黒天王は崩れながらも、なお逃げようとしていた。
『……ならば、何度でもやり直すだけだ』
黒天王の声が、狂気を帯びる。
『時間を巻き戻す。さらに前へ。さらに深く。次こそは、お前という異物すら排除して――』
「そうはさせん」
俺は灰色の導線を、黒い輪へ絡ませた。
時間遡行の回路が、悲鳴のような音を上げる。
『貴様……!』
「もうやり直しはなしだ、黒天王」
黒い輪が逆回転しようとする。
俺は全身の意識をそこへ押し込む。
腕も足も、もう感覚がない。
自分がどこからどこまで残っているのかもわからない。
だが、これだけは離せない。
黒天王を過去へ逃がさない。
またルミナたちを、あの戦いへ戻させない。
『ならば、貴様も道連れだ……!』
黒天王の闇が、俺を包み込む。
時間遡行の回路が暴走し、黒い輪の内側へ俺を引きずり込もうとする。
まずい。
これは少し、いや、かなりまずい。
外側から、五人の光が伸びてくる。
だが、わずかに届かない。
黒天王の最後の根が、俺と五人の間に分厚く絡みつく。
「……くそ、間に合わないか」
思わず、そんな言葉が漏れた。
その瞬間。
黒い花の外側で、一枚の羽根が舞った。
黒い羽根。
見覚えのある、嫌なほど悪趣味な影の残滓。
次の瞬間、闇を裂く鎌の一撃が走った。
それはルミナたちの光ではない。
俺の闇でもない。
もっと冷たく、もっと鋭く、もっと性格の悪い影だった。
「……ゼルミア?」
黒天王の根が、外側から断ち切られる。
『バカな、貴様まで裏切るのか……!』
黒天王の声が歪む。
答える声はなかった。
ただ、遠くで誰かが薄く笑ったような気配がした。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
「――ヴァルグレイ!」
ルミナの声。
外側から、五人の手が伸びる。
金色ではない。
通常形態の、傷だらけの手。
それでも、確かに俺へ届いた。
黒天王の核が砕ける。
時間遡行の輪が割れる。
闇が、灰になって崩れていく。
同時に、俺の顔を覆っていた仮面も、役目を終えたかのように崩れていく。
『我が……黒天が……』
黒天王の声が遠ざかる。
『諦めんぞ……我は深淵の闇。希望がある限り、何度でも蘇ってみせる……』
「そうはさせない」
ルミナが言った。
五人の力が重なる。
黒天王の残った闇を、五つの光が包み込んだ。
黒い花は、音もなく砕け散った。
*
玉座の間に、静寂が戻った。
黒天王の人影は、もうない。
黒天城を覆っていた吸収の気配も、赤黒い脈動も、消えている。
黒天開花儀式は崩壊した。
時間遡行の回路も砕けた。
俺は床に倒れ込むように戻ってきた。
魔力はほとんど残っていない。
だが、戻った。
「ヴァルグレイ!」
ルミナが駆け寄る。
ブレイズも、セラフィも、ノクターンも、シルフィードも続く。
俺は床に片膝をついたまま、どうにか顔を上げた。
視界がぼやける。
耳も遠い。
けれど、五人が近くにいることだけはわかった。
「……全員、無事か?」
喉が掠れている。
ブレイズとセラフィが泣きそうな顔のまま答えた。
「それ、こっちの台詞!」
「ご自分の心配をしてください!」
「そうか」
俺は息を吐く。
「なら、いい」
セラフィが今にも泣きそうな顔で治癒の光を出す。
「本当に……戻ってきてくれて、よかったです」
ノクターンが魔導板を見下ろす。
「生存確認。記録する」
「記録するな……」
シルフィードが、少しだけ笑った。
「有言実行。漢を上げたね、ヴァルくん」
「……お前、帰ってきたらその言い方やめると言っただろう」
ルミナは、俺の手を両手で握った。
「おかえりなさい、悠真さん」
この世界で、呼ばれるはずのない名前。
孤独の象徴とも言うべき、元の世界での名。
だがルミナにその名を呼ばれると、胸の孤独が消え、穏やかな気持ちが溢れてくる。
不思議な感覚だった。
「ああ、ただいま」
表情を隠す仮面は、砕けてもうない。
隠す必要も、きっともう無いはずだった。
黒天王は消えた。
黒天開花儀式は止まった。
それを理解した瞬間、体から力が抜けそうになる。
だが、安堵するには少し早かった。
玉座の間の天井が、大きく崩れ始める。
黒い花が枯れたことで、黒天城そのものが崩壊を始めていた。
俺はかすれた声で言う。
「……勝利の余韻に浸るには、少々建物の耐久性が足りないらしい」
ブレイズが顔を上げる。
「つまり?」
「ここは間もなく崩壊する」
「ちょっと、そういうことは早く言いなさいよ!」
次の瞬間、玉座の間に巨大な亀裂が走った。
五人が同時に動く。
セラフィが俺を支え、シルフィードが風を起こし、ブレイズが崩れる瓦礫を焼き払い、ノクターンが脱出経路を探り、ルミナが先頭で道を切り開く。
黒天城の中心が、轟音とともに崩れていく。
黒天王との戦いは終わった。
だが、まだ帰らなければならない。
五つの光と、一つの闇は、崩れゆく城の中を駆け出した。
――第33話へ続く
※おことわり
本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。




