第31話「黒天王と、黒瀬悠真」
黒瀬悠真。
その名を聞いた瞬間、俺の頭から音が消えた。
この世界で、誰も知るはずのない名前。
俺自身ですら、ずっと口にすることを避けてきた名前だ。
なのに、黒天王はそれを知っていた。
――いつからバレていた?
――どこかで気づかれるようなヘマをしたのか?
――そうだとして、なぜ今まで泳がされていた?
息が詰まる。
思考が回らない。
「……なぜ、その名を知っている」
自分でも驚くほど、声が低くなった。
ルミナたちがこちらを見ている。
五人とも黒天王と俺の間で視線を揺らしていた。
無理もない。
俺は今まで、黒瀬悠真という名を彼女たちに明かしていない。
敵の幹部。
ヴァルグレイ。
彼女たちにとって、俺はそういう存在だったはずだ。
だが、黒天王はその仮面の奥を、何の前触れもなく暴いた。
『知っているとも』
黒天王の闇が、玉座の上でゆっくり揺れた。
『我がお前を、この世界へ呼び寄せたのだからな』
「……何、だと?」
呼び寄せた。
黒天王が、俺を?
冗談だと思いたかった。
黒い花弁が玉座の間を覆い、赤黒い光が脈打つ。
五つのセレスティアル・フォームの光が、その闇に抗って輝いている。
その中心で、黒天王は静かに語り始めた。
『お前は、元の世界で見ていたはずだ。我と星彩少女たちの戦いの物語を』
原作アニメのことだ。
そんなことまで把握しているのか。
動揺を必死に隠す俺の前で、黒天王が続ける。
『あれは、創作ではない。この世界で実際に起きた戦いだ』
心臓が、不気味に跳ねた。
『もっとも、今ではなく"前の時間軸"で起きたことだがな』
「前の、時間軸……?」
ルミナが小さく呟く。
ブレイズが眉を寄せる。
「ちょっと待って。つまりヴァルグレイは私たちの戦いを知ってたってこと?」
ノクターンの魔導板が細かく明滅する。
「情報量、過多。整理が必要」
「整理しようにも、何がなにやらだよ」
シルフィードが混乱している。
だが、本当は俺が一番混乱していた。
『星彩のステラ・マギア』。
俺が元の世界で見ていたアニメ。
ルミナたちが傷つき、泣き、それでも立ち上がって戦う物語。
俺はそれを、画面越しに見ていた。
だがあれは、あくまで映像作品だ。
脚本家がいて、作画があって、音楽があって、声優がいて。
そういうものだと思っていた。
『お前の世界では、稀にあることだ』
黒天王が続ける。
『別の世界で起きた出来事を、夢やふと脳裏に描いた光景としてそれを知覚した人間が創作に落とし込む。そうしてできた物語が、お前の世界では娯楽として消費されている』
創作。
つまり、俺が元の世界で出会ったアニメや小説、物語たち。
その中には、「別の世界で起きた本当の出来事」を、それと知らずに創作しているケースがあるということか。
そんなバカな話があるか。
そう言いたくなるところだったが、そもそも俺がこの世界に来ている時点で、元の世界では考えられない出来事が起きているのだ。
ありえないと否定するには、現実離れしたことが起こりすぎている。
「ではお前は、かつて星彩少女たちに倒されたというのか?」
俺は最後まで原作アニメを見ていない。
だが、星彩少女たちは最後には勝利していたはずだ。
いくら重い展開が続いているといっても、まさか子供向けアニメ作品で敗北エンドなんてオチはないだろう。
『その通りだ。前の時間軸では、我は敗れた』
黒天王は淡々と言った。
『星彩少女たちとの最後の戦い。そこで我は、五つのレガリアと己の命を犠牲にした星彩少女に敗れた。黒天開花儀式は不完全なまま崩れ、我もまた消滅した』
己の命。
つまり星彩少女たちは勝利したが、相打ちになってしまったということだ。
いわゆる全滅エンドである。
魔法少女ものでそんな展開をやったら大問題になりそうだが、本当にそのまま放映したのだろうか?
確かめる術はない。
だが、いずれにしてもこの世界の出来事では、五人は死んでしまっていたのだ。
『前回の敗因は、二つある』
黒天王の声は、まるで失敗した実験の分析でもするように冷たかった。
『一つは、星彩少女ルミナの金色の力を儀式へ取り込めなかったこと。もう一つは、世界中の人間から恐怖と絶望をかき集めるという、雑多で非効率な方法を取ったことだ』
「非効率……?」
ルミナが静かに言った。
その声は怒っていた。
黒天王は気にも留めない。
『恐怖は薄い。絶望もまた、凡人どもから集めるものは質が低い。ならば、最も純度の高い希望を育て、それを一点で反転させればよい』
玉座の間の黒い花弁が開く。
五つの光が、その闇に照らされた。
『星彩少女たちの希望を育て、最も高く輝いた瞬間に落とす。それが、時間遡行の果てに導き出した答えだ』
「時間、遡行……」
セラフィが声を震わせる。
『そうだ。我は完全に消える前に、残る力を使って時間を巻き戻した。黒天開花儀式を、より完全な形で咲かせるために』
時間遡行。
やり直し。
物語の再演。
その言葉の重さが、胃の底に沈んでいく。
『我は星彩少女ルミナをより早く、より効率よくセレスティアル・フォームへ至らせる必要があった。そして、星彩少女たちの希望を高める駒が必要だった』
黒天王の闇が、俺へ向く。
『そこで、お前を選んだ』
「俺を……」
『我が別世界を観測した時、偶然にも最も強くこちらへ意識を向けていた者。それがお前だ、黒瀬悠真』
偶然。
つまり、たまたま選ばれたってことか。
冗談じゃない。
選ばれた理由が、使命でも、宿命でも、特別な血筋でもない。
ただ、この物語に意識を向けていたから。
その時、画面の向こうの彼女たちを気にしていたから。
それだけで、俺はここへ落とされた。
『お前は、星彩少女たちがどう戦うかを知っていた。どこで迷い、どこで折れかけ、どう力を得るかを知っていた』
黒天王の声が、わずかに愉悦を帯びる。
『星彩少女たちを追い詰め、鍛え、導く。自覚があろうとなかろうと、お前は実に良く働いた』
ルミナが俺を見た。
「ヴァルグレイ……」
その声に、何と答えればいいかわからない。
俺自身も、今の話を受け止めきれていない。
黒天王の声が、さらに冷たくなる。
『そして、お前がいた元の世界。そこにお前の帰る場所は既にない』
息が止まった。
『我が呼び寄せた時、元の世界の黒瀬悠真は死亡したのだからな』
死んだ。
俺が。
元の世界で。
それだけで十分だった。
玉座の間が遠くなる。
音が、光が、輪郭を失う。
『肉体はすでに失われている。お前の魂だけを、我がこの世界へ引き寄せた。ゆえに戻ることはできぬ』
戻れない。
そうか。
やっぱり、そうなのか。
どこかで考えないようにしていたことだった。
いつか戻れるのかもしれない。
これは長い夢なのかもしれない。
そういう甘い逃げ道を、心のどこかに残していた。
だが、黒天王はそれをあっさりと踏み砕いた。
『お前はこの世界における、異物だ』
異物。
その言葉が、胸に突き刺さる。
『星彩少女たちは敵。黒天教団はもはやお前を反逆者と見る。元の世界に肉体はなく、帰る家もない。この世界に、お前を黒瀬悠真として知る者はいない』
黒天王の声が続く。
『孤独だろう、黒瀬悠真』
諭すように。
『誰にも知られず、誰にも理解されず、誰の隣にも立てぬ』
嘲笑うように。
『お前は、この世界で誰よりも哀れな存在だ』
黒天王が、俺の存在を語る。
足は震えている。
息もうまくできない。
だが、ここで崩れるわけにはいかない。
俺は黒天王を睨む。
「……それが、どうした」
声が出た。
掠れていた。
それでも、どうにか声になった。
「どういう経緯であろうと、今ここでお前を倒すことに変わりはない」
俺は外套の内側へ手を入れる。
話を聞きながらも、俺は魔力の流れを止めなかった。
「ずいぶん長々と語ってくれたな。だが、その間にこちらの準備は整った」
黒い花の流路の一部が、灰色に反転する。
動揺していなかったわけではない。
むしろ、内側はぐちゃぐちゃだ。
情報量があまりに多すぎる。
だが、指は動いていた。
意地だけで、術式を繋いでいた。
「お前の負けだ、黒天王!」
外周流路に散らした印。
この場で繋ぎ続けた魔力の糸。
それらが、ようやく一つの線になる。
俺は反転術式を発動しようとした。
その瞬間。
黒天王が、嗤った。
低い声で。
心から愉しむように。
「……何がおかしい」
『さしものお前も、己の身の上を聞かされれば動揺するようだな』
「何だと」
『長々と語って聞かせてやったのは、親切心だとでも思ったか』
床が砕けた。
いや、違う。
床の下から、黒い根が噴き上がった。
それは俺の足元だけを正確に貫き、四肢へ絡みついた。
「ぐっ……!」
「ヴァルグレイ!」
ルミナの声が響く。
金色の剣から光の斬撃が放たれる。
だが、黒い根は俺を包み込むように閉じた。
光が弾かれる。
ブレイズの炎が走る。
セラフィの盾が根を押し返そうとする。
ノクターンの矢が根の接続部を射抜く。
シルフィードの風が俺の身体を引き戻そうとする。
だが、解けない。
根はただ俺を縛っているのではない。
俺の内側に入り込んでいる。
魔力を吸うのではなく、魂の奥を掴んでいるような感覚だった。
『お前の孤独は、よく育っている』
黒天王の声が、頭の内側で響く。
『黒瀬悠真。お前の絶望を、黒天開花儀式の新たな核としよう』
「ふざけ……るな……!」
『お前を取り込み、その孤独を反転炉へ落とす。そして、お前の消滅を見た星彩少女たちの希望も砕く。実に効率が良い』
「そんなこと、させない!」
ルミナが叫ぶ。
五つの光が、同時に黒い根へ叩き込まれる。
だが、黒天王の根はびくともしない。
セレスティアル・フォームとなった五人の攻撃を受けても、俺を捕らえた根だけは異様に硬かった。
時間をかけて、俺に最適化された拘束術。
話をしている間に、黒天王はこれを整えていたのだ。
俺も。
ルミナたちも。
黒天王の話に気を取られ、足元の変化に気づけなかった。
完全に、やられた。
「ヴァルグレイ、今助けるから!」
「待て、来るな!」
こちらに手を伸ばすルミナに向かって、俺は叫んだ。
身体が引きずり込まれていく。
黒い根の先には、玉座の奥に開いた闇がある。
黒天王の内側。
儀式の核。
そこへ俺を取り込むつもりだ。
「ここで無駄に魔力を使うな」
「そんなの聞けるわけないでしょ!」
ブレイズが叫ぶ。
「今助けないで、いつ助けるのよ!」
「話を聞け」
俺は息を吸う。
喉が焼けるように痛い。
それでも、伝えなければならない。
「俺が吸収される瞬間、奴は無防備になるはずだ。その隙に黒天王を討て」
「何を……言っているのですか」
セラフィの声が震える。
俺は五人の姿を見る。
ルミナも、ブレイズも、セラフィも、ノクターンも、シルフィードも。
五人とも、本当に強くなった。
なら、もう大丈夫だ。
「俺の役目は、それで終わる」
「バカなこと言ってんじゃないわよ!」
ブレイズが怒鳴る。
「まだあんたに部下にしてもらうの、諦めてないんだからね! ここでいなくなるなんて、絶対に承知しないから!」
「まだ言っていたのか、それを……」
「言うわよ! 何度でも言うわよ!」
ブレイズの炎が揺れる。
怒っているのに、泣きそうな顔だった。
「ヴァルグレイさん」
セラフィが一歩前へ出る。
「あなたは私たちに、たくさんの言葉をくれました」
白い盾が震えている。
「だから今度は、あなたが私たちの言葉を聞いてください。自分だけ犠牲になるなんて、そんな勝ち方は嫌です」
ノクターンが魔導板を握りしめる。
「私は、まだあなたを観測しきっていない。勝手に結論を出さないで」
「こんな時まで分析か」
「重要」
シルフィードが笑おうとして、うまく笑えない顔をした。
「ヴァルくんはさぁ、そういうとこダメだと思うな」
「ヴァルくんはやめろ……」
「ここまでついてきた女の子を、五人も置いていくなんて。おなか刺されても文句言えないよ?」
さらっと怖いことを言うな。
最後に、ルミナが剣を握る。
金色の翼が、黒い闇の中で揺れた。
「あなたには、まだ話したいことも、聞きたいこともたくさんあるの」
その声は、静かだった。
だが、何より強かった。
「だから、犠牲になろうとなんてしないで」
どこにも属していない。
誰にも知られていない。
孤独な異物。
黒天王はそう言った。
実際、その通りなのかもしれない。
この世界に、黒瀬悠真を知る者はいない。
だが、今。
目の前の五人は、俺を見ている。
なら、勝手にここで終わりにしていい訳はないか。
「……まったく」
俺は息を吐いた。
「どいつもこいつも、悪の幹部の自己犠牲を台無しにしてくれる」
「そんなもの、最初からいらない!」
ブレイズが即答する。
正論だった。
非常に痛い正論だった。
俺は黒い根に縛られたまま、目を閉じる。
考えろ。
死なずに中へ入る方法。
黒天王を止め、なおかつ俺が戻る方法。
――切り札は、まだある。
成功率なんて、まともに計算したら笑えない。
だが、もともと俺は黒天王の盤面にない異物らしい。
なら、最後くらい予定外のことをしてやろう。
俺は目を開けた。
「ルミナ」
「うん」
「俺に考えがある」
ルミナは真っ直ぐこちらを見る。
「信じてくれ」
一瞬の沈黙。
それから、ルミナは頷いた。
「……わかった。信じる」
彼女は剣を構え直す。
「だから、あなたも私たちを信じて」
俺は五人を見た。
黒天王が想定しなかった、五つの金色の光。
「ああ。頼む」
俺は言った。
黒い根が、さらに身体を締め上げる。
「合図を出す。その時、黒天王を討て」
「本当に大丈夫なの!?」
ブレイズが叫ぶ。
「あまり大丈夫ではない」
「そこは大丈夫って言いなさいよ!」
「嘘はつかん」
「こういう時だけ正直!」
セラフィが、震える声で言った。
「信じましょう。ヴァルグレイさんは……きっと帰ってきてくれます」
ノクターンが頷く。
「合図を観測する。全員、攻撃準備」
シルフィードが風を巡らせる。
「ヴァルくん、遅かったら迎えに行くからね」
「ヴァルくんはやめろ」
「ちゃんと帰ってきたら、考えてあげる」
ルミナが最後に言った。
「待ってる」
黙って聞いていた黒天王の笑い声が、玉座の間を満たした。
『別れは、済んだようだな』
黒い根が、俺の身体を玉座の奥へ引きずり込む。
『足掻くがいい。足掻けば足掻くほど、希望は強まり、絶望は深くなる』
黒天王の嗤いが深くなる。
『どのような策であろうと、もはや無駄だ。お前の孤独も、少女たちの希望も、すべて我が黒天に咲く』
「好きに言っていろ」
俺は黒天王を睨んだ。
「お前の徒花は、ここで終わりだ」
最後に見えたのは、五つの光だった。
俺を見送るのではなく、俺を信じて構える光。
なら、大丈夫だ。
たぶん。
いや、絶対に。
黒い闇が、視界を呑み込む。
俺は黒天王の内側へ引きずり込まれた。
玉座の間に、五つの光だけが残る。
ルミナが剣を握りしめた。
「信じよう」
その声に、四人が頷く。
黒天王の闇が、さらに膨れ上がる。
だが、星彩少女たちは退かなかった。
ヴァルグレイが、きっと合図を出す。
その瞬間を信じて。
五つの光は、黒天王へ向かって駆け出した。
――第32話へ続く
※おことわり
本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。




