第28話「悪の幹部、反逆者として追われる」
黒天城の最深部は、城のどこよりも静かだった。
音がない。
風もない。
魔力の流れる低い脈動だけが、床の奥から響いている。
そこは玉座の間の直下にあたる空間だった。
もし、今ここで時間をかけてこの流路を破壊すれば、儀式の阻止は可能だろう。
だが、もうそんな時間は残されていない。
もっと早くここの存在に気づいていれば話は別だが、今更言っても仕方がない。
ここにきた理由は二つ。
一つは、「最後の仕上げ」をここで仕込むこと。
破壊するほどの時間はかからないが、しばらくここに留まる必要がある。
そしてもう一つ。
ここは、黒天王以外の立ち入りを許されていない場所だ。
たとえ幹部であろうと。
たとえ儀式準備を任された者であろうと。
この空間に踏み込んだ時点で、俺の叛逆は確定しているのだ。
そして、この瞬間を誰よりも待ち望んでいた奴。
そいつをここで足止めし、星彩少女たちの進む道を拓く。
「遅かったな、ゼルミア」
俺は振り向かず、誰もいない背後に声をかける。
「なんだ、気づいてたんだ。せっかく脅かそうと思ったのに」
闇の柱の影から、ゼルミアが姿を現す。
細い影のような身体。
赤黒い瞳。
楽しげに歪んだ唇。
彼女はまるで舞台の幕が上がるのを待ち侘びていた観客のような顔をしていた。
「何度同じ手を使ったと思っている。いい加減、貴様の気配くらいすぐにわかる」
「あは。嬉しいなあ。私のこと、そんなに覚えてくれたんだ」
「嬉しがるな、気持ち悪い」
「相変わらず褒めるのが上手いねぇ」
褒めてないと何度言えばわかるんだこいつは。
俺はゆっくり立ち上がった。
今から反転紋を刻む時間はない。
だが、最後の一手間をかける猶予はまだある。
もう少し。
もう少しだけ、時間を稼ぎたいところだった。
「ゼルミア」
「何だい?」
「貴様、黒天開花儀式の中身を知っているのか」
気づかれないように後ろ手に魔力を流し込みつつ、会話を続ける。
「もちろん。全部じゃないけどね」
「なら、わかっているはずだ。あの儀式は星彩少女だけを喰うものではない」
俺は黒い流路を横目で見る。
「黒天城にいる全ての怪人の魔力も吸い上げる。幹部も例外ではない」
「うん。知ってるよ」
軽い返答だった。
まるで明日の天気を聞かれた程度の声。
「貴様も餌になるぞ」
「そうだね」
「それがわかっていて、なぜ黒天王に付き従う」
ゼルミアの目が細くなる。
俺は続けた。
「貴様は王への忠誠で動く女ではない。命令よりも自分の愉悦を優先する。そんな貴様が、座して死を待つような真似をするとはどういう魂胆だ」
ゼルミアがにっこりと笑う。
「ひどいなあ。まるで私に忠誠心がないみたいじゃないか」
「あるのか」
「ないね」
即答だった。
やはりこいつはぶれない。
ゼルミアは、足元に影を広げながらゆっくり歩いてくる。
「私は黒天王の餌になるつもりはないよ。あんな大きな花に呑まれて終わりなんて、つまらないし」
「ならば、とっととここから失せろ」
というか今すぐ出ていってほしい。
主に俺の胃の安寧のために。
だが、彼女は肩をすくめるだけで動こうとしなかった。
「でもね、今はそれより面白いものがある」
「……俺か」
「正解」
ゼルミアの目が、ぎらりと濡れたように光る。
「ずっと見たかったんだ。悪の幹部らしい顔をして、冷たい言葉を吐いて、全部わかっているみたいな態度を取って。そのくせ、本当は誰より必死に取り繕っている君が、悶え苦しむ様をね」
「悪趣味だな」
「いやあそれほどでも」
だから褒めてないんだと何度言えばわかる。
そろそろしばくぞ。
ゼルミアの足元から、影の鎌がゆっくりと形を成す。
「その仮面の下が、どんな顔をしているのか。喉を裂いたら、どんな悲鳴を上げるのか。黒天王への忠誠も、星彩少女への情も、部下への責任も、全部ぐちゃぐちゃになった時、君はどんな目をするのか」
彼女はうっとりと笑った。
「ああ、見るのが楽しみで仕方がない」
胃の奥が冷える。
こいつは、いつでもこうだ。
黒天王の計画ですら、この女にとっては舞台装置にすぎない。
他人の苦痛こそが唯一の娯楽。
誰かが折れる瞬間こそが至高。
「貴様ほど、悪の幹部が似合う奴もいないな」
俺は右手に闇を集める。
闇鎖は使えない。
最後の仕込みに魔力を割いている今、鎖を展開すれば中枢への細工が途切れる。
使えるのは闇の刃だけ。
短く、薄く、斬るためだけの武器。
「やるつもり?」
ゼルミアは楽しそうに首を傾げる。
「そんな状態で」
見抜かれている。
当然だ。
ゼルミアは相手の弱みを嗅ぎ取ることにかけては、異様に鋭い。
「君、魔力の半分くらいを外に流してるよね。ここの中枢? それとも別の仕込み?」
「聞かれて答えると思うか」
「答えなくてもいいよ」
影鎌が持ち上がる。
「君を斬り刻んだ後で、勝手に確かめるから」
次の瞬間、ゼルミアが消えた。
いや、影になった。
床に溶けた影が、俺の足元から一気に立ち上がる。
「ちっ」
俺は闇刃を横へ振る。
影鎌と闇刃がぶつかり、黒い火花が散った。
重い。
普段なら鎖で距離を取り、相手の動きを封じながら戦う。
だが今はそれができない。
闇刃一本で、ゼルミアの変則的な影術に対応しなければならない。
「ほら、遅い遅い!」
背後から声。
振り返るより先に、闇刃を逆手に持ち替えて受ける。
影鎌が肩口をかすめた。
外套が裂け、黒い魔力が散る。
「反逆の準備に力を使いすぎたんじゃない?」
全くもってその通りだ。
だが認めるのも癪に障る。
俺は答えずに踏み込み、闇刃を振り下ろす。
ゼルミアは笑いながら身を反らす。
その身体が影へほどけ、刃は空を斬った。
直後、足元から黒い腕が伸びる。
俺はそれを蹴り砕き、壁際へ跳ぶ。
跳んだ瞬間、壁そのものから影鎌が生えた。
避けきれない。
闇刃で受ける。
衝撃で腕が痺れる。
「いいねえ」
ゼルミアの声が、広間のあちこちから響く。
「いつもの君なら、もう少し余裕があるのに。今日は必死だ。必死なのに、まだ隠している。最高だよ」
「貴様の感想は聞いていない」
「私は話したいから話すよ」
影が四方に分かれる。
本体はどれだ。
魔力反応は全部似せてある。
厄介な幻影だ。
闇鎖が使えればまとめて縛れる。
だが、今は使えない。
俺は呼吸を整えながら、視界の端で中枢流路を見る。
仕込みはまだ継続している。
魔力の細糸は、流路の奥で少しずつ形を作っていた。
あと少し。
あと数十秒。
「よそ見はダメだよ」
真上。
ゼルミアが天井から降ってくる。
影鎌が喉元を狙う。
俺は身を捻り、闇刃で弾く。
だが、刃の先が仮面をかすめた。
銀の表面に細い傷が入る。
「しぶといなぁ」
ゼルミアは着地し、舌なめずりでもしそうな顔で笑った。
「そろそろ喉斬らせてよ」
「断る!」
俺は闇刃を構え直す。
肩が重い。
呼吸も荒い。
魔力を半分以上、最後の仕込みに持っていかれている。
体の内側から削られているような感覚だ。
一時的にでも解除して、戦闘力に回すか?
ここまでの仕込みでも、儀式の阻止は十分に可能な状態になっている。
ここで欲張っても仕方ないのではないか。
そんな思いが頭をもたげる。
だが、すぐに振り払う。
「阻止は十分に可能」なんて一級フラグ建築士のセリフだ。
時間が許す限り、体力が許す限り、できる仕込みは全てやる。
そうでなければ、勝利は掴めない。
たとえ俺がここで討たれようとも、星彩少女たちが黒天王を討てば、俺の勝ちだ。
ゼルミアがゆっくり歩いてくる。
「ねえ、ヴァルグレイ」
「何だ」
「君って本当に悪の幹部に向いてないね」
「大きなお世話だ」
ゼルミアは笑う。
そして、次の瞬間。
笑みのまま距離を詰めた。
速い。
俺は闇刃を上げる。
影鎌を受ける。
だが、それは偽物だった。
本命の刃は、俺の左側から伸びていた。
「ぐっ……!」
脇腹が裂ける。
痛みが走り、膝が沈みかける。
ゼルミアはその隙を逃さない。
二撃目。
三撃目。
俺は闇刃で受け、逸らし、弾く。
押されている。
仕込みに魔力を割き続けている以上、持久戦でも、力押しでも勝てない。
だが、今必要なのは勝利ではない。
時間だ。
俺はあえて一歩退く。
ゼルミアが踏み込む。
その瞬間、床に残しておいた微弱な影を弾けさせる。
攻撃にはならない。
だが、視界を一瞬だけ黒く染める。
「まだ小細工する余裕があるんだ」
ゼルミアは影鎌で霧を裂く。
それで十分だった。
俺はその一瞬で、中枢流路へ最後の魔力を流し込む。
流路の奥で、音もなく何かが繋がった。
終わった。
仕込みは、完了した。
「……よし」
小さく呟いた。
その声を、ゼルミアは聞き逃さなかった。
「お仕事終わった?」
笑みが深まる。
「じゃあ、もう斬っていいよね」
影が跳ねた。
速い。
さっきまでとは違う。
殺す気の一撃だ。
ゼルミアの影鎌が、一直線に俺の喉元へ迫る。
闇刃を上げるには遅い。
足も動かない。
魔力も尽きかけている。
避けられない。
銀の刃のような影が、視界いっぱいに迫る。
その瞬間。
金色の光が、横から割り込んだ。
甲高い音が、最深部に響く。
ルミナの剣が、俺の目の前でゼルミアの影鎌を受け止めていた。
俺は思わず目を見開く。
「……星彩少女?」
ゼルミアの目が、初めて細くなる。
ルミナは両手で剣を握り、歯を食いしばっている。
セレスティアル・フォームではない。
いつもの姿だ。
「間に……合った……!」
俺は思わず息を呑んだ。
何故、ルミナがここにいる。
どうやって最深部まで来た。
いや、考えるまでもない。
偽装儀式の痕跡。
外周流路の欠け。
黒天城の魔力反応。
こちらが残したものを、拾ってきたのだ。
「……来るのが早すぎる。なぜ来た」
ルミナが、ちらりとこちらを見る。
「……助けに来たのに、その言い草はひどいよ」
「助けを求めた覚えなどない」
「うん。求められた覚えもない」
ルミナが影鎌を押し返す。
ゼルミアは軽く跳んで距離を取った。
「言ったでしょう? ちゃんと考える。考えて行動するって」
「バカめ……」
その直後、赤い炎が最深部の闇を照らす。
「ルミナだけじゃないわよ!」
ブレイズが走り込んでくる。
炎の拳が、ゼルミアの足元へ叩き込まれた。
ゼルミアは影へ溶けて避ける。
次に、セラフィの盾が俺の前に展開された。
「ヴァルグレイさん、傷の手当てを」
「……敵を、治療しようとするな」
「いやです、します」
珍しく強情なセラフィが杖をこちらに向け、治癒術を放つ。
血が止まらなかった傷口がみるみる塞がっていく。
ノクターンが魔導板を構え、ゼルミアの影の位置を追う。
「敵性対象、ゼルミア。影術式反応多数。ヴァルグレイ、負傷あり。魔力残量低下」
「記録するな」
「重要な記録」
「……愚か者め」
言いかけて、咳が出た。
情けない。
シルフィードが風で瓦礫と黒い霧を払う。
「大丈夫、ヴァルくん?」
「その呼び方はやめろと言ったはずだ」
「うんうん、そのくらい返事できるなら大丈夫そうだね」
なんだかあしらわれている気がする。
五人が、俺の前に立つ。
まるで俺を庇うように。
悪の幹部を。
黒天教団の反逆者を。
敵だった男を。
ゼルミアが、その光景を見て笑った。
心底楽しそうに。
心底気味悪く。
「へえ」
影鎌を肩に担ぎ、彼女は目を細める。
「星彩少女たちが、悪の幹部を庇うんだ?」
ブレイズが拳を構える。
「悪の幹部だけど、今こいつをあんたにやられちゃ困るのよ」
セラフィが盾を前へ出す。
「傷ついている人を、これ以上斬らせません」
ノクターンが弓を構える。
「ゼルミアの目的は殺傷および精神的加虐。阻止が必要」
シルフィードが風をまとい、軽く笑った。
「もうちょっとだけがんばって、ヴァルくん」
「だからヴァルくんはやめろと……」
もう声に力が入らない。
ルミナが剣を構えたまま、ゼルミアを見た。
「あなたの相手は、私たちよ」
ゼルミアは、ゆっくりと笑みを深めた。
「あーいいね。すごくいい」
影が、彼女の足元から広がっていく。
「やっぱり君たちを傷つける方が、ヴァルグレイの反応も面白そう」
最深部の中枢回路が、低く脈打つ。
俺は壁にもたれながら、荒い息を整える。
最後の仕込みは終わった。
だが、戦いはまだ終わっていない。
ゼルミアの影が、五つの光へ向かって広がる。
そして星彩少女たちは、一歩も退かなかった。
黒い花の根元で、五つの光が並び立つ。
悪の幹部を背にして。
影の女幹部と向かい合う。
その異様な構図を見て、俺はかすかに笑いそうになった。
笑っている場合ではない。
だが、本当に。
とんでもないところまで来てしまったものだ。
ゼルミアが影鎌を振り上げる。
「じゃあ、次は君たちで遊ぼうかな」
五つの光が、同時に構えた。
黒天城の最深部で、次の戦いが始まろうとしていた。
――第29話へ続く
※おことわり
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