第21話「魔法少女たち、罠に嵌る」
信頼というものは、厄介だ。
無いなら無いで困る。
だが、あるならあるで、もっと危ない。
元の世界でも、そういう出来事はよくあった。
この人がそう言うならきっとそうだろう。
この人のやることならきっと意味があるのだろう。
行き過ぎた信頼は、やがて盲目的な従属へと変異する。
そして戦場では、もっと悪いものに化けることもある。
敵の罠だ。
*
黒天城の執務室で、俺は魔導端末に表示された作戦内容を確認していた。
場所は、旧地下水道区画。
街の下を走る、古い排水設備の跡地だ。
人通りはなく、一般人が入り込む可能性も低い。
戦場としては、悪くない。
今の星彩少女たちなら、慎重に進めば対応できるはずだ。
……はずなのだが。
「ヴァルグレイ様」
狼頭の部下が、執務室の入口で片膝をついた。
「旧地下水道区画の人払い結界、展開完了。周辺の怪人配置も予定通り進んでおります」
「ああ」
「ただ、一点、確認すべき事案がございます」
珍しく、狼頭の部下が緊張したような声を出した。
「何だ」
「ゼルミア様が、独自に通信術式を使用された形跡がございます」
俺は顔を上げた。
「通信術式?」
「はい。送信先は外部。黒天教団内部ではありません」
嫌な予感がした。
「内容は」
「断片のみ解析できました」
狼頭の部下が端末を差し出す。
そこには、短い文面が表示されていた。
――旧地下水道区画。
――五人で来い。
――単独行動はするな。
――中央広場へ向かえ。
――これは試練だ。
俺は、しばらく黙った。
完全な模倣ではない。
悪役口調も薄い。
だが、これは明らかに俺を装った星彩少女たちへの声明文だ。
最悪だ。
「……ゼルミアめ」
思わず声が漏れた。
「ヴァルグレイ様?」
「奴が、俺の誘導を勝手に模倣した」
「つまり、星彩少女どもを予定地点へ誘い込むため、ゼルミア様が補助を?」
「……いや、補助ではない」
俺は端末を握る手に力を込めた。
「これは、妨害だ」
狼頭の部下が息を呑む。
文面だけなら、まだ対処できる。
問題は場所だ。
旧地下水道区画の中央広場。
そこは、本来なら使用を避ける予定だった場所だ。
魔力が溜まりやすく、封鎖されると退路が限られる。
少し手を加えれば拘束結界へ転用できる。
ゼルミアは、そこへ星彩少女たちを誘導しようとしている。
俺の名前を使って。
俺の言葉を餌にして。
「作戦を変更する」
俺は立体図を展開した。
「中央広場周辺の結界を解除。封鎖扉の制御権をこちらへ戻せ」
「はっ」
「それと、星彩少女どもへの接触を試みる。ゼルミアの偽命令だと知らせて――」
言いかけて、止まった。
それはできない。
ここで直接警告すれば、ゼルミアにこちらの意図を悟られる。
俺が星彩少女たちを守ろうとしていると、さらに疑われる。
いや、疑われるだけならまだいい。
俺の警告そのものを、次の罠に利用される可能性がある。
俺は奥歯を噛んだ。
「……いや、こちらからは何も送るな」
「よろしいのですか?」
「ああ。奴らが俺を装った罠をどこまで疑えるかを見る」
最低の言い訳だった。
狼頭の部下は、しかし感心したように頭を下げる。
「偽の指令すら利用し、星彩少女どもの判断力を試すのですね」
「そうだ」
違う。
本当は今すぐ止めたい。
だが、止め方を間違えれば、もっと危険になる。
俺は作戦図に次々と修正を加えた。
急げ。
間に合え。
*
旧地下水道区画は、湿った闇に沈んでいた。
古い石造りの通路。
足元を流れる浅い水。
天井から落ちる水滴。
遠くで響く、低い水音。
「ここで合ってるんだよね?」
ブレイズの声が、水路に反響する。
五人は慎重に進んでいた。
先頭はルミナ。
その右後方にブレイズ。
中央にセラフィ。
少し後ろでノクターンが魔導板を見ている。
シルフィードは壁際を軽く走り、風の流れを探っていた。
「送られてきた文面では、中央広場へ向かえとあった」
ノクターンが続ける。
「でも、違和感がある」
ルミナが振り返る。
「ノクターンもそう思った?」
「言葉はヴァルグレイに似ている。でも、少し違う」
「どう違うのですか?」
セラフィが尋ねる。
ノクターンは魔導板に表示した文面を見た。
「ヴァルグレイなら、もっと嫌な言い方をする」
ブレイズが腕を組む。
「あー、わかる。単独行動はするな、なんて親切に書く? あいつなら『群れから外れた光ほど刈り取りやすい』とか言いそう」
シルフィードが首を傾げる。
「じゃあ、罠かも?」
「可能性は高い」
ノクターンが答える。
「でも、黒天教団の反応は本物。ここに何かあるのも確か」
ルミナは少し考え、剣を握り直した。
「じゃあ、進もう。ただし、文面は信じきらない。退路と術式を確認しながら」
五人が中央広場へ近づくにつれ、水路の壁に刻まれた黒い紋様が淡く光り始める。
拘束結界。
魔力吸収陣。
そして、レガリアへ干渉するための導線。
「よく来たな、星彩少女ども」
冷たい声が響く。
五人が一斉に声の方へ目を向ける。
「……ヴァルグレイ?」
ルミナが呟いた。
黒い外套。
銀の仮面。
低く冷たい気配。
五人が息を呑む。
「罠に真っ直ぐ進んでくるとは。やはり貴様らはその程度か」
ヴァルグレイがパチンと指を鳴らす。
足元の水面が黒く染まり、銀の仮面に結界の光が反射した。
その瞬間、床の魔法陣が黒く咲いた。
「下がって!」
ルミナが叫ぶ。
水路の隙間から黒い鎖のような魔力が噴き上がり、五人を囲む。
天井、床、壁。
すべてが連動し、鳥籠のような結界を作った。
さらに、足元の魔法陣から伸びる黒い光が彼女たちの胸元のレガリアへ絡みつく。
光が、少しずつ吸われていく。
「なに、これ……!」
ブレイズが炎を出そうとして、顔をしかめる。
「火が出せない……!」
「……魔力を吸われている」
ノクターンが短く言う。
「……拘束と吸収が連動している。外から壊すか、内側で核を断たないと解除不能」
セラフィが盾を展開する。
だが、盾の光もすぐに薄くなる。
「力が、吸われていきます……!」
シルフィードが風をまとおうとする。
しかし、いつもの速度が出ない。
「足が動かない……!」
ルミナは結界の壁へ剣を振り下ろした。
光が散る。
だが、結界はわずかに揺れただけだった。
「……っ……あなたが、これを、仕掛けたの?」
「そうだ」
ヴァルグレイは即答した。
「言ったはずだ。今までの戦いはお前たちの希望を刈り取るための準備に過ぎんと」
ブレイズが炎を燃やそうとする。
だが、炎は黒い鎖に吸われ、弱々しく揺れるだけだった。
「ふざけ、ないで……!」
「そうだ。怒れ、嘆け。それこそ俺が求めていた絶望だ」
ヴァルグレイが、さらに一歩近づく。
「そのすべてが、黒天王の糧となる」
その言葉に、ルミナの瞳が揺れた。
――本当に?
――やっぱりあなたは、敵でしかなかったの?
今まで信じかけていたもの。
敵なのに、自分たちを見てくれていると思った瞬間。
戦いの中で投げられた言葉。
厳しいけれど、どこか自分たちを壊さないようにしていた動き。
それらが全部、罠だったのか。
信じてしまった自分たちが、愚かだったのか。
そんな問いが、彼女の目に浮かんでいた。
その時。
広場の影から、ヴァルグレイの首元を目掛けて闇の鎖が伸びる。
「ちっ」
ヴァルグレイは舌打ちし、鎖を弾き飛ばした。
「強引だねえ」
ヴァルグレイの声が、中央広場に響いた。
明らかにそれまでと異なる口調に、星彩少女たちが目を見開く。
そして、もう一つの闇が中央広場へ降り立つ。
*
「……ヴァルグレイが、二人?」
ルミナの声が、震えていた。
……間に合ったか。
同じ姿が二つ。
俺は、偽ヴァルグレイを睨んだ。
「……やってくれたな、ゼルミア」
偽ヴァルグレイは肩をすくめた。
「あーあ」
その声が、ゼルミアのものに戻る。
「今、すごくいいところだったのに」
銀の仮面が黒い霧に溶ける。
黒い外套の形が崩れ、細い影のようなシルエットに変わる。
ゼルミアが、本来の姿に戻った。
ルミナたちの表情に、僅かに安堵が走る。
それを見て、胸の奥が少しだけ痛んだ。
安堵させたかったわけではない。
だが、あのまま信じさせるわけにはいかなかった。
「ゼルミア」
俺は低く言う。
「貴様、俺の姿を騙るとは良い度胸だな」
「どう、結構似てたでしょ?」
「魔力波形すらまともに再現できていない。猿真似芝居もいいところだ」
「あはは。実はあんまり得意じゃないんだよね、こういうの」
ゼルミアは楽しそうに笑いながら、拘束術式の中心へ指を向ける。
「でも、面白いだろう? それに……」
黒い魔法陣が、さらに強く輝いた。
五人のレガリアから、光が吸われる速度が上がる。
「うぅっ……!」
五人から苦しそうな声が上がる。
「まだ、終わりじゃないよ」
セラフィが盾を張ろうとするが、光が足りない。
ノクターンの魔導板が黒く染まり、シルフィードの風が水面へ押し潰される。
ルミナが剣を支えに立つ。
「今すぐ術式を止めろ」
「止めないよ」
ゼルミアは笑った。
「だって、もう少しで壊せそうなんだもの」
その言葉で、空気が変わった。
こいつは、測定をしているのではない。
黒天王のためでもない。
こいつ自身が、見たいのだ。
星彩少女たちが嘆き、信じかけたものを壊され、力を奪われ、絶望する姿を。
「ゼルミア。貴様、黒天王の命を忘れたのか」
「忘れてないよ」
「ならば、ここで壊すな。収穫には早い」
ゼルミアはくすくす笑う。
「でも正直言うとね。王の計画とか、収穫の段取りとかどうでもいいんだ」
その目は、底なしの悪意で濡れていた。
「私は、今この顔が見たくて仕方がない。信じて、疑って、折れかけて、それでもまだ光ろうとしている顔。最高じゃないか」
「貴様……!」
「壊れちゃったら壊れちゃったで、それも一興。愉しめたならそれでいいじゃない」
こいつ。
本気で言っている。
ここで星彩少女たちが壊れてしまっても構わないと本気で思っている。
目の前の快楽を優先し、黒天王の計画すら後回しにしている。
このまま放っておくわけにはいかない。
俺は闇鎖を放つ。
ゼルミアが鎌で受ける。
鎖と鎌がぶつかり、黒い火花が散った。
「おやおや、味方を攻撃するのかい?」
「貴様は味方ではない。俺の計画の邪魔をする存在だ」
ゼルミアは笑う。
「遊んであげてもいいけど、私を倒したって術式は止まらないよ。遊んでいる間に彼女たちが死んじゃったらどうする? ほら、どうする?」
俺は舌打ちした。
ゼルミアの言うことは、おそらく脅しではない。
こいつを今倒したとしても術式は止まらず、戦っている間に星彩少女たちのレガリアは光を奪われていく。
光を失ったレガリアはやがて砕け散り、星彩少女たちの変身が解ける。
そして、あの高濃度の魔力を生身の人間が浴びればどうなるか――
間違いなく、即死だろう。
普通の少女の姿となり、息絶えた彼女たちの姿を幻視してしまう。
俺は拳を握り込む。
もはや、猶予がない。
外から破壊するには、時間が足りない。
内側から破るには、今の五人の出力では足りない。
俺はルミナを見た。
彼女の胸元で、星のレガリアがかすかに脈打っている。
ただ一つ。
この場を切り抜けられるかもしれない『切り札』を、俺は知っている。
かつて、黒瀬悠真として見た、星彩少女ルミナの真の力。
だが今、それを使わせてしまって良いのか。
いや、迷っている時間はない。
今使わなければ、ここで終わる。
「ルミナ!」
俺は叫んだ。
ルミナが顔を上げる。
「胸のレガリアに手を当てて、祈れ」
「えっ……?」
彼女の目が揺れた。
「レガリアを……?」
「お前の光は、そこで終わるものではない」
「私の、光……」
ゼルミアの表情が、少しだけ変わった。
「へえ?」
俺は構わず続ける。
「仲間を守りたいのなら、祈れ。お前自身の光を信じろ」
ルミナは、震える手で胸元のレガリアに触れた。
そうだ。
レガリアは祈りの力を現実のものに変える。
お前の信じる力が本物であれば。
ルミナが、何かを確かめるようにこちらを見る。
「……あなたも」
微かなルミナの声が耳朶を打つ。
「なんだ」
「あなたも、信じてくれる……?」
弱々しいが、真っ直ぐな瞳がこちらに向けられる。
悪の幹部なら、肯定などしない。
冷たく突き放すべきだ。
だが。
「ああ、信じる」
短い言葉。
それだけで、彼女にとっては十分だったようだ。
黒い鎖が彼女の腕に絡む。
それでも、彼女はレガリアから手を離さない。
「星の光よ、私の祈りに応えて」
胸のレガリアが、強く震えた。
まるで、その言葉を待っていたかのように。
金色の光が、胸元から溢れた。
黒い鎖が軋む。
セラフィが目を見開く。
「ルミナちゃん……!」
ブレイズが、苦しげに笑った。
「何、あの光……?」
ノクターンの魔導板が激しく明滅する。
「レガリア反応、急上昇。見たことのない光」
シルフィードが、かすれた声で呟く。
「ルミナ、すごい……!」
金色の光の中心で、ルミナのレガリアがさらに輝きを増す。
星のレガリアから、小さな金色の宝石が現れた。
ペンダントでも、鍵でも、剣でもない。
星の花を模した、光の結晶。
『ステラ・フローライト』。
俺はかつて、それを画面越しに見た。
今と同じ、窮地に陥った仲間を救うルミナの祈りが具現化した、星彩少女を新たな姿へと変える力。
ルミナはそれを両手で包む。
光がルミナを包み込み、術式すら覆い隠すほどの輝きを放つ。
ゼルミアが、初めて予想外のものを見る目をした。
「何、それ」
俺は闇鎖を握り直す。
間に合った。
いや、まだだ。
ここから先は、ルミナ自身が掴むものだ。
金色の光が、旧地下水道区画の闇を裂いていく。
ルミナの瞳に、折れない光が戻る。
そして彼女は、光の結晶を胸元へ掲げた。
黒い術式が悲鳴を上げる。
ゼルミアが笑う。
この光は、希望だ。
今はこの光に賭けるしかない。
ルミナの周囲で、金色の翼の輪郭が生まれ始めた。
――第22話へ続く
※おことわり
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