第16話「制御できない怪人と、本気で守ってしまう悪の幹部」
夜の廃倉庫街は、音がよく響く。
錆びた鉄扉が風で軋む音。
空のコンテナがわずかに揺れる音。
遠くの街道を走る車の低い振動。
そんな音を聞きながら、俺は倉庫の屋根の上に立っていた。
できる限りの準備はした。
だが、それでも足りない気がしてならない。
今夜投入される怪人は、俺の調整下にない。
裂鎌獣ギリード。
ゼルミアが用意した、両腕に鎌を持つ殺傷力特化の怪人だ。
攻撃力が高い。
速い。
そして、制御が甘い。
問題は最後の一つだ。
ギリードはゼルミアの系統で、俺の命令がどこまで届くかわからない。
それに、あのゼルミアのお気に入りの部下だ。
どんな悪質な仕込みがしてあるか、分かったものではない。
つまり今日は、俺の盤面であって、俺の盤面ではない。
いつにも増して、胃が痛い。
なんかここ最近ずっとこんな調子だ。
それもこれも、全部ゼルミアが悪い。
そんなことを考えていると、遠くから五つの光が近づいてきた。
ルミナ、ブレイズ、セラフィ、ノクターン、シルフィード。
星彩少女たちが廃倉庫街へ降り立つ。
「黒天教団の反応はここだね」
ルミナが剣を構える。
周囲を見る目が以前より落ち着いている。
「遮蔽物が多い。みんな、離れすぎないで」
「了解」
ブレイズが拳に炎を灯す。
「でも、今日はやけに嫌な感じね。いつもと雰囲気が違う」
セラフィが杖を胸元へ寄せる。
「空気が刺さるようです」
ノクターンは魔導板を展開した。
「敵反応、正面倉庫内。魔力波形が不安定。通常の怪人より殺傷性が高い可能性」
シルフィードが風を足元に巻く。
「じゃあ、近づきすぎない方がよさそう?」
「その通りだ」
俺は屋根の上から声を落とした。
五人が一斉にこちらを見る。
ルミナの表情が少し強張る。
「ヴァルグレイ!」
「今宵の貴様たちの相手は、いつもとは違うぞ」
俺は低く告げる。
「足を止めれば斬られる。読み違えれば裂かれる。せいぜい注意することだ」
ブレイズが眉をひそめた。
「敵なのに、ずいぶん親切ね」
「親切ではない。無様に斬られては、こちらの興も削がれる」
ゼルミアの笑い声が、闇の中から響いた。
「興、ねえ」
倉庫の壁に黒い転移紋が開く。
そこからゼルミアが現れた。
その隣に、黒い獣がゆっくりと踏み出す。
細い胴体。
鋭く曲がった脚。
両腕に生えた、巨大な鎌。
顔には目らしいものがなく、口だけが横に裂けている。
裂鎌獣ギリード。
その鎌が放つ黒い魔力は、まるで殺意そのものが形を成しているように見えた。
「さあ、始めようか」
ゼルミアが楽しそうに言う。
「君たちがどれくらい育ったのか、見せてもらうよ」
「言われなくても!」
ブレイズが先に動いた。
炎を拳へ集め、真正面ではなく斜めから撃つ。
悪くない。
以前なら真っ直ぐ突っ込んでいた。
今は角度を見ている。
だが、ギリードは鎌を軽く振っただけだった。
黒い刃が炎を裂く。
赤い火が空中で散った。
「なっ……!」
ブレイズの目が見開かれる。
ギリードは一瞬で距離を詰め、鎌の柄で彼女を弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
「ブレイズ!」
ルミナが叫ぶ。
セラフィの盾が彼女を受け止める。
致命傷ではない。
だが、重い。
ブレイズは膝をつきながらも歯を食いしばった。
「今あいつ、あたしの炎を切った……?」
ノクターンが紫の光を走らせる。
「刃に魔力を断ち切る性質あり。火力で押すだけでは危ない」
「分析が早いねえ」
ゼルミアが笑う。
ギリードが次に狙ったのはセラフィだった。
盾役を潰す判断。
怪人にしては嫌なほど的確だ。
セラフィが青白い防壁を張る。
「皆さん、下がって!」
ギリードの鎌が振り下ろされる。
防壁に亀裂が入った。
次の瞬間、盾が裂ける。
「っ……!」
セラフィが衝撃で後退した。
完全には破られていない。
だが、盾を切られた反動で腕が震えている。
俺は屋根の上で拳を握った。
まだだ。
まだ誰も深刻なダメージは受けていない。
黒天王もゼルミアも見ている。
ここで早すぎる介入をすれば、俺の建前が崩れる。
ノクターンが魔導板を構え直す。
「攻撃間隔、短い。次は――」
言い終える前に、ギリードが消えた。
いや、低く跳んだ。
倉庫の影を滑り、ノクターンの死角へ入る。
シルフィードが風で割り込む。
「ノクターン、下!」
ノクターンは辛うじて短剣状の紫光でガードした。
だが、鎌の衝撃は受けきれない。
彼女の身体が横へ飛ばされる。
地面へ叩きつけられる直前、シルフィードの風が受け止めた。
「助かった、シルフィード」
「お礼は後!」
シルフィードがギリードの背後へ回る。
速い。
風を読ませない軌道。
五人の中で一番、ギリードの速度に対応できている。
「ここ!」
短剣型の魔法具が、ギリードの背中へ入った。
当たった。
だが浅い。
刃は黒い装甲に弾かれ、火花だけが散る。
「うそ」
ギリードの首が、ぐるりと回る。
次の瞬間、鎌がシルフィードの足元を払った。
「っ!」
彼女は風で逃げようとしたが、鎌の背がその進路を読んでいた。
攻撃そのものではなく、逃げる先を潰す一撃。
シルフィードが地面を転がる。
四人とも態勢を崩し、陣形は完全に崩れている。
ルミナだけが、まだ立っている。
彼女は剣を構え、仲間たちの前に出た。
「これ以上、みんなに近づかせない」
今のギリードは、正面から受けるべき相手ではない。
だが、ルミナの後ろには仲間がいる。
彼女は退けない。
ギリードが低く唸った。
鎌が左右から迫る。
ルミナは一撃目を剣で弾き、二撃目を身を沈めて避ける。
いい動きだ。
だが、三撃目が来る。
ギリードの尾のような黒い刃が、足元から跳ねた。
ルミナは剣で受けようとするが、前の二撃でバランスを崩した状態での三撃目。
力を逃しきれていない。
ルミナの体勢が崩れる。
「あっ――」
すかさずもう一本の巨大な鎌が繰り出される。
狙いは、首筋。
明らかに、命を狙う角度だった。
「ルミナ!!」
星彩少女たちの声が重なる。
死を予感した、ルミナがぎゅっと目を瞑るのが見えた。
考えるより先に、身体が動いた。
屋根から飛び降り、闇を展開する。
間に合え。
俺はルミナとギリードの間に割って入った。
瞬間、鋭い鎌が俺の肩を裂く。
黒い霧のような血が飛んだ。
ルミナがおそるおそる目を開ける。
すぐさま、目の前の光景に息を呑んだ。
「……ヴァルグレイ!」
ルミナの悲鳴じみた声が響く。
近い。
彼女の息が背中に触れるほど近い。
俺は振り返らない。
ギリードの鎌を闇の刃で押し返す。
痛い。
かなり痛いが、おそらく死にはしない。
生身の人間だったら、肩ごと真一文字に斬り裂かれていたのだろう。
頑丈な体であることが、今だけはありがたかった。
真正面のギリードを見据える。
これ以上、こいつを星彩少女たちに近づけるわけにはいかない。
いかないのだが。
正直言って、怖い。
俺だってこんな見た目をしているが、中身はただの一般男性だぞ。
油断すれば首が飛ぶような凶悪怪人と正面から戦えと言われても困る。
しかも、悪の幹部らしく演じなければならない。
とんだ無茶振りだ。
演技だって、どこまでできるかわからない。
だが――
こいつに対する怒りだけは、演技ではない。
「……いい加減にしろ、雑魚め」
これまでにないくらい、低く冷たい声が出た。
ギリードが動きを止める。
星彩少女たちも、一瞬空気ごと凍ったかのように硬直した。
「これ以上、貴様のような雑兵が俺の盤面を汚すな」
俺はギリードを睨みつけた。
仮面越しでも、その怒気は伝わったらしい。
ギリードがわずかに身を引く。
だが、それは一瞬だった。
「ギィィィ……!」
ギリードの鎌が震える。
明確な敵意が、俺へ向いた。
本来、怪人が幹部に刃を向けるなどあり得ない。
黒天教団の上下関係は絶対だからだ。
だがこいつは、明らかに俺を攻撃対象として認識している。
つまり、暴走だ。
今のこいつは、俺も星彩少女も等しく斬るべき相手と見做している。
ゼルミアが目を細めた。
「へぇ」
楽しそうな声だ。
想定内なのか、想定外なのか。
どちらにしても腹立たしいことこの上ない。
ギリードが一瞬で距離を詰めてきた。
鎌が首筋を狙ってくる。
俺は闇の刃でそれを受けた。
激しい金属音が響く。
腕がしびれる。
「ヴァルグレイ!」
ルミナが剣を持ち直す。
ブレイズも炎を灯そうとしていた。
二人とも、まだ動ける状態ではないだろうに。
相変わらずの正義感だ。
だが今は、介入させるわけにはいかない。
「ルミナ、ブレイズ! そこを動くな!」
二人の肩がびくっと震えた。
「今のこいつは暴走している。お前たちは動くな」
「でも……!」
「セラフィ。可能なら防御壁を頼む。刃がそちらに行く可能性がある」
セラフィは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「は、はい!」
青白い防壁が、五人の前に張り直される。
ブレイズがルミナの腕を掴み、ノクターンがシルフィードを支えた。
よし。
これでとりあえず、彼女たちのことは気にしなくていい。
俺はギリードの鎌を弾き、距離を取る。
ギリードは低く構え、再び突進の姿勢を取った。
その着地点。
ギリードの足元を見て、俺はほっと息を吐いた。
そこが、床下に仕込んだ拘束陣の上だったからだ。
狙って誘導したわけではない。
そこにギリードが着地したのは、ただの偶然だ。
だが、事前にいくつも策を用意しておけば、こういう時に役に立つ。
安全管理って、やっぱり大事だ。
「馬鹿め。かかったな」
俺は指を鳴らす。
床から黒い拘束陣が展開した。
闇の鎖が何本も飛び出し、ギリードの四肢と鎌を絡め取る。
「ギィィィァァ!」
ギリードが暴れる。
鎖が軋む。
一本が裂ける。
すぐに二本目を重ねる。
俺は闇をさらに流し込んだ。
「ひれ伏せ」
低く命じる。
鎖がギリードの身体を地面へ叩きつけた。
黒い鎌が床に食い込み、火花を散らす。
ギリードはまだ暴れている。
だが、動けない。
俺は仮面の奥で息を整え、ゼルミアを見た。
「ゼルミア。貴様の駒は、躾がなっていないな」
ゼルミアは肩をすくめる。
「ちょっとくらい言うことを聞かない方が、面白いじゃないか」
「こいつのやったことは、幹部に対する叛逆だぞ。監督責任で貴様もこの場で処してやろうか」
ゼルミアの笑みが少しだけ薄くなる。
これは、こちらに分がある。
黒天教団は上下関係にうるさい。
部下が幹部へ刃を向けた時点で、ゼルミアの管理不備だ。
「それを言われると、ちょっと弱いねえ」
彼女はわざとらしくため息をついた。
「でも最初に介入したのは君じゃないか」
「俺の盤面を汚すなと何度も警告したはずだ。この場で消されなかっただけありがたく思え」
「怖い怖い」
ゼルミアはくすりと笑った。
そして、拘束されたギリードへ黒い転移紋を広げる。
「今日はここまでにしておくよ。これ以上やると、本当に私の管理責任になるからね」
彼女の目が、俺へ向く。
「君がどこで怒るのか、よくわかったし」
言葉が刺さる。
やはり、そこが目的か。
ギリードは転移陣に包まれ、黒い霧となって消えていく。
ゼルミアもその後を追うように闇へ溶けた。
「またね、ヴァルグレイ。次は、もっと上手く隠せるといいね」
不気味な笑いを残し、彼女は消えた。
廃倉庫街に、静寂が戻る。
……めちゃくちゃ危なかった。
その場に座り込みたい衝動に駆られる。
だが、悪の幹部なのでぐっとこらえる。
肩が痛い。
鎌で裂かれた部分から、黒い霧のような血がまだこぼれている。
セラフィが防壁の向こうから俺を見ていた。
「ヴァルグレイさん、その傷……」
「近づくな」
反射的に言った。
彼女の足が止まる。
しまった。
ちょっと言い方がきつかったか。
だが、今近づかれると困る。
治療などされれば、完全に言い訳ができない。
「敵を治療しようとするな。貴様はまず、味方の状態を確認するべきだ」
セラフィははっとして、仲間たちを見る。
ブレイズは腕を押さえている。
ノクターンは膝をついて魔導板を確認している。
シルフィードは座り込んだまま、珍しく黙っていた。
ルミナは、俺を見ている。
ずっと。
「……助かった、の?」
ブレイズがぽつりと言った。
「はー。ちょっとこわかったかも」
シルフィードがへなっと力を抜く。
ちょっとどころじゃない。
こっちは肝が潰れるかと思ったぞ。
ブレイズが悔しそうに拳を握る。
「……強かった」
「ああ。貴様らはまだ、あのような怪人との戦いには慣れていない」
ルミナが唇を噛む。
「でも、あなたはあの怪人を止めた」
「当たり前だ、俺は幹部だぞ。身内の不始末くらい片をつけられないでどうする」
本当は、ただ運が良かっただけだ。
だが、そんなこと正直には言えない。
「どうして、私を庇ったの?」
その言葉に、場の空気が止まる。
俺は仮面の奥で目を細めた。
「勘違いするな。貴様がここで死ねば、俺の計画が狂う」
「計画?」
「貴様らの希望を最も深い絶望へ叩き落とす計画だ。今日生かして帰すのは、今はまだその時ではないというだけにすぎん」
我ながら酷い台詞だ。
だが、言わなければならない。
ルミナはじっと俺を見る。
信じていない顔だ。
いや、信じたいのか、疑いたいのか、自分でもわかっていない顔だった。
「……本当に?」
小さな声。
「あなたは、本当に私たちを絶望させたいの?」
その問いは、刃より鋭かった。
答えれば、何かが崩れる。
だから俺は、答えない。
外套を翻し、闇を足元に広げる。
「今宵の醜態を忘れるな。次に同じ敵と当たれば、貴様らは死ぬ」
五人が黙る。
「殺意ある敵は待ってくれない。炎を切られたなら別の火を考えろ。盾を裂かれたなら、受ける位置を変えろ。分析が遅れたなら、情報を一人で抱えるな。速さで届かないなら、届くための威力を作れ」
闇が身体を包む。
去り際、セラフィの声が聞こえた。
「ヴァルグレイさん……ありがとうございました」
「礼を言うな」
振り返らずに言う。
「俺は敵だ」
その言葉だけを残し、俺は闇の中へ消えた。
*
黒天城へ戻ると、俺は執務室の椅子に座った。
いや、座ったというより、落ちた。
悪の幹部らしさは、扉を閉めた瞬間に尽きた。
誰も見ていない今、もう取り繕う必要もない。
「痛っ……」
肩の傷がじくじく痛む。
セラフィの治療を受けていれば、もっと楽だったかもしれない。
だが、それはできない。
できるわけがない。
魔導端末に戦闘記録が浮かぶ。
課題は山ほどある。
だが、生きている。
全員、生きている。
その事実に、俺はようやく息を吐いた。
直後、端末にゼルミアからの通知が入る。
『怒った顔、なかなか良かったよ。あれが演技なら拍手してあげたいところだ』
俺は端末を閉じた。
返信する気力もない。
まずい。
非常にまずい。
だが、それでも後悔はない。
あそこで動かなければ、ルミナは斬られていた。
それだけは、絶対に許すわけにはいかなかった。
「……次を考えないとな」
独り言が漏れる。
ギリードのような殺意ある敵は、今後も出る。
いや、もっと酷い相手が出る。
あの子たちは、それに勝たなければならない。
俺が毎回割って入るわけにはいかない。
肩の痛みをこらえながら、俺は戦闘記録をもう一度再生した。
ルミナの首筋へ迫る鎌。
その前に割って入る自分。
あの一瞬を見て、俺は思う。
俺は本当に、どこまで敵でいられるのだろうか。
答えはまだ出ない。
ただ、今はひとつだけ確かだった。
制御できない怪人を、二度と彼女たちの前に立たせるわけにはいかない。
――第17話へ続く
※おことわり
本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。




