幕間「悪の幹部、ネタバレ回避が仇となる」
悪の組織にも、昼休みがある。
あんまり知りたくなかった事実である。
黒天城の執務室。
重厚な黒い机の上には、魔導端末と紙の書類が積み上がっている。
怪人配置計画書。
夜間作戦報告。
破損備品の交換依頼。
怪人用訓練施設の利用予約。
……悪の組織、思ったより事務仕事が多い。
これも知りたくなかった事実だ。
「ヴァルグレイ様、こちら本日中にご確認を」
狼頭の部下が恭しく書類を差し出してくる。
「怪人健康管理規程……?」
俺は仮面の奥で遠い目になった。
「はい。近年、過度な魔力暴走による怪人の労務事故が問題視されておりますので」
「労務事故」
「定期的な魔力検査を義務づけるべき、と健康管理部が」
「健康管理部」
もしかして人間ドックならぬ怪人ドックとかもあるんだろうか。
すごくありそうで嫌だ。
考えたくないことが増えていく。
「……後で確認する」
「はっ」
狼頭の部下が退室した後、俺は椅子に深く沈んだ。
この世界に来てからずっと、訳のわからないことばかりが身に降りかかる。
俺は黒瀬悠真。
元の世界では、二十九歳の一般男性だった。
そして今は、悪の組織・黒天教団の幹部ヴァルグレイ。
白い肌とか真っ黒い爪とかに目を瞑れば、外見上は二十代前半くらいに見える。
なお中身は、将来の胃痛を先取りしている二十九歳のアラサー男性である。
まあ、年齢とか外見のことはいい。
問題は、俺がこの世界を知っていることだ。
この世界の元になっているであろうアニメ。
『星彩のステラ・マギア』。
『星のレガリア』と呼ばれる宝石に選ばれた少女たちが、黒天教団と戦う物語。
ルミナたち星彩少女は、たしか十五、十六歳前後だったはずだ。
子供向け魔法少女ものにしては、少しキャラの年齢が高いんだよな。
だいたいは中学生くらいのイメージなんだけど。
たぶん、話の重さに合わせたのだろう。
あの作品、途中から妙に胃に来る展開が多かったし。
「……で、俺はどこまで知ってる?」
俺は黒いメモ帳を開いた。
記憶を整理する。
全体は四クールの長編。
俺が見たのは、三クール目の終わり頃まで。
そう。
最後まで見ていないのだ。
「…………」
俺は机に額を打ちつけた。
「こんなことになるなら、ちゃんとネタバレを見ておくんだった……!」
十年前のアニメだ。
世間的には、当然のように結末まで知られている作品だった。
だが、当時の俺は妙なこだわりを持っていた。
最終回まで自分の目で見る。
だから感想サイトも考察動画も、関連タグも避ける。
動画サイトのおすすめ欄に流れてきたサムネイルすら薄目で回避する。
ネタバレを徹底的に回避しようと頑張った、過去の俺。
その努力が、今ここで俺を殺しに来ている。
「作品を楽しむ姿勢としては偉い。でも今は違う。今だけは違うんだ……!」
黒天王の最終目的。
星彩少女たちの結末。
終盤に何が起きるのか。
肝心なところを、俺は知らない。
知っているのは途中までの展開と、彼女たちの性格、戦い方、この先さらにきつい局面が来るという嫌な予感くらいだ。
あの怪人――ゼルミアはどうだったかな……。
割と序盤の方で退場していたような気はするんだけど、思い出せない。
とにかく覚えていることを書き出そう。
俺はメモを取った。
星彩少女。
星のレガリアに選ばれた少女たち。
変身後の姿は、一般人には見えていないらしい。
怪人も同じく、普通の人間には認識できない。
ただ、原作では一般人が巻き込まれたり、避難したりする場面はあった。
壁が突然壊れる。
道路が爆発する。
飛んできた瓦礫を見えない何かが止める。
星彩少女たちの活躍は、一般人からはそのように見えていた。
俺がヴァルグレイとして活動している間に一般人を巻き込んだケースは今の所無い。
だが、仮にその場に居合わせたとしても同じ見え方となるのだろう。
そして、もう一つ。
原作では、警察や政府が黒天教団との戦いに介入する場面がほとんどない。
というか、俺が見た範囲ではそういう展開はゼロだったはずだ。
いわゆる、「触れてはいけないお約束」だ。
大人たちはどうしているのか。
警察は何をしているのか。
政府はなぜ動かないのか。
アニメの中では、ほぼ説明されない。
当時の俺は、そういうものとして見ていた。
だが、今となっては洒落にならない。
「警察に言うか……?」
俺は口に出して、すぐに頭を抱えた。
無理だ。
まず、俺は悪の幹部である。
ヴァルグレイの姿で警察署に行ったら、その時点で絵面が終わっている。
では、変装して行くか。
それもかなり危ない。
『魔法少女が人知れず悪と戦っているんです! 黒天教団という悪の組織が怪人を使って街を破壊しているんです!』
そんなことを真顔で言ったら、不審者として取り押さえられる可能性の方が高い。
しかも黒天教団は、表向きには別名義の企業として一般社会に溶け込んでいる。
知りたくなかった。
悪の組織が法人格を持っていることを、俺は知りたくなかった。
社長や役員には、怪人が変装して入り込んでいるらしい。
普通の人間も社員として働いているが、上層部が怪人に牛耳られているとは知らないようだ。
最悪だ。
悪の組織なのに、社会保険とか福利厚生とかどうなってるんだ。
いや、そこは今考えるところじゃない。
「当局に知らせても、信じてもらえなければ終わり。信じてもらえても、黒天教団側が何も対策していないとは考えにくい」
俺はメモ帳に線を引く。
現時点で不用意な告発は危険。
証拠不足。
自分の立場も危険。
黒天教団側の社会的根回しの有無不明。
そして問題は、黒天王の最終目的だ。
黒天王が星彩少女たちの絶望を集めて何かをしようとしているということは、アニメの中でも何度か語られていた。
だが、その先に何があるのかは最終盤まで明かされていなかったはずだ。
順当に考えれば世界征服とか世界の破滅とかなんだろうけど、その具体的な手段もわからない。
「……詰んではいない。けど、雑に動いたら詰む」
なら、少しでも情報を集めるしかない。
俺は昼間の外出申請を出した。
名目は、昼休み中の私用外出。
なんか普通に承認された。
それで良いのか悪の組織。
悪の幹部が昼間に外回り。
嫌すぎる単語の並びだ。
*
変装術を使うと、鏡の中の俺は地味なサラリーマンになっていた。
黒髪。
薄いフレームの眼鏡。
無難なスーツ。
特徴の少ない顔。
黒瀬悠真に近いようで、少し違う。
ヴァルグレイの威圧感は消えている。
「……よし」
昼の街は、あまりにも普通だった。
学生が笑いながら歩いている。
買い物袋を持った親子が信号を待っている。
会社員がスマホを見ながら急ぎ足で通り過ぎる。
夜ごと怪人と星彩少女が戦っている世界とは思えない。
いや、だからこそ怖いのかもしれない。
誰も知らない。
知らされていない。
見えてすらいない。
俺は駅前の大型ビジョン、ニュースの見出し、街頭の掲示物を順に確認していく。
爆発事故。
老朽化による壁面崩落。
原因不明の停電。
ああ、これたぶん怪人絡みだな。
そう思えるものが、いくつかあった。
だが、表向きはすべて事故や設備不良として処理されている。
報道規制なのか、それ以上の何かの圧力があるのか。
今の俺では判別はできない。
SNSなら何か噂や情報があるかもしれないけど、魔導端末じゃ見られないしな……。
「……やっぱり、表からどうこうするのは難しいか」
俺が小さく呟いた、その時だった。
角を曲がったところで、誰かとぶつかりそうになった。
「あっ、すみません!」
少女の声。
俺は反射的に足を止める。
制服姿の少女が、鞄を抱えてこちらを見上げていた。
明るい髪。
まっすぐな瞳。
星宮ひなた。
星彩少女ルミナの、変身前の姿だった。
心臓が止まるかと思った。
いや、悪の幹部の身体なので実際には止まらないかもしれないが、気分としては止まった。
俺は原作知識で彼女の変身前の姿を知っている。
だが、向こうはこの地味なサラリーマンがヴァルグレイだとは気づかないはずだ。
はず……だよな?
「いえ、こちらこそすみません。お怪我はありませんか?」
俺はできるだけ普通の声を出した。
普通の会社員。
普通の通行人。
普通の大人。
そう見えてくれ。
頼むから。
「はい、大丈夫です」
ひなたは一度頭を下げ、それから不思議そうに首を傾げた。
「あの……お兄さん、どこかでお会いしたことありますか?」
はい終わった。
いや、まだ終わっていない。
「……いえ。たぶん、人違いだと思います」
声は震えていなかったはずだ。
内心、震え上がってはいるが。
今の俺は善良な会社員。
そう会社員。
いや、本当の俺も善良な会社員なんだけど、今はこう……ややこしいな!
「そう、ですよね」
ひなたは納得しきれていない顔をしている。
やめてくれ。
その勘の鋭さは夜だけにしてくれ。
いや夜もできればやめてくれ。
「なんか、知っている人……人でいいのかな? と似ている気がして」
完全にヴァルグレイのことだ。
俺は膝から崩れ落ちそうになる。
社会人なので必死に耐えた。
戦いの中で感じた魔力の名残のようなものがあるのか?
あるいは、ひなた自身の勘が鋭すぎるのか。
どちらにせよ、非常に良くない。
「きっとその方が、印象に残る方だったんでしょうね」
俺は平静を装って言った。
ひなたは少し考えるように視線を落とす。
「はい。怖い人なんですけど……でも、たぶん、ただ怖いだけじゃなくて」
胸の奥が、変な音を立てた気がした。
やめろ。
昼間の街角で、敵の話をそんな顔でするな。
「立場としては、あまり近づいちゃいけない相手……なんですけど」
ひなたは小さく言う。
「何を考えているのか、よくわからなくて。怖いことも言うのに、時々、ちゃんと見てくれているみたいで」
俺は息を止めた。
この子は、戦っていない時でもヴァルグレイのことを考えている。
危険だ。
倒すべき敵に入れ込みすぎて、良いことなどない。
「……もしその方が危険だと思うなら、あまり近づきすぎない方が良いかもしれませんね」
俺は務めて一般人らしく言った。
「世の中には、嘘を吐いたり騙したりする危ない人もいますから」
ひなたは顔を上げる。
「はい。わかっています」
その返事は、思ったよりしっかりしていた。
「信じてるわけじゃないんです。でも、見ないふりもしたくないというか」
それ以上は、彼女自身も言葉にできないようだった。
俺は軽く会釈する。
「それじゃ、私はこれで。お気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
ひなたは少し笑った。
「お兄さんも、お仕事頑張ってください」
何気ない一言だった。
ただの通行人に向けた、普通の気遣い。
それなのに、妙に刺さった。
張り詰めた心が解けていくような、優しい笑顔だ。
今の俺には眩しすぎる。
俺は一瞬返事に詰まり、それからどうにか言った。
「……ええ、ありがとうございます」
ひなたはもう一度頭を下げ、学校鞄を抱えて歩いていく。
その背中が人混みに紛れるまで、俺は動けなかった。
やばい。
昼間に外へ出るの、戦闘より心臓に悪い。
*
黒天城へ戻った俺は、執務室の扉を閉めてから、深く息を吐いた。
ただ外出しただけなのに、めちゃくちゃ疲れた……。
もう昼間の外回りはやめよう。
心臓がどうなるかわからない。
椅子に座り、メモ帳を開く。
今日わかったこと、思い出したことを書き足していく。
黒天王の最終目的は不明。
星彩少女と怪人は、一般人には認識されていないらしい。
黒天教団は、表向きは一般企業として社会に紛れている。
当局への告発は現時点では危険。
星宮ひなたは、変身前でも勘が鋭い。かなり危険。
最後の一文だけ、やけに筆圧が強くなった。
俺はこの戦いの結末を知らない。
黒天王の本当の狙いも、星彩少女たちが最後にどうなるのかも知らない。
なら、自分の目で見るしかない。
画面の向こうではない。
この世界の中で。
彼女たちが傷つくかもしれない場所で。
もうすぐ夜が来る。
また、星彩少女たちと敵として向き合う時間が近づいていた。
俺はメモ帳を閉じ、黒い外套を羽織る。
ネタバレ回避が仇となった悪の幹部は、今日も知らない結末を変えるために、悪役の仮面をかぶるしかないのだった。
――第12話へ続く
※おことわり
本作品は、設定の整理や本文草稿の作成補助・推敲に生成AI(ChatGPT等)を使用しています。使用用途・範囲の詳細については、作品概要ページをご確認ください。




