8話
銀治とリリムがが膨れた腹をさすりながら、満足感に浸ってまったりとしていた時、特別室の扉が控えめにノックされた。
現れたのは、少し戸惑いの色を瞳に浮かべたキャスだった。
「司祭様、あなたに会いたいという方が見えていますけど……どうします?」
銀治は窓の外の暗がりに視線をやり、低く呟いた。
「ふむ、騒動の予感がするな………」
独り言を飲み込むと、彼は居住まいを正して応じた。
「了解した。部屋に入ってもらってくれ」
扉が開き、一人の男が静かに入室してきた。
一目で高級品とわかる、仕立ての良い執事服。長身で細身、そして俳優のように整ったハンサムな顔立ち。オールバックで隙なく固めたその姿からは、知性と規律が感じられた。
「初めまして、司祭様。私の名前はエドガーと申します。ウィリアム男爵の元で執事として働いております」
丁寧な一礼。その流れるような所作は完璧だった。
銀治が自己紹介を済ませる間、リリムは先ほどまでの緩んだ空気を一変させ、姿勢を正してエドガーの動きを一心に見つめていた。本能が、この男を「ただ者ではない」と告げているようだった。
「私に会いに来たとのことだが?」
「左様でございます」
「この街を治めるウィリアム男爵が、流れの司祭に何の用があるのだろうな」
銀治の探るような問いに、エドガーは淀みなく答えた。
「いえ、この度は男爵様の命令によるものではなく、私個人の判断で参りました」
「エドガーさん個人の判断、だと?」
「はい……」
エドガーは爽やかに微笑んだ。しかし、その整った容姿とは裏腹に、微笑の奥にある瞳には、凍てつくような冷たさが潜んでいるのを銀治は見逃さなかった。
「それにしても不思議だ。どうしてあなたが私の存在を知ったのか」
「一部の人の間では、司祭様の事はすでに話題になっています」
「そうなのか?」
「見慣れない顔の司祭様が真新しい司祭服であちこち見て回ってまわり、賭場の中にも入っていったと。さらにはそこで連勝につぐ連勝で何百万ゴールドも稼いだと。一体あの司祭様は何者なのかと………」
「そんなに目立っていたとは…」
エドガーの笑みにつられるように、銀治もまた唇の端を吊り上げた。狐と鴉が互いの腹を探り合うような、奇妙な同調だった。
「それで、要件というのは何かな?」
「そのことなのですが……。私の今の主人であるウィリアム男爵に、説法をしていただけませんでしょうか?」
「説法、だと?」
愉快そうに銀治が問い返した。その瞳には、すでに獲物を見定めたような鋭い光が宿っている。
「はい。きっかけは数か月ほど前、馴染みの商人から黒い刀身の刀を買い取ったことでした。なんでもダンジョンの深部で発見されたものだそうで、見た目からして禍々しいオーラを醸し出している代物です。それを手にして以降、ウィリアム男爵はすっかり人が変わってしまいました」
エドガーは淡々と、しかしどこか芝居がかった重々しさで言葉を紡ぐ。
「以前は『一日八時間は眠らないと気が済まない』というのが口癖で、夜中に小さな物音でも立てようものなら激しく激昂される方でした。ですが今は、いつ眠っているのか疑わしくなるほど、自室に籠もって刀を眺めておられます」
「それは実に興味深い話だ……」
銀治の相槌を肯定と受け取ったのか、エドガーはさらに声を落とした。
「それだけならまだ良いのです。しかし、刀を携えたまま屋敷を抜け出し、夜の山を奇声を上げながら駆けることが度々ありましてな。今のところ人を斬ったという話は聞きませんが、屋敷で働く者たちの間では『それも時間の問題だ』と囁く者もおります」
「呪われた刀、というわけか」
「皆も、そう考えております。今の男爵様は、頬は無惨にこけ、目の下には死人のような濃い隈が刻まれています。それなのに、瞳だけは獲物を狙う獣のように爛々と輝いている。……控えめに申し上げても、正気とは思えぬお姿です」
エドガーは深いため息をついた。
「もはや薬物に冒された者と見分けがつきません。しかし、我々がいくら諫めても耳を貸してはいただけない。そこで司祭様……あなた様にぜひ、説法をいただけないかと思い参上した次第です。どうか、あの黒い刀を手放すようにお説得願いたい。このままでは男爵様が身を滅ぼすのは、火を見るより明らかですから」
銀治は椅子の背にもたれかかり、値踏みするようにエドガーを見た。
「どうして私なのだ? 私はこの街に来たばかりの部外者だ。この街にだっているだろう、馴染みの司祭が。説法であればその者に任せればいいはずだが」
「仰る通りでございます。しかし、ウィリアム男爵はこの街の鉄道事業を一手に取り仕切る権力者。この地の聖職者たちも、男爵様には強く出られぬのです。もし不興を買って寄付金を減らされでもしたら……と、彼らは保身に走っております」
「なるほど。だからこそ、何のしがらみもない部外者の私の方が都合がいい、というわけか」
「左様でございます。どうか、お引き受けいただけませんでしょうか? 謝礼の方は、十分なものをご用意させていただきます」
銀治はわずかに目を細め、隣で静かに控えるリリムを一瞥した。彼女の瞳はエドガーを警戒するように捉えたままだ。銀治は唇の端を吊り上げ、愉悦を含んだ声を出す。
「私の方も、この地を支配するウィリアム男爵とは、一度お目にかかりたいと思っていたところだ」
「ほう! でしたら……?」
「引き受けよう。その呪い……私が浄化してやるとしようじゃないか」
「ありがとうございます。感謝に堪えません」
深々と頭を下げたエドガーの口元には、柔らかな笑みが浮かんでいた。それは狂気に落ちた主人を想う忠臣の安堵か、あるいは――。
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