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4話

 


 煤煙が空を重く覆う町の酒場『デレイル』の裏口では、看板娘のキャスが、夕暮れが近づく空気の中で一人で仕込みをしていた。


 彼女は艶やかな赤毛を無造作にまとめ、まくり上げた袖から覗く白い腕を休めることなく、ナイフで手際よくジャガイモの皮を剥いている。


 そこへ、場違いなほど端正な司祭服を纏った銀治が、少女リリムを連れて現れた。


 ふたりがただ歩いているだけで、そこに居る者達はなんとなく顔を上げる。銀治の体格が人並み外れて良いのは理由の一つだが、それ以上に目を引く何かがあった。そしてそれはキャスも例外では無かった。


 銀治は立ち止まり、指の間の銀貨をゆっくりと擦った。


「あら……。こんな煤けた裏通りに、ずいぶんと綺麗な司祭様がいらしたのね。……それで? その銀貨で私を口説こうっていうのかしら。あいにく、今はジャガイモが相手で忙しいのだけれど」


 キャスは首を傾げ、挑戦的な、けれど湿り気を帯びた瞳で銀治を見つめる。


「この町に来たのは初めてなんだ。情報が欲しい」


「ふふ、司祭様のわりには物事が分かってるじゃない。ただでこの町の事を教えろなんて言われたらお断りしていた所だけど、手間賃をくれるっていうんなら大歓迎。お店の中に入りましょうか。もしお腹が空いているのなら、銀貨を一枚追加してもらえればお料理も出せますけど、どうしますか?」


 キャスは首をかしげ、いたずらっぽく片目を閉じてみせる。


 銀治はその視線をさらりと受け流しながら、隣に立つリリムへと視線を落とした。少女の表情は相変わらず無機質だったが、微かに鼻をひくつかせ、仕込みの香りに反応しているのを彼は見逃さなかった。


「二人分の食事付きで頼む」


「ありがとうございます、まいどあり」


 キャスはにこりと微笑んだ。その笑顔は先ほどまでの警戒心を含んだものとは違い、上客を迎える看板娘としてのプロの輝きに満ちている。


「さあ、こちらへ。煤埃のひどい外よりは、少しはマシな空気が吸えるはずよ」


 彼女は慣れた手つきで裏口の重い扉を開き、二人を店内へと招き入れた。


 薄暗い店内に差し込む夕陽が、舞い上がる埃を黄金色に染めている。キャスは二人をカウンター近くの丸テーブルへと案内すると、鼻歌混じりに奥の厨房へと向かった。


「座って待ってて。とびきりのを出すから。……ああ、司祭様。聞きたいことは、料理を運びながらゆっくり伺いましょうか。なんせ、この街の『裏側』は、シチューを煮込むよりずっと時間がかかる話ばかりだからね」


 銀治は椅子の背に司祭服の裾を払い、ゆったりと腰を下ろした。リリムもそれに倣った。


 薄暗い店内のテーブルに二人を促すと、キャスは竈の火を熾しながら、スカートの裾を揺らして語り始めた。


「見ての通り、ここは『鉄道の街』よ。それ以外には、煤と油しかない退屈な場所。四方八方から鉄のレールが伸びてきて、空はあんな風に殺されているけれど……。でもね、おかげでここには世界中からお金と欲が流れ着くの」


「街の活気は、外から持ち込まれたものということか」


「ええ。元の住人たちは土地を追われて、今じゃどこで野垂れ死んだかも分からないわ。代わりに増えたのは、他所で食い詰めて、一攫千金を夢見て流れ着いた荒くれ者たち。……司祭様、あんたのような綺麗な人が歩くには、少し毒が強すぎる街だと思わない?」


 キャスは、銀治のすぐ傍で身を乗り出すようにして、熱々のシチューをテーブルに置いた。ふわりと、石炭の匂いに混じって、彼女が身に纏う安価だが甘い香水の香りが銀治の鼻腔をくすぐる。


「……この鉄道の街を仕切っているのは誰だ?」


「あの丘の上にそびえ立つ白い屋敷の主――ウィリアム男爵よ。元々はただの強欲な豪商だった男だけど、その抜け目のなさを上位の貴族様に気に入られて、この事業のすべてを任されているわ。……あの男爵、街の女を眺めるみたいに、線路が伸びるのを悦んで眺めているのよ」


 キャスがテーブルに置いたのは、深皿に並々と注がれた「コーンビーフとジャガイモのブラウンシチュー」だった。


 岩塩で旨味を凝縮させた塩漬け肉が、口の中で解けるまで柔らかく煮込まれており、その脂が溶け出したスープには、甘みの強い根菜の出汁が凝縮されている。


 傍らには、粗挽きのトウモロコシ粉を香ばしく焼き上げた、黄金色のコーンブレッドが添えられていた。


「さあ、召し上がれ。うちの看板メニュー、特製のブラウンシチューよ。労働者たちの荒れた胃袋を宥めるには、このくらいパンチが効いてなきゃダメなの。銀貨一枚の価値は十分にあるはずよ」


 キャスは腰に手を当て、自信ありげに言った。





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