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11話

 

 重厚な扉が閉まり、エドガーの気配が遠のくのを確認すると、ウィリアム男爵は椅子の背もたれに体を預け、下卑た笑みを浮かべた。


「……司祭様。まずは礼を言いましょう。この『黒い刀』が私に悪影響を及ぼしていると聞き、わざわざ心を痛めてお越しいただいたのですよね?」


「その通りです。呪われた魔武器によってあなたは性格をゆがめられていると聞きました。あなたの執事であるエドガーさんは実に心配しておられましたよ」


「やはりそうですか。実に慈悲深い御方だ。……だが、一つだけ訂正させていただきたい。あのエドガーという男は、私のことなど指先一つ分も心配などしていませんよ」


「どうしてそう思うのですか?」


「……なぜなら、彼はブラスター侯爵が私を監視し、いずれ始末するために送り込んできた『飼い犬』、すなわちスパイなのですから」


 男爵は、窓の外に広がる鉄道の建設現場を忌々しそうに睨みつけた。


「この鉄道事業……一見すれば名誉な仕事ですが、その実態は侯爵が自らの手を汚さず、住民の怨嗟をすべて私に押し付けるための泥舟に過ぎません」


 ウィリアム男爵は、脂ぎった顔を歪めながら吐き捨てるように続けた。


「線路を敷くためには、そこに住まう民草に立ち退いてもらわねばならん。国や事業の理屈からすれば当然の権利ですが、住んでいる者たちにしてみれば、先祖伝来の土地であり、ようやく手に入れた安住の地だ。当然、彼らは泣いて拒む。だが、計画通りに鉄の巨獣を走らせるためには、誰かが彼らを無理矢理にでも追い出さねばならんのです」


 男爵は、まるで目に見えぬ呪縛を振り払うように手を振った。


「そうなれば、元の住民たちは当然、恨みを抱く。そして、その呪詛の矛先はすべて、現場を指揮するこの私に向くわけだ。……どうです、司祭様。これほど理不尽な話があるとお思いか? 侯爵は自分が恨まれることを病的に嫌い、あえて自分より立場の低い私に、その『汚れ役』を押し付けたのですよ」


 その言葉を聞き、銀治は眉を動かさずに淡々と問いかけた。


「……ならば、計画そのものを変更すればよろしいのでは? 人が住んでいない荒野に線路を通せば、恨みを買うこともないでしょう」


 すると、男爵は力なく、しかし嘲るような半笑いを浮かべて首を振った。


「司祭様、失礼ながらあなた様は何も分かっておられない。……計画は既に決定事項。私に計画を曲げる権限など、爪の先ほども与えられてはいないのです。既に完成された図面と、厳格な納期。それに合わせて、ただ滞りなく工事を終わらせる……それだけだ。いいですか、もう一度言いますよ。私は与えられた仕事を、その通りに遂行するだけの機械に過ぎん。私には自由も、権限も、何も与えられてはいないのだ!」


 男爵の表情が、苦悩と憤怒でグニャグニャと醜く歪んだ。


「だというのに……あの無知な人民どもは、誰もそれを分かろうとしない。ただ私が私欲のために彼らを追い出しているのだと、そう信じ込んで私を呪い続けているのですよ!」


 絞り出すようなその声には追い詰められた男の悲鳴が混じっていた。


 銀治は冷ややかな眼差しを崩さぬまま、静かに核心を突いた。


「……なるほど。では、先ほどエドガー殿がスパイだと言っていたのは、単なる監視役という意味ではないのですか?」


 その言葉に、ウィリアム男爵は激昂したように身を乗り出した。興奮のあまり、その口の端には白く濁った泡が溜まっている。


「そうです、スパイという言葉を使ったのは、彼に侯爵から『真の任務』が与えられているからだ! それは……この鉄道事業が完成する直前に、私からこの仕事のすべてを取り上げること!」


「……何のために、そのような真似を?」


 銀治の問いかけに、男爵はあざ笑うように声を荒らげた。


「決まっているではないですか! この鉄道事業を完成させた功績を、そのまま侯爵閣下のものにするためですよ! このまま工事が完成してしまえば、この歴史的事業を達成したのは私、ウィリアムだということになる。卑劣な侯爵は、すべての苦労と泥を私に押し付けたうえで、名誉という果実だけを自分のものにしようとしている。そのためには、私が邪魔なわけです!」


 男爵は机を激しく叩いた。その衝撃で黒い刀がガタリと鳴る。


「エドガーの奴は、私の失敗を血眼になって探している。帳簿の僅かな数字のズレ、報告書の一行の不備……それらをすべて私の『横領』や『背任』に結びつける材料を集めているのだ。そうすれば、侯爵は晴れて正義の面をして私を締め出し、完成目前の果実を横取りできる。……彼はそのための刺客なのですよ!」


「……それは、いささか考えすぎではないのですか?」


 銀治がわざとらしく首を傾げると、男爵は顔を真っ赤にして鼻を鳴らした。


「分かりますよ。他人の寄付金で口を動かすだけで生きてきた司祭様のようなお方には、世の中の汚さなど分かりはしないでしょう。……いいでしょう、ならば証拠を見せよう」


 男爵は、まるで切り札を出すギャンブラーのような手つきで、懐から古びた銀のスプーンを取り出した。


「これは『幸せのスプーン』。毒物を検知すればその色を変えるという、今や私の唯一信じられる友だ。……これを見れば、私の言葉が妄想かどうか、嫌でも理解できるはずだ!」


 男爵が震える手で、そのスプーンを黄金色の紅茶に浸す。

 次の瞬間、銀色だったスプーンは、ドロリとした禍々しい黒色へと一気に変色した。


「……ほら、ご覧なさい! これが答えだ!」


 男爵は、黒ずんだスプーンを突きつけるようにして叫んだ。その顔は、今にも泣き出しそうな子供のそれによく似ていた。


「もしエドガーがスパイでないと言うのなら、私の言っていることがすべて妄想で、間違いだと言うのなら……一体誰が、何のために、私の茶に毒を盛るというのですか!?」


 男爵の瞳には、狂気と、それ以上に深い絶望が宿っていた。






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