10話
鉄と煙が支配する街の中で、丘の上に建つ男爵の屋敷だけは別世界のように静まり返っていた。
案内された控室は一言で言って豪奢だった。
天井からは水晶のシャンデリアが垂れ下がり、壁には金箔で縁取られた巨大な鏡。足元には、歩くたびに沈み込むような厚手の絨毯が敷き詰められている。
銀治は一人掛けのソファに深く腰を下ろし、室内をじろりと一瞥した。
「あのエドガーという執事が持ってきた話……実にきな臭い。騒動の予感がするな」
「………」
銀治が低く独り言ちると、傍らに立っていたリリムが反応した。彼女は決して声を出そうとはしない。人前で声を出すことが恥ずかしいからだ。
しかし銀治には彼女が何を言いたのかが分かっている。リリムが言葉を発さなくても、ふたりの会話は成立しているのだ。
「これから何らかの騒動が起こるだろう」
銀治は組んだ足の上で指をトントンと動かし、薄く笑った。
「だからこそ好機だ。これだけの大事業を動かしている街だ、綻びを突けば一億や二億という金が転がり込んでくる可能性も十分にある」
リリムの瞳が丸くなった。
彼女の驚きは、銀治には手に取るように分かる。一億、二億という額は、彼女がこれまで見てきた世界では想像もつかないような大金だ。
「私には城を建てるという夢がある。二億程度じゃ門を建てる足しにもならないだろうが、一歩ずつ稼いでいかなくてはならないからな。そのための危険なら、安いものだ」
銀治の言葉に、リリムは一瞬の躊躇を見せた後、覚悟を決めたように深く頷いた。銀治という男が歩む道が、常に崖っぷちの危うさを含んでいることを彼女は理解している。
「心の準備だけはしておけよ。いつ、何時、どんな形で戦いが始まるか分からないからな」
銀治はそう言い残すと、テーブルに置かれた銀の皿から大粒のブドウを一粒つまみ上げた。それを高く放り投げ、口で受け止める。
銀治は咀嚼しながら、隣に立つ少女へとにやりと不敵な笑みを向けた。
「私に付き従うということは、常に命の危険にさらされるということだ。だが、リリム。お前なら乗り越えられる。だからこそ、私は君を選んだのだ」
リリムが黙って銀治の目を見つめる。その言葉は、単なる主従の確認ではなく、彼女という存在への確固たる肯定だった。
「リリムのその魂の輝き……それが簡単に朽ちるはずがない。そして、試練を共に乗り越えた暁には、私は必ずリリムの努力に報いよう」
リリムは知っていた。今、自分の身を包んでいるこの服が、かつて奴隷として泥を舐めていた自分には、到底過ぎたるものであることを。
それは一般市民の基準から見ても、なかなかに高価な代物だ。しっかりとした厚みのある生地、動きやすさを考慮しながらも気品を感じさせるデザイン。銀治はそれを一切の出し惜しみなく与えてくれた。
食事もそうだ。かつての主人のように、腐りかけた残飯を投げ与えるような真似はしなかった。銀治はリリムに、好きなものを、好きなだけ、腹一杯に食べさせた。
見返りは約束されている。
「引き締まったいい顔だ………」
リリムはおずおずと手を伸ばすと、銀の皿からブドウを一粒つまみ、口に放り込んだ。甘酸っぱい果汁を噛みしめる彼女の目には覚悟の光りが見えていた。
「さあ、これから何が起きるか……楽しもうじゃないか!」
銀治は満足げに目を細めた。その時、重厚な扉をノックする音がしてエドガーの声が聞こえた。
「司祭様。準備が整いました。……ウィリアム男爵がお待ちです。なお、男爵の要望により、来ていただけるのは銀治司教おひとりとなります」
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