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百合、駆け巡る青春は稲妻のように  作者: 一二三楓


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9/20

先生たちの放課後、結真の夜


 初めてのHRを終え、職員室に戻ってきた麗奈は自分用のデスクに腰を下ろし、大きく息を吐いた。

 風船が萎むように抜けていく肩の力。

 黙って天井を見つめ、爪の先、手の甲を見つめ、また天井を見つめる。

 初めてクラスを受け持った責任と重圧。

 無事に初日を乗り越えられた安堵感。

 それぞれが胸の内で渦巻いて、どうにも落ち着かない。

 

 そのまま深呼吸を重ねていると、「お疲れ様です」と、透き通るような声がした。


 視線を動かした先には同僚で同期の六条紗來《ろくじょうさら》が知的な笑みを湛え、こちらを見ていた。

 ハーフアップに整えられた滑らかな黒髪。

 明るいグレーのスーツにはシワひとつない。

 

「あぁ、お疲れ様です」

「よいしょ」と、紗來は麗奈の隣のデスクの椅子を引っ張り、腰を下ろした。


「だいぶ、お疲れのようですね」

「一日緊張しっぱなしで」

「ですよね」と、紗來は力なく笑い、くるくると肩を回して肩甲骨を鳴らしていた。

「うー……D組はどんな感じでした?うちは大人しい子が多い印象ですね。」

「B組は先生が美人で大喜びなんじゃないですか?」

「はぁ、そういうの反応に困るんですよね」と紗來は、苦笑い。

「うちはみんないい子そうで安心しましたよ。自己紹介の最中に緊張した子に声をかける子がいて、クラスを良い雰囲気にしてくれてたんです。こんな言い方をするとあれですけど、そういう子たちが中心になって、クラスをまとめてくれると私たちは楽なんですよね」

「そうなんですよね。うちにはリーダータイプの子はいないから羨ましい」


 胸を反らしたり、伸びをしたりとふたり並んで身体をほぐしながらの情報交換。

 生徒には聞かせられない話や先輩教師には言いづらいことも同期の紗來にはつい話せてしまう。


「大人しいクラスなら波風立たなくていいんじゃないですか?」

「でも催し物のとき、何も意見が出なくて永遠に決まらないとか目に浮かぶんですよねぇ」

「それを言ったら、うちは派手で個性強いのが多いですよ。さっき話した緊張してた子に声をかけてたふたりの髪色なんか、派手で派手で。妙見なんて、いくつピアスしてるか数えちゃいましたよ」

「うちの学校はその辺、自由ですからね」

「自由に伴う責任をちゃんと伝えられるといいんですけど……」 

「そこはお互い、頑張りましょうね」と言って、紗來は小さな包みを差し出した。


 包みを受け取り、そっと解くと中から出てきたのは丸くて白いチョコレート。

 

「ふふっ、疲れたときには甘いものです!私からの一日頑張った豊島先生への小さなご褒美です」

「ありがとうございます。いただきます」と麗奈は軽く頭を下げた。


 ウィンクを残し、コーヒーを取りに給湯室へ消えていく紗來。

 チョコをそっと口に含むと優しく広がるクリーミーな甘さ。


「無自覚にウィンクなんてしちゃうから、生徒たちが騒ぐんですよ……」


 チョコを口の中で転がしながら、書類に目を落とす。

 この仕事が片付けば、長かった一日が終わる。

 溜まったものを吐き出すのは、もう少し暗くなってからでいい。

 西日を浴びながら、麗奈は最後の仕事にとりかかった。



◇◇◇


 

 吊り革に身体を預け、麗奈は目を閉じる。

 思い返せば、目の回る一日だった。

 初めての担任、入学式────。

 緊張と疲労感。そしてそれらに勝る達成感。

 息をつき、目を開けると流れるように過ぎていく窓の外の景色。

 街並みを紅に染める夕焼け。

 麗奈はもう一度目を閉じる。

 まぶたの裏に浮かぶ子供たちの顔。まだ全員の顔と名前が一致しきっていないが、早く覚えたい。


(みんないい子たちだった。これから、あの子たちに何を残せてあげるのかな……)


 学校を出て、電車に揺られること二駅。

 ホームに降り立つ頃には日が落ち、静かに夜が顔を出していた。


 家路もあと少し────


「カンパーイ!」と、景気よく響くふたりの声と缶を当てる音。


 はじける炭酸の喉越し。

 檸檬の爽快なキレ。

 一日の疲れが、いっぺんに吹き飛んでいく。

 

「仕事終わりの一杯は、至福の一杯」と言いつつ、紗來もお酒片手に悦に浸っていた。

「紗來、オッサン臭い」

「今日はいいの。はぁ〜、最っ高!」


 麗奈は紗來特製のおつまみをつつく。

 その横であっという間に350ml缶を空にする紗來。


「このカプレーゼ、美味しい」

 

 トマトに挟まれたモッツァレラとゴルゴンゾーラ。酸味と塩味がお酒によく合う。


「そうでしょ。作るのは簡単なんだけどね」

「私も作ろうかな」

「モッツァレラだけでもいいけど、このゴルゴンゾーラがあると全然違うから。また手に入ったら麗奈にも分けてあげる」

「ありがとう」

 

 ふたりは同じマンションに住み、互いの部屋をよく行き来している。

 こうして一緒の時間を過ごすのも恒例になりつつあった。


「それにしても、クラスを受け持つことになるなんて。未だに実感湧かないわ」

「それは私も同じ」

「生徒にも保護者にも気を使うしねぇ」


 教師になって三年目。

 変化する立場や責任。

 新学期が憂鬱なのは何も生徒だけじゃない。

 二缶目のハイボールはどこかほろ苦く、酸っぱい味。

 

「でも今日は……忘れて飲む!」

「明日から頑張るために……」


 ふたりは揃って「乾杯!」と、また缶をぶつけ合う。

 

「まぁ、やるしかないっていうのが本音だよね。今更できませーんなんて言ったって、変わらないわけでしょ?」

「まだ一年生のクラスってのが温情でしょ」

「受験ある三年生は毎年修羅場だからねぇ」

「いつかはやるんだろうけどさ」

「ベイビーステップなうちに私たちも学ばないとね」

「そういえば、みんな大人しいって言ってたけど、女子も?」

「女の子たちは真面目な子が多い印象。固いというか、どこか冷めてるというか?男の子も派手な子はいないから問題とかは……出てくるにしてもまだ先かなぁ」

「麗奈の方は?」


 1年D組は、どんなクラスだろう。少し生徒たちの自己紹介を思い出してみる。


「中等部の頃からよく噂に上がるような子が多め。目を引いたのは、さっきも話した妙見と衣通かな。妙見結真は中等部からで、衣通柔心は高校から。あと陸上部の白金と中等部卒業試験三位の財田」

 

 二本松や瀬戸、豊雛もしっかりと印象に残っている。

 

「ふーん。それって、やっぱりラッキーじゃない。そういう子たちがクラスをまとめてくれたら、ほんと楽」

「いいなぁ」と言いながら、紗來のお酒がさらに進む。


「父が校長に何か言ったのかも……」

「理事長が?」

「分からない……けど、そんな気がして……」


 麗奈の父は静麗学園の理事長をしている。

 母とは離婚。豊島は母の旧姓だ。

 理事長の娘だということを知っているのは、高等部の校長と教頭、そして紗來だけ。


「考えすぎじゃない?」

「でもあの人、変に甘いところあるし」


 麗奈はどうしても母校に恩返しがしたくて、静麗で働くことを選んだが、コネで入ったと思われたくなくて、ほかの同僚や生徒には理事長の娘という立場は内緒にしている。


「でも、いい子たちだと思えたんでしょ?」

「まぁ……」

「じゃあいいじゃない」

「あの子たち、キラキラした目で私のことを聞いてくるの。先生の好きなものは?って」

「可愛いじゃないの」

「可愛すぎて……生徒たちにキュンってした」

「ふふっ。なら問題ない、ない」


 顔が熱いのはお酒のせいなのか、羞恥心なのかもうよく分からない。

 麗奈はため息混じりに、真っ赤なカプレーゼのトマトを頬張っていた。


 生徒たちにメロメロな同僚を酒の肴に、「かわいい」と呟き、紗來は酒缶を揺らす。


「からかわないで……」

「はいはい」


 こうして、ふたりが担任になった初めての日の夜は静かに更けていく。



 ◇◇◇


 

 教師たちが酒を片手に語り合う夜。

 ひとり夜風に吹かれ、スマホ片手に結真はコンビニで買ったアイスを齧っていた。

 ブルーライトに照らされ、ぼんやりと夜闇に浮かび上がるシルエットは大人と呼ぶにはまだ幼く、子供というにはメリハリの効いた身体つき。

 狭間で揺れる思春期の少女は画面を覗き込み、黙々と短い文を打つ。

 溶けたアイスの滴りが地面にいくつか跡を残していた。


『ひーちゃん。今日、家行ってもいい?』


 メッセージの送信をタップする。

 返信を待つ傍ら、見上げた空にはぽつんと浮かぶひとりぼっちの一番星。

 物悲しさを抱え、柵に腰掛ける自分を星と重ね、祈るようにスマホを強く握りしめる。


 ────こんな夜はひとりになりたくない。

 ────誰でもいい。隣にいてほしい。


「自分で一人暮らしがしたいって言ったのに、バカみたい……」


 アイスの最後の一口を頬張ると柵から下り、結真はゆっくり顔を上げた。

 手の中で震えるスマホ。

 返ってきたメッセージには一言。

 『いいよ』と、あった。


「こんな時間にごめんね」

「いいって!上がって、上がって!」

「お邪魔します」


 明瞭な声が結真を迎える。

 屈託のない笑顔を向ける彼女の名前は松丸姫翠《まつまるひすい》。高校二年生。

 静麗学園高校に通う一つ上の先輩だが、感覚的には先輩というより年上の友人に近い。


「いつも遊ぶときは結真ん家なのに珍しいじゃん」

 

 ストロベリーブロンドの豊かな髪とモコモコの部屋着からすらっと伸びる長い手足。

 線が細く、何を食べて生きてるのか不思議に思うときがある。そのくせ腹筋は綺麗に割れている。


「うん……。さっきまで友達とみんなでご飯食べてたんだけど、解散したらちょっと寂しくなっちゃって。家、帰りたくないなーって……」

「そっか」


 姫翠はそれ以上、何も聞いてこなかった。

 そうやって、受け入れてくれる優しさがありがたい。


「映画でも観る?」

「うん」

「じゃあ、私オススメのとびっきり面白いのにしよ」

「うん」

「結真のお腹よじれちゃうかもよ?」

「うん」

「死ぬほど笑って、明日は一緒に学校行こ」と、姫翠は結真の頭をわしゃわしゃと撫で回してくれた。

「ありがとう……」


 姫翠の明朗さに、結真はカタルシスを感じる。

 

 空にポツンとあった一番星が見当たらない。

 

 ────だって、もう夜空には幾つもの星が瞬いていたから。





読んでくれてありがとうございます。

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