歪み
㊗️10話!!
ピコンと音を立て、スマホのアイコンが光る。
机に向かっていた姫翠はそっとペンを置き、頭を掻きながら画面をタップした。
「誰からだろう」
届いた後輩ちゃんからのメッセージ。
控えめな文章で、うちに来たいと書いてある。
ふたりで遊ぶときは大抵、結真の家なのに珍しい。
可愛い後輩の頼みだ。
姫翠は勉強をひと段落させ、立ち上がる。
部屋を出ると音も立てずに階段を下り、リビングの戸を開けた。 ドアから頭だけを出して、中を探してみても母の姿がない。
「いつもならテレビ観てるのに、おかしいな。お母さーん、いるー?」
「なぁに、なにか用?」
廊下の向こうから返事が返ってくる。
キッチンの方だ。急いで覗き込むと探していた母がエプロン姿で食器を洗っていた。
「あのさ今日友達が遊びにきたいって。泊めてもいーい?」
「なに、急ねぇ?」と、怪訝な顔の母。
「ダメなの?」
「ダメってことはないけど……」
「別に悪い子じゃないし。迷惑かけないからー。ダメ〜?」
「ダメってことはないけど……」と言って、母はオウムのようにまた同じ言葉を繰り返す。
蛇口から流れ出る水がよく磨かれたステンレスのシンクを叩く。 手についた泡を洗い流しながら、考え込む母の顔はどこか渋いまま。
「ダメじゃないならいいでしょ?」
「だって急なんだもの。何にもおもてなしの準備もしてないじゃない」
「そんなのいいってぇ。その子、お父さんとお母さんが今海外で働いてて、この春から一人暮らしなの。色々大変なんだって。ひとりで寂しいときもあると思うんだよね……」
「そうなの?」
「今日だって入学式なのにひとりぼっちなんだよ」と、付け加えると母の態度が軟化し始めた。
「そう。そんな大事な日に……。その子、何て子なの?」
「ゆま。妙見結真って、私の一個下」
「ゆまちゃんね。わかった。いつでも連れてきなさい。いつでも歓迎するから」
姫翠の狙い通り。
お母さんは結真に同情して、うちに呼ぶことを快く了承してくれた。いつでもOKというお墨付き。
「お母さん、ありがとう」と言って、姫翠は階段を駆け上がった。
結真にどんなホラーを見せて鳴かせてやろう。
手に汗握るアクションを浴びるほど観せるのもアリだ。
結真との時間も待ってはくれないが、課題テストも待ってはくれない。
素早くメッセージを返信して、姫翠はにやけ顔で解きかけの問題集をもう一度開いた。
◇◇◇
カリカリとペンを走らせる音。
BGMはヨルシカの『晴る』。
この曲を聞くと、結真と出会った頃の五月雨の匂いを運んでくる。
雨の湿り気を含む初夏の香り。
湿気を吹き飛ばす文化祭の熱気。
シトシトと名残り惜しさに泣く空。
出会いは去年の中高合同文化祭実行委員の会議だった。
うちは中高一貫校だから文化祭も合同。
実行委員は各クラスから二人だから、結構大人数になる。
中学組と高校組がペアになって、高校組が引っ張るカタチだ。
中三と高一が組む。
それから中二と高二、中一と高三。
姫翠と結真はペアになった。
結真は可愛い。だから実行委員の中でも目立っていたと思う。
どうしても年功序列で歳上の高校生が中心になりがちだけど、結真は自分の意見をしっかり発言してたのを覚えている。
『松丸先輩、よろしくお願いします』
『姫翠先輩って呼んでもいいですか?』
いつの間にか、結真の呼び方も変わっていた。
『ひーちゃん、今日もガンバ!』
文化祭本番の頃には、先輩とか後輩とかいう壁をお互いに飛び越えてた。
そう、まるで親友のような感じ。
一緒に映画を観たり、アニメを観たり。
ときにはショッピングして、コーデを揃えたり。
春休みにも何度か結真の家に泊まりにいき、夜通し映画鑑賞をした。
春休みも終わり、そうして過ごした時間がもうすでに懐かしい。
BGMのプレイリストがちょうど一巡した頃、チャイムが鳴った。
思考の海から浮上した姫翠は、ハッと顔を上げた。
きっと結真だと問題集をスクールバッグに投げ込んで、姫翠は階段を駆け下りていく。
待ちわびていましたよとばかりに最後の何段かをすっ飛ばした。
いつもなら「はしたない」と、口煩いお母さんか、お節介なお父さんのつまんないお説教が飛んでくるが、今日は見逃された。
許されなくても、聞きはしないが。
松丸姫翠は打たれ強い。しなやかで粘り強い日本刀のような性根の持ち主である。
だって反抗期だもんと開き直り、玄関へと向かう。
開けると待ちに待っていた後輩が少し申し訳なさそうに佇んでいた。
なぜそんなに不安そうな顔をするのだろう。
いつもより一段と濃く見える結真の影。
触れるべきか迷ったが、あえて触れずに彼女を家の中へと招き入れた。
◇◇◇
結真を自分の部屋まで案内すると、姫翠は買い溜めしてあったお菓子のストックを解放した。
「コンビニやスーパーで気になるお菓子があると、つい買っちゃうんだよね。それでここにしまっておくの!」
「良くない?」と、姫翠がお菓子をテーブルいっぱいに広げると、暗かった結真の顔に少し明るさが戻ってくる。
「ひーちゃん、それ。食べ物をせっせと溜め込むリスみたい」
「ふふんっ、私は隠し場所忘れないけどね!」
腰に手を当て、得意げに笑う姫翠。
その星屑を振り撒くような眩しい笑顔は、いつも結真を元気づけてくれる。
高校生となり、新しい日々が始まって、新しい出会いに胸が高鳴りっぱなしだった。
だからか、ひとりの夜は怖かった。
結真は『SOS』を発信する。
救難信号を受信してくれたのは姫翠だった。
病んでいるわけじゃない。
結真の感覚的に、ヘラってるに近かった。
「夜なんて来なければいい……」
子供のように唇を尖らせる。
その我儘は夜風に乗って、夕闇に溶けていく。
結真が頼めば、みんな一緒にいてくれる。
璃羅もうさぎちゃんも、千種ちゃんだって。
だけど、今日はみんなに笑顔で「また明日」と、手を振ってしまった。
だって、みんなの前での私は勉強もスポーツもできる可愛い、いい子。
みんなの中心、みんなの憧れ。
もしひーちゃんにダメって断られたら、夜の街を迷子みたいにさまよって───
適当な誰かと一夜を共にする。
身体を重ね、絡み合う。
そうしていれば気持ちいいし、嫌なことも忘れられる。
身も心も委ねてしまえば、何も怖くない。
たまに痛いことされるときもあるけれど、ひとりぼっちよりはいい。だって寂しくないもの。
読んでくれてありがとうございます。
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