湯気に隠れた素肌
結真は部屋をぐるりと見回して、息を呑んだ。
壁に掛けられた白いスクリーン。
女子高生の部屋には似つかわしくない立派な音響設備の数々。
初めて入った姫翠の部屋は、まるで小さな映画館のようだった。
「すごい……本格的」
「でしょう!」
自慢するようにスマホを操作すると、4つのスピーカーから流れ出すゆったりとした聞き覚えのある音色。
バッハの無伴奏チェロ組曲───音楽の授業で聞いたことがある。
部屋を包み込む音の波。
音楽の中に飛び込んだような感覚に結真は軽く目を見開いた。
「このスピーカー、おじいちゃんのお下がりなんだ。これで映画観ると臨場感ハンパないよ」
「アニメも?」
「アニメも!ライブだってクオリティ半端ないから」
「早く何か観よ?」と結真は、姫翠の肩を揺すった。
「まあまあ、ちょっと待ちなって」
逸る結真を手で制すと、鼻歌を歌いながらタンスの中を漁り出した。
◇◇◇
姫翠は満面の笑みで頷き、お行儀よく脱衣場のドアを閉めた。
「───シャンプーとかは中にあるから。で、結真のパジャマとタオルね」
「あっ、うん」
お風呂場で手渡されたタオルの自分の家とは違う柔軟剤の香り。
ふわふわの心地よい手触り。
タオル一つでこんなにも違うものなのかと、改めて友達のお家にお邪魔していることを意識する。
「じゃあ、入ろ」
「えっ?一緒に?」
「そうだよ?洗いっこしようね」
「洗いっこ!?」
「ふふ、結真。いくよー」
「ひーちゃん!?」
まだ状況が飲み込めずに混乱する結真。
異物を感知した脱衣場の空気清浄機が突然唸る声を上げる。
けたたましい機械音には、姫翠の意思を代弁するかのように、獲物を絶対逃がさないという強い意志が宿っていた。
「いいから。入るよー」
「ひーちゃん!?」
白い湯気と共に漂う石鹸の香り。
薄桃色の背中を滑るボディソープの泡。
自分の身体を洗っている姫翠の方が肌ツヤがいいのは何故だろう。
身体の隅々まで念入りに磨き上げられ、結真は大人しく膝を抱える。
キュッ、と蛇口を開く音。
シャワーのお湯が、身体についた泡を一気に洗い流していく。
「よし、完璧」と、深く頷く姫翠。そして結真の身体を一通り視線でなぞり、ぼそりと呟いた。
「結真、なんか超エロい……」
「なに、その感想。普通にセクハラ」
なめらかな肌を伝う雫。
しっとりとしたうなじにかかる姫翠の吐息。
繊細な指先が水に濡れた結真の首筋に小さな痣をなぞる。
「こんなエッチな痕つけてきて……私に見せつけたかった?私には恋人がいますって……」
結真の首筋から耳元にかけて、わざと息を吹きかける。
小さく肩を震わす姿に、この痕を残した人も胸の奥を掻き立てられてしまったのかもしれない。
「うっ……そんなんじゃないし……」と、唸る声は、いつも余裕綽々な結真にしては珍しく歯切れが悪い。
からかいすぎても可哀想なので、「背中洗って」と言って、姫翠はスポンジを投げ渡した。
「私と同じ匂い」
「そりゃあ、ボディソープだからね」
「そういうこと言ったんじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「バカ、知らない……」
何を言ってるのだとスポンジを持つ手に力が入る。結真が力を入れ過ぎたせいで、姫翠の背中は少し赤くなっていた。
シャワーをかけると姫翠は身体を強張らせた。
「いたっ」
「ごめん、熱かった?」
「ううん、ちょっとお湯がしみただけ」
今度はしみないようにぬるめのお湯でゆっくりかける。
最後にボディソープのヌメリが残っていないか姫翠の背中の手触りを確かめ、絹のような触り心地に満足した結真は一足先に湯船へと身体を沈めた。
「ほら、ひーちゃんも早く」
姫翠はもう一度身体をお湯で流し、結真の隣に浸かる。
風呂から流れ出た乳白色のお湯が桶を押し流すと、それがタイルの壁に当たり、コツンと小気味良い音を奏でる。
結真はそっと姫翠にしなだれかかる。
暫し、無言で寛ぐふたり。
「狭くない?」
「全然、平気」
「ねぇ、結真って胸大きいよね」
水に浮かぶ二つのたわわをじっと見つめる姫翠。
「ひーちゃんだって、小さくはないでしょ」
ふよふよと水面を漂う形の良いそれ。
結真よりも若干小振りだが、はりつやは負けてない。
「触ってみる?」と言って、姫翠は自分の胸を少し持ち上げてみせた。
「えっ、いいの?」
遠慮がちに触れると、それは結真の手をしっとりと押し返してきた。
自分のものとは全然違う弾力。呼吸に合わせて、リズミカルに沈み込む結真のか細い指先。
「ひーちゃんの胸、ハリやば……」
「あんっ……ちょっと。結真の触り方、なんか変態っぽい」
姫翠の口から艶っぽい吐息が洩れ、身体を捩る。
「えっろ……鷲掴みにしても、手の中に収まらない。ほらひーちゃんも見て!手からこぼれてる。血行が良くなって、血管が浮き出てる」
「ちょっと、解説しなくていいから」
姫翠の肌は桃色から薄紅色へと染まり、目元を潤ませる。
そういう反応こそが嗜虐心に火をつけるということをわかっていない。
結真は繊細な感触をさらに堪能するため、指に全神経を集中する。
「もう、いいでしょ!おしまい」
姫翠は胸をガードしながら湯船から勢いよく立ち上がり、足で結真に水飛沫を浴びせた。
背中合わせになったふたりの間に横たわる沈黙。
ちゃぷんと湯船に落ちる水滴。
水面が揺れ、頭同士がコツンと当たる。
「反省してる?」
「はい、ごめんなさい。調子に乗りました」
「じゃあ結真のも触らせて?」
「はい」と、恥ずかしそうに頷く結真。
今朝も散々揉まれたのに、羞恥心というものはなくならない。
姫翠は湯船に浮かぶ結真の双丘を掬い上げ、手のひらの上で弾ませ、遊んでいた。
手から伝わる確かな重量感と柔らかさ。
まだ成長期特有の固さがある。
こんなにも自分と違うことに姫翠は、小さな感動を覚えていた。
「なんか、すごい」
「ちょっ胸、痛いって……もう少し優しくして」
喉から洩れる少し硬い声。
口を近づけ耳元に息を吹きかけると結真の身体が小刻みに震える。
雰囲気に当てられ、イケナイ気分になってしまう。
「そのキスマって、彼氏?」
「ううん、違う」
「そうなの?付き合ってないの?」
「付き合っては、いない」
「でも、そういうのをつけるのって、結真に執着してるからでしょ。唾つけとくみたいなさ」
「そうなのかな?」
「私も首輪代わりに、彼氏とつけ合ったことあるわー」
「もう1つ聞きたい」と、姫翠は結真の身体を自分の方に抱き寄せた。
「なんでしょう?」
「結真の恋愛対象って、男の子?女の子?」
姫翠の質問に正しく答えるなら、両方だ。
今までなんとなく気の合う人と付き合って、なんとなく相性の良い人とシてきた。
結真の中で、それはきっとこれからも変わらない。
少し考え、結真は少しだけ口を開いた。
「ひーちゃん、引いたりしない?」
「しない。約束する」
結真は顎をなで、自分の中にある思いを一つ一つ丁寧に整理していく。
「どっちも経験あるけど」
パシャパシャと結真の手から出る水鉄砲が、水面を叩く。
「今は女の子かな」
「今は?」
「うーん、性別とかはあんまり気にしたことない」
「うん?」と、姫翠は疑問符を浮かべた。
「難しいよね。っていうか私自身もよく分かってない。性別関係なく、パーソナリティで好き嫌いを判断してる……んだと思う」
「で、今は性別という括りなら女子に惹かれやすいと」
手で水鉄砲を作って遊びながら、黙って結真は首肯する。
飛沫がはね、壁のタイルを濡らす。
タイルを伝うお湯はやがて熱を失い、水になる。
「そういう個性なんかね」
相変わらず胸を揉む姫翠の口から無意識にこぼれ落ちた呟き。
『個性』という言葉の響きが、結真には何よりも新鮮に感じられた。
大抵の人は、『普通じゃない』で片付けようとする。結真にとっての『普通』は、コレなのにだ。だから姫翠の言葉は、結真の心にスっと染み込んでいった。
「結真、ごめん。のぼせそうだから先上がってるね。部屋で待ってるから」
「了解」
彼女の背を見送りながら、結真は窮屈だった身体を思い切り伸ばし、鼻歌を口ずさんだ。
抱えていたものを姫翠に話したおかげで鉛の詰まった袋のように重たかった心が幾分か軽くなっていた。
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