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百合、駆け巡る青春は稲妻のように  作者: 一二三楓


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19/20

それぞれの朝


 部長のかけ声に合わせて、400mトラックをゆっくり時間をかけて周回する。

 先輩の声が酷く遠い。

 璃羅の頭の中をうめ尽くす『親友』の存在。

 結真の家に泊まった昨日の夜。 


 朝早く、目に飛び込んできた結真の寝顔。

 ぴったりと閉じた目。

 たまに揺れる手入れされた長い睫毛。

 規則正しい吐息が洩れる瑞々しい桃色の唇。

 何度振り払おうとしても映像が頭に焼きついて離れてくれない。

 

(泊まったのだって、結真の寝顔を見るのだって初めてじゃないのに)


 それどころか無限に湧き上がる雑念。

 朝練にもまったく身が入っていない。


(ア゛ァ゛ア゛!!!!)


 心の中で上げた、轢かれた猿みたいな声は女子高生が出していいものではなかった。

 

(こんなの、あたしじゃない!!)


 両手で頬を張り、自分自身に喝を入れる。

 ペシッと、汗の混じる音が響く。

 切り替え、足を動かす。

 

「おっ、なんだ?二本松、気合い入ってんじゃん」

「あっ、いや……これは」

「照れんなよ!」

「あっ、ちょっと。先輩……!?」


 背中に衝撃が走り、もつれる足。

 脳裏をよぎる怪我のリスク。

 よろけながら、何とか体勢を立て直してフォームを維持する。

 肝を冷やした璃羅は、ムスッと犯人を睨んだ。


「危ないじゃないですか……」

「いやぁ、すまん」


 頭に手をやり、からから笑って誤魔化す先輩。 その顔に反省の色はない。


「ホントに悪いと思ってます……?」

「思ってるってぇ」

「怪我したらどうするんですか……」と言って、璃羅はジト目を向けた。

「まぁ、何ともなかったということ」


 調子のいいことを言って先輩はスピードを上げる。そのまま前の方に走り去っていった。


「どうせ朝練が終わるころには忘れてるな、あの人」


 三十分ほど流して軽く息が上がってきたところで号令がかかる。

 朝練終了の合図だ。

 跳ねる心臓の鼓動を、息を整える。

 

「しっかり、柔軟して上がれ」


 コーチの声に従って、トラックの端に座り込む。

 汗ばんだもも裏を伸ばすたび、ユニフォームの隙間から覗く日焼けの境目。

 璃羅のイタミ知らずな小麦色の肌を滑る汗の雫。

 立ち上がり、足を開いて膝に手を置き、身体を沈める。右のふくらはぎからアキレス腱にかけて、グッと伸びるのがわかる。

 そのまま六十秒キープ。そして、逆足を伸ばす。

 

「一年って、そろそろオリエンテーションじゃない」

 

 璃羅の隣であがぐらをかいて、腕を交差させる先輩。


「あぁ……。なんかありましたね。そんなの」

「アンタ、何でそんな淡白なの」

「いやぁ、高校生活に馴染むので精一杯っていうか」


 それどころじゃなかったんだよなぁと、しみじみ。

 記憶の片隅に、そんな話があったくらいの感覚だった。


「はぁ。シャワー浴びてきます」


 ストレッチを早々に切り上げ、立ち上がった璃羅は汗の染み込んだタオルを掴んだ。


「部活棟のシャワーは先輩たちが使ってるぞ?」

「部活棟じゃないんで。お先です」


 先輩を置き去りにして、自分の備品を持って部室へ。

 部室にいた先輩たちにも、「お疲れ様です」と挨拶し、自分のエナメルバッグにスパイクや水筒を詰め込む。

 バッグを肩にかけ、もう一度先輩たちに頭を下げてから部室を後にする。

 みんなと駄弁る気にはなれなかったし、長居すると片付けや余計な作業が降ってくる。

 ただでさえ悶々としているのに、璃羅はこれ以上神経をすり減らすのは御免だった。


 シャワー室が四箇所あって、陸上部がよく利用する部活棟。

 第一体育館と第二体育館の中。

 璃羅が向かっている屋内プールのシャワー室。

 屋内プールは水泳部くらいしか使わないから、ここのシャワーはいつも空いている。

 ここなら先輩たちにも気兼ねしなくていい。璃羅が見つけた穴場だ。


 しんと静まり返ったシャワー室。

 今日も誰もいない。

 電気をつけると、蛍光灯が微かに明滅して明かりが灯る。

 広々とした脱衣スペースを独り占めして、贅沢にロッカーも二つ使う。

 荷物をロッカーに詰め、璃羅はバッグの中から大きめのタオルを取り出した。


 汗を吸ったユニフォームがすのこの上にぺたりと落ちた。


 ちなみに最近結真に教わったスキンケアまでしていたせいで、しっかりとHRに遅刻した。



◇◇◇

  


 ふと、兎萌は竹箒に跨って遊ぶ手を止めた。

 風を切り、空を滑るように飛ぶ燕。

 二羽の番が枯れ草を咥え、せわしなく民家の軒下と外の世界を往復している。

 

「今年も巣作りしてる」

 

 あちらこちらに散りばめられた『春』をみつけると自然と気分が上がる。

 桜が散っても、春はまだ過ぎてはいない。

 

 ケーキ屋を営む財田家の朝は早い。

 兎萌は薄明に目を細めながら、店先を掃き清める。

 朗らかな両親に家業の手伝いを強制されたことはないが、いつの頃からか兎萌の日課になっていた。

 微かに漂ってくる甘い匂い。

 父と母は調理場に立ち、すでに開店準備を始めている。

 どんなに忙しい朝も一緒にご飯を食べてくれる。

 そんな両親が大切に守るお店が、兎萌も大好きだった。 


「お父さん。表、綺麗にしたよ」

「いつもありがとう。あとは大丈夫だから、そろそろ学校に行く支度しておいで」

「うん」


 母が用意してくれたお弁当を丁寧に包み、花柄のお弁当袋へ。紐をきつく締め、机においた。

 椅子の背にかけてあったブレザーを掴む。


「お母さん、お弁当ありがとう」


 クリームを泡立てながら、小さく手を振る母の姿。

 

「あっ栗山さん、椎名さん。おはようー」

「おはよう」

「兎萌ちゃん、おはー」

「ともちゃん、今から学校?」

「そうだよ」

「気をつけて、いってらっしゃい」

「いってらっしゃーい」

「いってきます」


 お店で働く従業員のふたりに見送られ、玄関から飛び出した。

 キュッとCONVERSEのハイカットスニーカーの靴底が鳴る。

 勢い余って、もつれる足。


「ともちゃん、大丈夫!?」


 兎萌は盛大に転び、門扉に激突。

 すぐに駆けつけた栗山さんに助け起こされた。


「怪我はない?」

「いてて……栗山さん、ありがと。新しい靴で走ったら、滑っちゃった」

「もう、ダメだよ。気をつけなきゃ」

「ごめんなさい」


 赤くなったおでこと穴の空いたタイツ。

 膝が少し擦れて、血が滲んでいる。


「あちゃー。タイツ、脱いで。今、消毒と絆創膏持ってくるから」

「いいよ。学校遅れちゃうし」

「何言ってるの。だーめ。待ってなさい」

「……はぁい」と言って、兎萌は一段上がった玄関に腰を下ろした。


 兎萌が大人しく座るのを見届けた栗山さんは、お店の方から中へと入って行く。

 

 今日ばかりは自分の運動神経の悪さが恨めしい。


「いつものローファーにしとけばよかったかな」


 顔を顰め、破れたタイツに手をかける。

 そこで兎萌は重大なことに気がついた。


「私……。パンツ、履いてない……」


 タイツをスっと上げ直す。

 そして靴を脱ぎ捨て、一目散に階段を駆け上がっていった。

 バタンッと二階で響く、ドアの閉まる大きな音。


 このあと、顔を真っ赤にして二階から下りてきた兎萌は、栗山さんに膝に絆創膏を貼ってもらった。

 出かけのトラブルのせいで、HRには間に合わなかった。


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