まだ名前のない絆
ソファーに寝転がって天井を見上げる結真。
結真の太ももを枕に、絨毯の上で足を伸ばす璃羅。
いつまでも絡み合ったまま離れないふたりの手。
天井に星でも浮かんできそうなくらい静かな夜。
心が潰れてしまいそうだったさっきまでの時間が嘘のようだ。
「璃羅」
「うーん?」
時々、璃羅の存在を確かめるかのように結真が指先を絡ませる。
それに応えるかのように璃羅も結真の手をそっと握り返した。
「……結真ぁ」
「なぁーに?」
「なんか、甘いものたべたいなぁ」
璃羅がそっと口を開くと、部屋いっぱいに広がっていた静寂が風船を針でつついたように萎んでいく。
「えー、私はお腹いっぱい」
「アイスがいいな。誰かさんが取り乱して、慰めるのにカロリー使ったからさぁ。あぁー、糖分がほしいなぁ〜」
「うっ……分かりました。なんか探してくるから待ってて」
ソファーから、のろのろと立ち上がろうとした瞬間、強く引かれた繋がったままの手。
よろめく結真。そのまま倒れこむと、そこはいつの間にかソファーに移動した璃羅の膝の上だった。
「ちょっと璃羅、離して」
「やだ」
「やだって……」
髪にかかる璃羅の吐息。
ぎこちなく結真を包み込む細く引き締まった腕。
「なんだよぅ。急に」
「別に……」
「アイス食べたいんでしょ?」
自分に説教をしていたときの威勢の良さはどこへ行ってしまったのか。
「このままがいい」
結真の背に顔を埋め、離してくれない。
「すぐに戻ってくるって。キッチン行くだけだよ」
「そう言って、どこか行く気でしょ」
「行かないって」
「うそ、私を置いていくんでしょ」と言って、璃羅は結真の白い首筋に歯を立てた。
「イタっ……」
噛まれたところがじんと熱を帯び、鈍い痛みが広がる。
なおも深く食い込む歯。
伝わってくる脈打つ血管の感触。
あと少し力を込めれば結真の柔肌は裂けて、真っ赤な花が咲く。
────そしたら私だけの結真に。
「イタいって、璃羅……」
噛む力が徐々に弱まり、離れていく。
首元に残ったぬらりと糸引く唾液と深い噛み跡。
倒錯的な妄想に溺れ、恐ろしいことをしかけた自分。
並ぶ自分の歯型を眺め、璃羅は背筋が凍りそうになっていた。
「……ごめん」
消え入りそうな謝罪の声。
璃羅は回した腕に力を込めた。
心の内で洩れる静かなため息。
自分たちは、存外めんどくさい者同士らしい。
小さく吹き出した結真は璃羅の顔も見ずに、彼女の頭を少し乱暴に抱き寄せた。
「……何、笑ってんだよ」と、唇を尖らせる璃羅。
「璃羅はかわいいねぇ」
「はぁ?かわいくないし」
「いい子だね」
「いい子じゃないし」
「かわいくないねぇ」
「かわいくなくないし……うん?」
「ふふ、ほらかわいい」
「笑ってじゃねぇよ……」
肩にかかる重みが衝撃に変わる。璃羅が頭突きを繰り出すたびに、威力がちょっとずつ弱くなっていく。
「今度は璃羅がヘラってどうすんだよ」
「別にヘラってねぇし……」
「はいはい。じゃあ、立って。一緒にキッチン行こ」
先に立ち上がった結真が、掴んだ腕をブラブラさせる。
両手を引っ張られ、やっと璃羅は重い腰をあげた。眉間に皺が寄って、酷く渋い顔だ。
「ほら、私も璃羅もヘラったんだから、お終い。ね?」
「だから、違うし」
ぶつぶつとまだ小声で言い訳をしている。
親友の手をキツめに引いてキッチンへと導く途中、ふと結真の足が止まった。
「それとも、やっぱりエッチする……?」
「……ッ!?」
今日何度目かの衝撃。
稲妻に撃ち抜かれたように足の先から頭の先まで痺れ、言葉ひとつ出てこない。
よく熟れたさくらんぼのような色のふたり。
この流れは良くないと思いつつも、知りたくなってしまった。親友が一線を本気で越えてきてくれるのかを。
扉を叩く音がする。
未知の扉を叩く音が────。
結真の口からこぼれ落ちる言葉たち。
保たれたはずの境界線が、また爪で弾かれたように大きく揺らいだ。
飲み下したはずの懊悩がまた顔を出す。
璃羅の思考は悲鳴を上げていた。
「なっ、な、なな」
「なななな?」
「違うッ……その話はさっき決着がついて……」
「そうだね」
これは夢?タチの悪い冗談?
結真との関係性の輪郭がどんどん形を失っていく。
突きつけられた選択。友愛?恋愛?
いや、それすら正しいのだろうか。
朧げになっていく私たちの関係を問い直したいのだろうか。
────私たちのあるべき姿って……。
真顔で璃羅を見つめる結真。
「ねぇ、璃羅。親友やめちゃう?」
その言葉に困惑する璃羅。
瞳の奥で揺れる結真の読み解けない感情。
「ねぇ、璃羅が決めて」
なおも迫る結真はシャツの胸元に手をかけ、ネクタイを緩めた。
あらわになる白い肌。
どうしようもなく視線が吸い寄せられてしまう。
────私は……。
結真の放つ悪魔的な魔力。
蜘蛛の糸に絡め取られるように身体を硬直させ、生唾を呑む璃羅。
喉の鳴る音だけがやけに大きく部屋の中に響き渡った。
◇◇◇
次の日の朝。
朝日に眉を顰め、瞼を擦る璃羅。
鉛をつめられたように重い身体を引きずりながら、朝練をこなす。
まだ夢の中にいるようにあくびを繰り返す結真。
心地よい気怠さが残る朝。
ぼーっと一点を見つめながらトーストをかじる。姿見に映り込む姿はいつもより肌つやがいい。
ふたりの関係がどうなったかは、ふたりにしか分からない。
リモコンを押してテレビをつけると、ちょうど始まる今日の星座占い。
「今日の双子座はなにごとにも穏やかな気分で──」
占いは可もなく不可もなく。今日のラッキーカラーは黄色。
これはラッキーカラーに含まれるのだろうかと、目玉焼きの黄身をフォークでつつく。
目玉焼きを口に入れ、もごもごさせながら聞くニュースは朝から聞きたくもないような事件・事故ばかりだ。
ラッキーカラーと一緒に現実を飲み込み、結真は空の食器を持って立ち上がった。
使い終わった食器を洗い終えると水切りかごには、綺麗になったコップとお皿がふたり分。
それを見ていると、身体の芯が熱くなってくる。
もう一度ベッドに逃げ込み、モゾモゾしているとアラームが鳴り出す。
結真は枕に顔を沈め、アラームを消した。
そこから布団の誘惑と格闘すること五分ほど。
「学校、行かなきゃ」と言って、結真はやっと布団を押しのけて、のそりと立ち上がった。
部屋着にしている丈の長いTシャツを床に脱ぎ捨て、朝の空気を肌に浴びる。
ブラをつけて、グレーのキャミソールとシャツを着る。
プリーツスカートを履き、ネクタイを巻こうとしたところで手が止まった。
頸動脈の辺りを軽く滑らせた指に残る凹凸の手触り。
「あー……」
数分悩んで、いつもならひとつだけ開けておくボタンを一番上まで閉め、ネクタイをきつく締める。
「しゃあないけど、あちぃな……。ピアスどれにしよう」
選んだのは陶器でできた瑠璃色の薔薇と和紙で作られた萌葱色の折り鶴のピアスだった。
「ふぁ〜。出発」
結真はリュックを背負い、玄関の端っこにちょこんと揃えられたローファーに足を入れ、トントンとつま先で玄関のコンクリートを鳴らす。
スマホの時計はたぶん遅刻する時間。それでも今日は急ぐ気にはなれない。
「……一限に間に合えばいいや」
そう呑気にそう呟く。
風に流されていく綿雲。
降り注ぐ朝日に包まれ、結真は学校へ。
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