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結真と璃羅


 千種の家をあとにした結真と璃羅は、ふたり並んでマンションのエレベーターの中にいた。


 「千種さん、最後まで不満そうだったね」

 「うちに泊まってきなよってね」

 

 ボタンを押すとエレベーターは少し揺れ、あっという間に結真の住む階につく。

 部屋のドアに鍵を差し込もうとした結真の手が不意に止まる。


 「やばっ、洗濯物だしたままだ。璃羅、ちょっと待ってて」 


 バタバタと音を立て、部屋の中に飛び込む。

 乱雑に脱ぎ捨てられた結真のローファー。

 玄関の端に揃え、璃羅もその横に自分の靴を置かせてもらう。

 ふたりの靴が仲良く並んでいる光景が少しだけむずがゆい。


 「結真ー、入るよ?」

 「洗濯物入れたら行くから。リビングで待って」

 「なんか手伝う?」

 「大丈夫、ありがとう」


 洗濯物を抱えた結真がせわしなくリビングを横切っていく。

 壁の向こうから聞こえる洗濯機の回るドラムの音。水と衣類が混ざり合う。

 肩にかけたエナメルバッグ。

 それをそっと床に置く。  

 見覚えのあるグッズがちらほらある。


 「結真ー。部屋、見ていい?」

 「いいよ」


 壁にかかる小さな額縁。

 丸まって微睡む三匹の猫が描かれたピクチャーアートが目に入る。


 「この猫の絵、中学のとき結真が描いてたやつじゃん。私、何を描いたっけ……」

 

 中学の制服を着ていた自分たちはもうどこを探してもいない。

 ノスタルジックな気分で、璃羅は木でできた額縁の縁をそっとなぞった。


 「あのぬいぐるみもゲーセンで取ったな」

 日焼けしたぬいぐるみの頭に積もった埃。それを指でそっと払う。

 思い出は三段ボックスの上に定位置をもらって、こちらを静かに見守っていた。

 「はぁ、つかれた」

 

 ちょうど戻ってきた結真はそのままソファーにダイブする。

 深々とため息をつき、結真のゼンマイが切れた。


 「お疲れ」 

 「うー」


 璃羅はその場に胡座をかく。

 何となく喋るのが躊躇われ、とりあえず結真の背中を摩る。


 「……」


 車の通る大きな音が、部屋の空気を揺らしていく。

 

 「あのさ。璃羅、私がエッチしようって言ったらどうする?」

 

 ふたりの間に居座っていた静寂が、こそこそと逃げ出していくような気がした。

 唐突に投げ込まれた石。

 波紋が徐々に広がり、やがて大きな波となる。

 

 結真の質問に正解はあるのだろうか、意味はあるのだろうか。

 璃羅は制服のシャツがシワになるくらい強く、左胸を掴んだ。

 

 「……」


 ふと、歴史で習ったルビコン川の川縁に立つカエサルの故事が結真の頭をよぎった。

 飛び出んばかりに暴れる心臓。

 

 なぜ口を滑らせてしまったのか。

 璃羅からどんな言葉の刃が飛んでくるのだろう。

 結真は小さく身震いして、目を固く閉じた。


 「キモ───」


 結真は確信する。

 やらかした。


 「────だよね。キモいよね。ごめん。璃羅、私のベッド使ってって……ごめん、気持ち悪い人のベッドとか使いたくないよね」


 完全に終わった。

 どこに視線を向けたらいいかもわからない。


 「寝間着も、どうしよう。私のは着たくないよね。コンビニに行ってこようか?お風呂、入ってるうちにでも、買ってくる……それとも、璃羅さ、千種ちゃんとこに泊めてもらう?私と……一緒に……居たくないでしょ?」


 結真はそう早口で捲し立てる。

 

 「えっと、待ってて。千種ちゃんに、電話して……あれ……おかしいな……こんなはずじゃ」


 手が震えて、スマホをうまく扱うことができない。

 できることならこの場から消えてしまいたい。

 璃羅の顔もまともに見られない。いや、怖くて見たくない。


 「ごめん……璃羅。ごめん……」


 涙で視界が大きく霞む。

 胃がムカムカし、吐き気がする。


 「はぁ、キモ……もしかして私だけじゃなくて、兎萌のこともそういう目で見てたわけ……」

 「あぁ……璃羅……違う、違うの」


 ただ確かめたかった。

 みんな、どこにも行かないで。


 「キモいことしない。璃羅が近づくなって言うなら、当分離れてる。だからお願い……璃羅、居なくならないで……なんでもするから」

 「ごめんなさい……」

 「いちいち謝るな、ばか。あんたが傍にいるだけで十分なの。エッチ……したっていいけど。私や兎萌はそんなことしなくたって、あんたの横にいるだろうが」

 

 痛々しい姿は見ていられない。

 なのに、俯く姿からは目が離せない。

 混乱する璃羅は結真の頭を乱暴に撫で回す。


 「もう一度言う。結真が望むなら、いつだってしてあげるし、させてあげる。だけど、そんなの関係なく、傍にいるの!」

 「……でも」 

 「でも、じゃない」

 無理やり結真を抱き上げた璃羅は、耳元に口を寄せる。

 シトラスとハーバルなお互いの香りが混ざり合う。

 「一生、親友やめてあげないから、ばか結真ぁ」

  

 そのまま強めに耳を噛む。腕の中で、ゾクリと身を震わせる結真の口から、「あっ」と、弱々しい声が洩れる。

 乾いた涙の跡が残る結真の顔。

 お仕置きだと自分に言い聞かせ、さらに軟骨の感触を味わう。

 

 「ほんとに、ばか。でもあんたの夜遊び癖の理由、少しわかった気がする。もっと、頼れ」

 「だって」

 「だって?」

 「迷惑かけたくない……きゃっ、何?」


 ソファーに投げ落とされた結真とにっこり微笑む璃羅の視線が合う。

 

 「り、璃羅?」


 頬に突き抜けるような痛み。

 璃羅は結真の頬を思いっきりつねって叫ぶ。

 

 「そんなん知るか!友達だろ、親友だろ!」

 「ふぁい」

 「それで足りないなら、恋人に……」

 尻すぼみになり、掠れていく言葉。

 ゴンと、ふたりの頭同士がぶつかる。

 「なんで?そこまで」

 「……」

 おでこが赤くなっても璃羅は決して視線を逸らそうとしない。

 「結真、うるさい……」

 「ごめんなさい……」

 「そんなの私にだって、わかんない」


 そう言って、璃羅はそれ以上何も言ってはくれない。

 おでこを離した代わりに、握りしめられた手も離してはくれなかった。





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