32.久々に聞いたあの名前
あれから恋人同士となった私達は、よくお互いの屋敷に行くようになった。
相変わらず、ときめきとかドキドキするような刺激はないけれど……穏やかで落ち着いた愛に包まれていた。
今日はというと、ハルの部屋でくつろいでいる。
私は窓の外を眺めたり、彼のペットの犬と遊んだりとなんだかんだ動き回っていて……一方彼はというと、その間ずっとソファで静かに新聞を読んでいた。
それぞれ全然違う事をしてるけど、別に何かあったとかじゃなくて……色々やってみて、結局このスタイルに落ち着いた。
一緒にいるけど、お互い自由にやりたい事をやる……それがちょうどよかった。
二人の性格が反対だからっていうのもあるんだろうけど。
「アンナ、見て!見てよこの記事!」
突然そう言って駆け寄ってくるハル。
私の目の前にバッと大きく新聞を広げ、記事を指差す。
「えっ?何?」
そこには、でかでかと書かれた『サイラス・ファンデルフ氏、有罪判決!』の文字があった。
(さいらす・ふぁんでるふ?えっ?誰……?)
誰だろ。知らない人?
「もう忘れたのかいアンナ!サイラスだよ、あのサイラス!」
「え……何だっけその人?」
「ほら、あの人だよあの人!」
「えっと……え〜と、ああ!あのサイラスね!」
すっかり忘れてた。あの人だ。
女の恋は上書き保存なんて言うけど、まさかここまで綺麗さっぱり記憶から消されるなんて。
ハルと付き合うようになるまであれほど未練たっぷりだったのに……今じゃすっかり忘却の彼方。
私が間違えて引っかかってしまった遊び人の男……サイラスは、とうとう国王様の愛人にまで手を出したらしい。
その愛人は、女心の扱いの上手いサイラスにすぐに夢中になってしまった。
しかし、そのせいで国王様は離れていった愛人の心を取り戻そうと必死になり……逃げ回る彼を暗殺しようとしたり、愛人の気を引こうと高価なものを貢ぐようになったり、と次第に金遣いが荒くなっていった。
その出費の記録がある日王妃様に見つかり、こうして大スキャンダルにまでなってしまったのだった。
王家の問題となれば、多少は権力行使してうまくもみ消されてしまうものだけど……元々王様の女癖の悪さで悩んでいた王妃様はついに堪忍袋の尾が切れて、こうしてわざと公に出したようだ。
王家は愛人については割と緩いところがあるけれど、それでも王妃様が耐えられなくなるほどだから……きっと相当だったんだろう。
「ふ〜ん。王宮の人間関係も色々と複雑なのね……王妃様も大変だわ」
ふと、サイラスのヘラヘラした顔が脳裏をよぎる。
ようやく思い出せた、あの人。
いつものらりくらりとうまく世渡りしながらふわふわと生きている彼が、とんだ大騒ぎになって慌てていると思うと……思わず笑いが溢れる。
「ふふっ、あのサイラスが……さぞや大慌てでしょうね、奥さんも子供もいるわけだし。なんて弁解する気かしら?」
「いやぁ、なんてったって相手は王家だからな。そういうのさっさと済ませて、きっと今頃もう牢屋の中じゃない?」
「そっか。じゃあ、さすがに大人しくしてるか……」
「いや、しれっと今度は看守の女性口説いてるかもよ?」
「ぷっ!何それ〜!あはははっ!」
大笑いする私につられて彼も笑い始め、部屋にはうるさいくらいの笑いがこだましていた。




