コンティニュー
桐乃江輝臣は、中学校三年生である。つい先日、十五歳になったばかり。
ふた親とも日本人で輝臣もすべからく日本人なのだが、彼はスイス生まれの、ほぼスイス育ち。
父の赴任先での仕事がひとまず終了し、輝臣も日本で住むようになったのは約三年前だ。
生まれた環境から、独、仏、英の言語を使いこなす所謂マルチリンガルだが、家の中でしか使ってこなかった日本語はいまいち苦手だった。
だから当初、入学した日本の中学校で、片言気味の言葉を冷やかされた。外人、と。
海外の最後の二年間はイギリスに居て、かの国の曇天の多さも作用したのか、輝臣は色素が薄めだった。その事も、〝なよなよした外人〟と冷やかしを助長させた。
しかしながら、輝臣の中身は割と直情型だ。嗤いながら、ファッキュー、と片仮名英語で背後から蹴りつけてきたクラスメイトの男子に、キレた。
ドイツ語と英語で怒鳴り返したら、理解できない腹いせか相手が突き飛ばしてきた。結局、廊下で大乱闘に発展。
親が学校に呼び出された。
当時は存命だった祖母が、これだから遅くに出来た子は……と母に厭味を言っているのを聞いた。古臭い思考の持ち主だった祖母にとって、初子でもないのに高齢で子供が出来てしまうのは世間体が悪い事らしかった。
そんなただでさえ恥ずかしい子供が、学校で問題を起こしたわけで。大昔に名主だったという桐乃江の家柄を鼻に掛けていた祖母には、輝臣は忌々しい孫だったようだ。彼女は去年の初めに亡くなったが、輝臣は可愛がってもらった記憶が全く無い。
親が海外へ赴任することになった際、小学校に通っていた十一歳年上の姉は、大事な跡継ぎを日本から出すなんてとんでもない、と主張した祖母に預けられた。
輝臣が日本の地を踏んだ時、姉は二十四歳。大学を出たものの、祖母から変なプライドの影響を受けてしまったようで、就職に失敗し、家事手伝いと言う名のニートになっていた。
そんな姉は祖母とは少し違い、年の離れた弟を彼女なりに構ってはくれた。
学校での乱闘後、顔を腫らし痣だらけで塞いでいた輝臣に、自身のゲームコレクションを自慢。得意ゲームの相手をさせ、弟を更にぼこぼこにしてくれた。
『あんた、オンラインゲームで日本語勉強すれば?』
姉は旧型の家庭用ゲームが大好きなようだったが、最新情報も詳細にチェックしていた。
片言になっちゃってもロールプレイってコトにしちゃえばいいじゃんよ、とPCで出来る新作のファンタジーMMORPGを勧められた。
学校のクラスではすっかり危険物扱いになってしまっていて、悔しかった輝臣は、帰宅すると姉のPCで敢えて音声チャットを利用し、日本語の練習を重ねた。
最初はゲームでも、何人だよ、とか、出稼ぎお断り、と揶揄されることがあった。
それでも二年生になる頃には、ディスプレイの向こう側で出会う人達にも、海外育ちだと気取られなくなった。ゲームだと年齢を隠しておけるから、あまり気にせず、こちらから話しかける事さえできるようになった。
ヴァーチャル学園ゲームのテスター募集を見つけた、と姉が目をぎらぎらさせて言ってきたのは、そんな或る日だった。
世の中には大学講義をインターネットで無料聴講できるMOOCが既に広まっていたが、こちらはゲーム性重視らしいと姉は熱く説明した。海外エリアまで作られている上、プレイヤーは十六歳として遊ぶそうだ。
姉さんには十六歳がポイントなんだなと、輝臣はすぐに理解した。十歳近く若返りが可能だ。
もうお前には結婚ぐらいしか生き延びる道が無い、と両親から一日に一回は言われている姉である。激しく現実逃避である。
加担していいものか輝臣は迷ったが、姉は弟の返事など聞きもせず、勝手に二人分申請していた。
先手必勝が功を奏したのかテスターに当選したらしく、姉は上機嫌で何かをインターネットで注文していた。
数日後にVR眼鏡の一式が届き、こんな高い物を二つも買うとはどういうつもりだっ、と支払いを押し付けられた父が頭から血を噴き出さんばかりに怒っていた。
お父さんが煩く言うから婚活すんのよ! と姉は大見栄を切っていた。十六歳の姿で婚活なんて相手からすれば詐欺でしかない。それに婚活の何処に中二の弟が関わってくるのか。輝臣は声を大にしてツッコミたかったが、ヴァーチャル体験に興味があったものだから黙っておいた。
やがて『青春Playing』なるゲームの、β版が送られてきて。
輝臣は、彼女に出会う。
真夜中だ。
電気を消した自室のベッドに胡坐をかいて、輝臣はぼんやりとTVを観ていた。
こんなモノを観ていると母が知ったら怒りそうな深夜番組が、そろそろ終わる。
輝臣の目当ては、このところ、この番組の後に流れるCMだった。因みに、知ったのはたまたまだ。眠れなくて適当にTVを点けた時に偶然、観られたのだ。
運営が公式サイトに動画をアップしていないかと探したけれど、今のところTVCMとは別物しかアップされていない。
CMが、始まった。
空の映像。太陽の光がキラキラと射す。
渋い声のナレーションが入る。
〔幾つでも、学びたい〕
写真のように加工された画像が、短い間隔で入れ代わり、重ねられていく。
桜高校の制服を着て、机に向かっている人、仲間と手を叩き合っている人、急いた様子で走っている人――
〔ほろ苦い経験も、胸躍らされる知識も〕
輝臣は、瞬きをせずに次の画像を観た。
波と戯れ、笑っている二人。
いつの間に撮られていたのか知らないけれど、画像の使用に関しては利用規約に承諾しているので拒否権は無い。むしろ、撮っておいてくれたのは、ありがたかったかもしれない。
ほんの一瞬で、二人は消える。
更に少しスクリーンショットは続き、広がる青空から、桜の木に囲まれた校舎の遠景。
女の子の声が言う。
〔ヴァーチャル学園生活、始めました〕
実際の立ち上げ画面と同じように、タイトルが表示される。大勢の声が楽しそうに唱和した。
〔『青春Playing』!〕
(録画してぇ……)
あのワンカットでいいから。
TVを消し、ふらりとベッドに倒れ込む。
β版も情報流出に神経質な運営だったが、このCMもジャマーが組み込まれていた。ステルスフォンで録画や撮影をしても、砂嵐しか残らなかったのだ。
(アナログのカメラで試すしかないのか……)
ただ、アナログカメラは今や骨董品で入手が難しい。入手できたとしても輝臣に使いこなせるか判らない。そもそも絵の切り替わりが速い上に、あの光景を目にすると、どうしても輝臣の中の時間が止まってしまう。
枕に顔を押し付け、輝臣は呻いた。
ヘタレな自分が、恨めしくて仕方ない。
ステルスフォンのアドレスを教えてほしいと、何故さっさと言えなかったのか。
リアルでアルバイトなんかしているのだから、彼女は年上だと判っていた。それでも普通に話せていたし、中学生と知られたって気にしなければ良かったのに。
きっと、アカネの方はそんなの気にしなかっただろうに。
彼女は、リアルの学校に居る女子とは違った。
去年、学年もクラスも変わったら、輝臣の周囲は変化した。
英語の時間にテキストの朗読を指名されて以降、やたら女子が集まってくるようになった。英語教えてだの、桐乃江って華族だか貴族だよね? だの。
女の子は嫌いじゃない。正直言って好きだ。けれど、それは鑑賞の対象としてだった。上辺のステータスしか話題に上らない会話の数々は不要だった。
アカネの場合、見た目は女の子だったが、輝臣としては別に男でも良かった。
鑑賞だけじゃ足りなかったから。
話しかけてものの数分で〝友達〟と口にされたのが、あの時の輝臣にはどんなに嬉しかったかなんて、多分アカネは知らない。
輝臣は、それからもアカネとの間に生まれていた何かを、手放したくなかった。仮想空間ではいつ断たれるか判らないと思い知ってからは、現実での繋がりが欲しかった。
あの最終日から四ヶ月以上経つのに、やっぱり欲しい。忘れられない。聞き損ねたことを猛烈に後悔している。
正式版が発売されて、輝臣も溜めておいたお年玉ですぐに買った。シリアルナンバーも使って、β版のデータでログインした。
Rコインはテスターの謝礼として五百に数値が変更されており、Vマネー、授業ポイント、クラブポイントはリセット。
アイテム欄に入れていた持ち物は殆ど残っていた。どこでもフォンに登録された友達や、メールもそのままだった。
〝アカネ〟も、そのまま。
ただ、正式版にシリアルを使って一度もログインしていない人の名は、グレーじゃなくブラックで、液晶画面にほぼ溶け込んでいる。
どこでもフォンのデータが残っていたお蔭で、ワカとマサタカが仲良く再生してきたのは簡単に気づけた。それとなく、朱音が元気らしいのも聞けた。
彼女の祖父母である二人に、朱音のアドレスを教えてほしいと、もう何度頼んでしまおうと思ったことか。
待っていても、アカネは儚い世界に戻ってきそうにない。どうしても会いたいなら、待っているだけじゃ駄目なんだろう。
けれど、祖父母経由でアドレスを知るというのは、輝臣には下策というか……
(ストーカーと思われそう)
『夢十夜』一話目の解釈を、ストーカーかとアカネは言った。願望まみれの輝臣の解釈を何やら慌てておだててくれたが、本当のところ輝臣がストーカーっぽいという意味での発言だったとしたら、かなり凹む。
大体自分でも、後夜祭のあの暗さの中で、なんであの後姿をアカネだと判ったのか不思議なのだ。彼女は大抵、勇ましい感じで、あの時の細い背中はとても似つかわしくない頼りなさだった。なのに、ちょこんと座っているのを見た瞬間、居た、と思ってしまった。
(オレ、やべぇのかな……)
溜め息をつきながら寝返りを打ち、髪をかき上げる。今夜もなかなか寝付けない。
夜中に波打ち際で笑っているアカネを観てしまう所為か、朝は朝で深刻なリビドーについて哲学してしまう。
(ちょっと透けてるのを見ただけなのに、いつまで覚えてるんだ、オレはぁあああ)
ごろごろベッドを転がっていたら、落ちた。
虚しいセルフコントをしてしまって、よろよろと立ち上がる。
その時、カーテン越しに窓の一部が光った気がした。
ちょっと隙間から窺う。窓の下方、無駄に広い庭の向こうで、門の防犯ライトが点いている。
リストバンドに貼ったままだったステルスフォンで時間を見ると、午前三時近い。
(こんな時間に何だ……?)
建物や庭はそこそこ立派だが、桐乃江家は普通のサラリーマン家庭だ。昔は幅を利かせていたようだけれど、今は資産家でも何でもない。この家と土地は諸々金がかかるようで、父は頭を悩ませている。
先日どうやって相手をゲットしたのか結婚を果たした姉は、祖母の遺言に従って苗字を捨てなかった。輝臣としては、家名もこの面倒くさそうな家屋も姉と義兄に任せたいところだ。
要するにこの家には、泥棒にやって来ても見た目ほどの収穫は無いのである。
部屋のドアに貼り付けていたドアモニターの子機を手にし、輝臣はスイッチを入れる。小さな画面が、門の表札周辺を映す。
(え、アカネじゃん。何やってんだ)
ちょっとぽかんとして、輝臣は画面の中の少女を見た。光を受けた真っ白いダウンジャケットにジーンズ。でっかい自転車を、細っこい腕で器用に停めている。後ろの駕籠には、折り重なる新聞があった。
あぁ新聞配達だったのかぁ、と呑気な感想が浮かんだ後、輝臣は我に返った。
ここはゲーム世界ではない。
(ちょっと待って待って待って――夢じゃないだろうな!?)
ガッと頭を殴ってみて、輝臣は目眩によろめいた。手の中の女の子は、まだ居る。ゲームより髪が長めで、なんだか小柄だけれど顔つきはそのまま。
アカネと言えば力強い目がすぐ浮かぶが、近くで見ると、母や姉やクラスメイトとは全く違う、妙に透明感のある肌も印象的だった。さり気ない所にRコインを使っていたのかと思ったのに、画面越しにも綺麗に見える。
(弄ってなかったのかよ、あれ! ていうか、アカネだ――コレ、朱音だ、間違いない!)
こんな風に覗いているなんてストーカーと言われてもしょうがないが、もうこの際ストーカーでもいい。
彼女がポストへ新聞を差し入れるのを見て、焦って輝臣は呼びかけた。
「朱音」
ぎょっとしたように少女が肩を震わせたのをモニターで見ながら、輝臣は部屋を飛び出した。「そこに居て」
頼むから、と心の中で付け足し、全速力で家を出る。庭の広さが腹立たしい。走り抜けながら、ダサい部屋着だと思い出して顔が熱くなる。パジャマじゃなかったのはセーフか。
朱音は、明かりに照らし出されて、呆気にとられたように立っていた。
ハグしてしまいそうだったが流石に踏みとどまって、輝臣は息を整えながら顔をほころばせた。
「久しぶり」
「――ホントだよね」
ぱちぱちと瞬いて、朱音は少し目を落とす。向かい合っても彼女は小柄だった。今の輝臣は桐臣より五㎝ばかり低いのだけれど、それより低い。
「朱音、ステホのアドレス交換したい」
今度こそ、輝臣はさっさと言った。
迷わずに、カミングアウトできた。
「オレ、来年には、桐臣みたいになるっぽいけど」
あそこで身長の伸びが止まってしまうのかが、今はいささか心配だ。
朱音はほんの少し小首を傾げ、ふぅん? と頬を緩める。輝臣が安心できる表情。何でも上手くいきそうな気になってくる。
「リアルは、もっとイイ男になるぜ?」
輝臣が調子に乗ったら、朱音の黒目がちの双眸がきらりと光る。マサタカそっくりにニヤリとして、軽く握った拳を掲げてきた。
「わたしはあっちの歳に並んじゃったけど、あの身長に並ぶのを、まだ諦めてない」
「別に朱音はそのまんまでもイイけど」
正直な感想だったが、輝臣は口角を上げ、手を差しのばす。「上を目指すべきだよな」
「そゆこと」
二人は、笑んで手首を交差させたのだった。
本編はここまで。
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