体育祭 宮園高校では
『青春Playing』でのイベントが残り三日ばかりとなった頃、現実の高校でも体育祭が開催された。
進学校だからなのか、小学校や中学校の時ほど色々な練習も行わないまま、当日になってしまった。金曜日で、親兄弟や一般の観客も来ないようだ。
九月中旬は、まだ充分に暑い。照りつく太陽に、じりじりと薄茶色のグラウンドが熱せられている。
全校生徒での準備体操の後、校長から水分補給を徹底するようにと訓示され、競技が始まった。入場や退場を促して、定番のクラシック曲が軽快に流れる。
校舎の日陰は、慣れがある上級生が早々に陣取っていた。一年生は日なたに座り込んで汗を光らせている。
朱音もクラスの女子が集合している隅っこで、黙然と膝を抱えていた。
二学期が始まってから今日まで、暴力や暴言といった嫌がらせは無いけれど、女子にはほぼ無視されている。委員長より洒落たフレーム眼鏡をかけた副委員長の子が、一、二度、業務連絡で関わってくれた程度だ。朱音も下手に改善を図って不快感を広げるのも嫌で、もう空気化することにした。
進路別でクラス替えがあるようなので、来年はうっちーや桐臣みたいな友達が出来るといいな、と思う。
一年生女子の百m走を告げる放送が響く。該当者行ってくださーい、と副委員長が入場口の方を指差した。
この状態で障害物競走の開始まで暑熱を耐えるのかと考えると、早くもくらくらしそうだった。
庇のある観客席で飲み食いしたり、だらだらできるゲームは実に緩い。
(現実は厳しいな)
今更ながらの感想をいだいて、朱音は百m走に参加するクラスメイトを眺めやった。
宮園高校の体育祭は四クラス対抗戦だ。
二年四組に運動神経のいい人が多いようで、二年生が競技を終える度に得点が大きく加算される。
四組は二位につけていた。
午前中の最後の競技として、やっと朱音の出番が来た。行ってくださーい、との声に立ち上がる。
出場する五人がのろのろと歩き出した中に、桃姫☆改め桃華も居て、やや意外だった。前を一緒に歩いている子に、ジャンケンよりくじで決めてほしかったわー、と愚痴っている。負けてしまって仕方なく参加するようだ。
コースに設置されていく障害物は、三角コーン、ハードル、跳び箱、何故かゴール近くに菓子パンの袋が吊られていく。遠目にも、やけに高い所へぶら下げているのが判る。
情けない心地になった。アカネなら辛うじて届くかもしれないが、朱音では無理かもしれない。
ゲームの障害物競争は慣れてきて、上手くいくと自力で一着になれることもあっただけに、現実ではパン食い要素が追加されるなんて想定外だ。
入場口に集まった女生徒達に、組の数字が入ったゼッケンが配られ、男性教諭が大声で説明を始めた。
三角コーンはジグザグにすり抜ける。ハードルは飛び越える。跳び箱は二段なので、ハードルと同様でもいいし、乗り越えてもいい。
「最後のヤツは昼飯にしていい。食い意地出して咥える必要はなぁし。ゴムに留めてあるので、気をつけろ。以上!」
〝クシコスポスト〟が流れ出し、一年女子は四列に並んで小走りにグラウンドへ向かう。
走る順番を決めていなかった四組女子は、多少ばたばたした。朱音としては第一走者など不利だと思ったのだけれど、桃華ともう一人は場が綺麗な内に済ませたかったようで、一番手を巡ってジャンケンをしていた。あぁーっ、また負けたッ、と桃華が悔しがる。空気の朱音は最終走者だ。
第一走者が位置に着く。
この後が昼休みだからなのか、解放的な空気を伴い、のんびりとしたギャラリーが多い。ゲームで応援をしてくれる人達のように、二年生の男子数人が、頑張れよー、と笑顔で声をかけていた。スポーツドリンクのペットボトルが似合う。みんな日に焼けて、運動部っぽい精悍さ。
オダギリ先輩だぁ、と待機している女子の間にコソコソと黄色い声が走った。
仮想空間で美男子をたくさん見ている朱音にも、恰好良く見えた。スタートラインに並んだ少女達が、思いがけない声援に落ち着かなげだ。
パァンと合図が響いた。一斉に可愛くスタート。
ハードルで転んだ子が出た。現実はより痛々しい。悲鳴混じりの嘆声が乱れ飛ぶ。朱音は両手を握り締め、息をひそめて見守った。
問題の地点へ到達した子に注目する。朱音より頭半分は背が高いと見ていたが、手を伸ばしただけでは全く届いていない。ジャンプして袋の端を掴んだようだ。ゴムが揺れ、他の袋が派手に弾んでいる。
次々に同じ地点へ達した子達が、てんでにその場で跳んでいる。ゴムがびよんびよん波打って、最初以降、パンを手にする難易度が跳ね上がっていた。えぇー、と成り行きを見守る女の子達が嫌そうに声を重ねた。
第二も第三もパンの所で停滞が生まれていた。第四グループに至っては、いち早く到達したゼッケン一の子がゴムをしならせただけでパンを取り損ね、順位に番狂わせが起こった。
二組の子が一着ゴールインした後も、クラスメイトは一所懸命パンへ手を伸ばしている。無言のエールを送っていた朱音の耳に、横手から男子の声が聞こえた。
「あっちゃー、一年の四組駄目だな」
「今年の一年、使えねぇ」
ムッとして目を流すと、先程の二年生達が居る。彼らは四組だったようだ。朱音は憮然とした。恰好良かった印象が急速に崩壊する。
(がっかりしたのはお互い様だい)
四組全体の為に頑張る気にはなれなくなったが、一年四組の名誉は守りたくなる。
位置に着いた朱音は唇を引き結んだ。
響いた合図に間髪置かずスタートする。
三角コーンの合間を踊るように縫いながら、朱音は眉を寄せた。
アカネとの身長差が違和感を生んでいる。
十五cm分のどれ程が足に回されたのか判らないが、歩幅がどうも違う。ゲームでの百m走は初回以降も十四秒台を出せていた。コンパスの長さが作用していたようだ。
ハードル前に気づけたのは幸いだったろう。慎重な跳躍で転倒を避ける。
隣でがしゃんと倒れる音がしたけれど、脇目を振らずに暫定一位で跳び箱へ。平均台で練習していたから簡単だ。ぽ、ぽん、と乗り越え、朱音は急反転した。コースに一つずつ設置されているから、これは朱音だけの箱。
上の段を外して抱え、一目散にパンへ向かう。はっ? と言った声が耳に入ったが無視する。
一人に抜かれ、必死に背中を追う。その子がジャンプしたと同時に朱音は跳び箱を設置。勢いをつけて段に跳び上がった。揺れていた袋の一つが掌に飛び込んでくる。
そのままの勢いで着地し、朱音は目と鼻の先で走り始めていたゼッケン一を猛然と追い駆けた。追い抜けた――
ゲットしたチョコレートクロワッサンとランチバッグを手に、朱音は落ち着き場所を探して校庭を彷徨った。
障害物競走は、箱の使用を認めてもらえて、無事に一着を勝ち得た。ゴール近くに居た佐藤先生がひょろひょろと駆け寄ってきて、小さいのに頑張ったなぁ、と称えてくれた。今回も、小さいは余計である。
雑草はびこる片隅に、妥協して座り込んだ。
変な虫が出てきませんように、と辺りを一瞥しながら念じる。
祖母に作ってもらった弁当を黙々と食べ始めた。チーズ入り玉子サンドイッチが美味しい。
さっき、ランチバッグを取りに行ったら、教室で女子に噂話をされていた。
『あんなのに必死になるのって小学生までだろ、イタかったわぁ』
『ゲームの影響なんじゃね』
『跳び箱抱えて走るとか女捨ててるし。何あの怪力』
(朝刊は重めだから腕力がついてたかなぁ)
魔法瓶の麦茶で、サンドイッチを流し込む。
桐臣があっけらかんとしていたから、朱音もあれ以上躍起になって自分の中の〝女の子〟を閉じ込める気にはなれなかった。
これまでのように折り合いをつけて。むしろ、絶対に母親を踏襲しない〝女の子〟を手探りしかけていたつもりだった。
性別なんて、一個の人間の内面を見るに際し、瑣末な要素でしか無い。性別も外見も年齢も変えてしまえる『青春Playing』で、漠然とだが、朱音はそれを悟ってきている。
だが己についても割り切って見つめられるかと言うと、朱音はまだまだ未熟だった。
(捨てた気は無かった……)
ひっそりと食事を済ませ、午後の競技が始まるまで、朱音は膝を抱えた両腕に顔をうずめていた。
午後に朱音の参加競技は無く、クラスメイトに混じって観戦に終始した。
四組は最後のリレーで二年生がまさかのバトンミスをやらかし、総合三位という結果に終わる。
こうして、現実の体育祭は幕を閉じた。
気温は夏としか思えなかったが、日没の時刻は着実に早まっている。
見事に澄んだオレンジ色になりつつある空の下、学校傍のバス停では生徒の短い列が出来ている。
敢えて一本見送っていた朱音は、疲れた足を動かして最後尾に並んだ。
トンボがたくさん飛んでいる。変則的な動きを目で追っていたら、後ろから声をかけられた。
「森さん、やっほー」
肩を震わせて振り向くと、〝かわ弁当〟の川辺先輩だった。
今日は髪を二つに分けて白いゴムで括っている。暑い中を動き回った一日だったのに、初めて会った夏休みの日と変わらず、明るい顔だ。
斜め隣にお洒落な雰囲気の色白男子が居て、一緒に来たようだった。襟に入ったラインで、二年生だと判る。
多少びくつきながら二人を見上げたら、男子の方が目を見張った。
「跳び箱ちゃんだ」
「あは、わたしも見てたよ、カッコ良かったね!」
川辺先輩は朗らかに言う。「急がばまわれの実践だったね」
「箱持ってた時も結構速かったよなぁ。ウチの連中が、なんで一年はあの〝跳び箱〟をリレーに出さなかったんだって、グチグチ言ってました」
肩をすくめた二年生に、先輩はおどけたような顔になる。
「例え森さんが頑張っても、トーマ君の学年でバトン落としたじゃないですかー」
「デスヨネー。すんませんでした」
直角にトーマは腰を折る。可笑しそうに川辺は笑った。
「大丈夫。実のトコ、三年は全然気にしてないから」
どうやら二人とも四組だったらしい。
相変わらず、先輩は話好きだった。
彼女は生徒会役員だそうで、会計長担当。本日の体育祭でも、スポーツドリンクや例のパンの手配などを任されていた。
一方、トーマも役員で書記。やはり今日は雑用に駆り出されていたと言う。文化祭後にある役員選挙で、生徒会長に立候補するよう早くも打診が来ている模様。
朱音にとって意外だったのは、佐藤先生が生徒会顧問だった事だった。あんなに天然ぼんやりうっかりなのに、大丈夫なのだろうか。生徒がしっかりするしかない状況となるのがいいんだろうか。
バスが来た。一番後ろ空いてる、と川辺が嬉しそうに朱音の腕を取る。こんな季節なのに、あったかい手が嫌じゃなかった。
トーマは終点近くまで乗るそうで、先輩に窓際へ追い立てられる。朱音と川辺の家は近かったけれど、最寄りのバス停は違った。川辺が手前で降りるようで、朱音は先輩二人に挟まれた格好で座る。
あの補習のお知らせは本当にわざわざ足を運んでくれたのだと気づき、朱音は改めて礼を告げた。こちらこそ潤ったよ、と川辺先輩はにこにこする。
現実で同年代の人とこれだけ喋ったのは、久しぶりだった。ささやかな、楽しい時間だった。
またねー、と川辺先輩がひと足先に降りて行く。
次の停留所には、ものの数分で着いた。デイバッグの底とスカートの後ろを撫で、朱音は席を立つ。トーマ先輩が声をかけてきた。
「またね、バンビちゃん」
〝可愛く変えるな〟と桐臣からツッコミを入れられたのが蘇った。
自分から言った時は明らかに軽口で気にしていなかったが、他人から同じ表現をされると、そぐわなさが思いのほか恥ずかしい。
何故に跳び箱からバンビに変化したのかも、よく判らない。
うろたえ気味に振り返った朱音は、会釈を返す。窓辺に頬杖をついた先輩は、悪戯っぽい顔つきで目を細めていて、片手をひらひら振った。




